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キャンピングカーで放浪の旅 Ⅱ

全国を、写真と動画で探訪

遠野市で、全ての用事を済ませ、陸前高田市に戻った。
道は、途中から、気仙川沿いになった。
一本橋があった。 それも、流れ橋。

石巻市立大川小の児童数は、108名。 津波に襲われた。
その内、56人が死亡、18人が行方不明。  助かったのは、34名。
また教諭については、11人のうち9人が死亡、1人が行方不明。
今日は、疑問だけを少し整理してみた。


一本橋を見たのは、住田町。 
この町にある鍾乳洞が、滝観洞(ろうかんどう)と白蓮洞(びゃくれんどう)ですね。


一本橋は、四国で見ていた。 似てる。

11年4月9日 (1)

説明には、江戸時代からあるとあった。 四国のと同じ、流れ橋。
流れても、ワイヤーが付いてるので、どこまでも流されない。

11年4月9日 (2)

これが面白いですよ。 こんな木を見つけたんですね。 人が支えているみたい。

11年4月9日 (3)

使わなくなったのを、立てかけてあるのかな。

11年4月9日 (4)

手すりがある。 今の川の深さは、大人の腰くらい。 小さな子供には、危険。

11年4月9日 (5)

横に崩れそうだけど、大丈夫。

11年4月9日 (6)

人の足に、似てる。

11年4月9日 (7)

四国の津野町にあった、早瀬の一本橋。 四国カルストから戻る時に、見た。

mmppipponnbasi.jpg

この日は、国道のパーキングに停泊した。
その近くでお弁当が売っていたので、買いに行った。 そうしたら無料で配っていた。
お金は、受け取ってもらえなかった。 お店の名前は、ほっかほっか亭。

IMG_0410ppp09890p


大川小で、多くの子供たちと先生が、津波に流された。
どうして子供たちの命を守れなかったのか。
先生方の責任をどうこうでなく、考えてみたいと思う。 
  ※ 責任は、石巻市教育委員会と学校の管理を任されていた校長にある。 これは、動かないですね。

被災後の、大川小の様子。(写真は、フリッカー・カモメさんより)
左に北上川がある。 右に山が。 山の方に、逃げなかった。

5098907678.jpg

大川小の位置。




どうしてかなと思う部分を整理してみた。
   ※ このことについては、明日書きますね。 もう少し調べて。

① 地震発生、午後2時46分。 津波警報発令、2時49分。
  2時49分にはグランドに出ているが、避難開始は、3時10分頃。
  グランドに、20分。 何があったのか。

② 学校の防災計画で、避難場所は決めてなかったのか。
  裏山に行かないで、橋に向かった。 そこを通って高い所に行こうと。
  襲われる直前、裏山に逃げて助かった子がいる。

③ どうして低い所に校舎を建てたのか。 だれも、疑問を持たなかったのか。

④ 教頭また副校長の名前が出てこない。 児童数108名。 いるはずだが。

⑤ 校長は休暇を取っていたが、地震直後から、どんな動きをしたのだろう。

ポイントは、避難開始まで、どうして20分かかったのか。 なぜ、橋に向かったのか。
この2つでしょうか。

 ※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。   
                                                    (2008年4月~2010年9月までの記事)

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コメント

半鐘

石巻市大川小学校の教師と生徒の地震・津波災害死は最悪の結果になりましたね。ほんとに悲しい。
 結果論ばかりを述べても仕方ないのですが、やはり過去の災害を無視した学校建設だったのではないでしょうか。地域の伝承や言い伝えに少し耳を傾けていたら、高台に学校を建設していたと思います。
 これは結果論です。

 これからは、すべて命を守ることが優先されます。これだけの災害を経験したので、学校を建設するにしても命を守るため、安全なところに建設しなければなりませんね。教育も実践的な救命行動の訓練が繰り返し必要です。

 国民の生命と財産を守るーー22年間ほど、地元の消防団に籍を置いていたのですが、これを何か訓練の有るたび、市長や消防署長が演壇で話していました。耳にタコができるほど、聞いてきました。
少しはそのことが、その重要性がわかります。
こんどの東日本大震災でも211名ほどの地域の消防団の方が亡くなられました。殉死そのものです。
報道によれば、一人は防災サイレンが停電でならず、昔からの鐘の半鐘を打ち続けて、そのまま亡くなられたそうです。その半鐘で100名以上の方が避難され、助かりました。文明の機器は使用できず、原始的な半鐘が活きました。危機管理のときは原始的機器が案外いい働きをするようです。半鐘も、ろうそくも、ラジオも必要不可欠なものです。
 生きていくためには、いっぱい伝承していかねばならないようです。金子みすヾの詩、宮沢賢治の詩も今回は人々の心を慰めました。伝承の詩があります。

 福島県須賀川市はどんな風でしょうか。ここは
マラソンの円谷幸吉のふるさとでした。彼のふるさとは大丈夫だったでしょうか。彼の資料館も見たかったのですが。前を向いて走れ。後ろを振り向くな。---これが彼の親の言い伝えでした。それが正しいかどうかわかりませんが、東京オリンピックのとき、ちょっと後ろを振り向いていれば、イギリスの選手から抜かれなかったかもしれません。しかし、彼の胴メダルは素晴らしいものでした。小学生の私は、その走りにマラソンに感動しました。私にとって、東京オリンピックは円谷幸吉のマラソンそのものです。

 一消防団が鳴らし続けた半鐘は、津波とともに消え去ったのでしょうか。救命の半鐘は、出てきてほしいものです。
 

「大川小」の話は、

「大川小学校」の話は、読売新聞で記事になっています。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110409-00000462-yom-soci

Re: 半鐘

円谷選手が、「あの曲がり角を目指して走る」という言葉を残しています。
山に上る時、この言葉をいつも思い出します。
ほんとうに疲れたら、円谷選手が言ったように、あそこまでって、そうやっていつも登ります。

Re: 「大川小」の話は、

感謝しています。
しばらくの間、気を付けます。


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  • 気仙川に架かる一本橋、松日橋  石巻市大川小の悲劇は、どうして・・・。  他  (2011/4/9)
  • 2011年04月11日 (月)
  • 01時06分34秒
by AlphaWolfy

akkamui212

Author:akkamui212
2009年4月に放浪の旅をスタートし、11回目の日本1周に入っています。
「キャンピングカーで放浪の旅」に続き、パートⅡです。
よろしく。


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