キャンピングカーで放浪の旅 Ⅱ

全国を、写真と動画で探訪

最後は家康が勝つ。
でも、どっちが勝つか、分からない時があった。

家康に味方する者は、裏切らなかった。
西軍は、違った。

たった1日の戦いで、決着。
265年間の江戸時代が続くことに。
歴史を決めた1日だった。

3日間一緒だった東風さんは、朝、道の駅伊吹の里から、須坂に戻った。
    ※    ※    ※    ※  ブログタイトル一覧は、右をクリック。 burogutaitoru656.jpg
          ( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。  再度クリックしたら、元に )

関ケ原は、岐阜県と滋賀県の、県境に近い。



車は、関ケ原町歴史民俗資料館のパーキングに。

ここで少し勉強して、地図をもらう。

14年5月5日 (2)

中の写真は撮れない。  下の、関ケ原合戦図屏風があった。(写真は。Wikipediaから)

pp898ppp.jpg

東軍の大将は、家康。  西軍は、石田三成

小早川秀秋が、左下の、おかしな場所にいる。

14年5月5日 (1)k

この地図で動く。  左回り。  戻ってくるまで、2時間半かかった。

14年5月5日 (3)

秀吉が死んで、歴史は、関ケ原に向かう。

細川忠興陣跡。
戦いの前、石田光成は、大阪にいた妻のガラシャを人質に捕ろうとした。
しかし、ガラシャは、自ら死を選んだ。  ※ ガラシャは、明智光秀の娘。

14年5月5日 (4)   14年5月5日 (5)

関ケ原の東の端に来ている。  戦いは、数百㍍向こうで。

14年5月5日 (6)

西軍の豊臣家は、1つにまとまり切れてない。
光成は、戦国武将というより、秀吉の子の秀頼の世話役の感じ。
秀頼の力で、豊臣家を仕切っていた。

戦国大名の誰が信用できないとかの情報は、石田光成の口から、秀頼に入った。
だから、光成に恨みを持つ者もいた。

こんな道を。

14年5月5日 (7)

家康は、周りの大名に、年始のあいさつに来いと、文書を出す。
断ったのがいた。 米沢の上杉景勝。
部下の直江兼続は、何で行かなければならないのかと、かみついた。(直江状) 

  ※ 兼続は、気が強い。 
    子供の時、寺に預けられ、こんなとこに来とうはなかったと言った、あの気の強さと同じ。
      雲洞庵は、兼続が、「わしは、こんなとこ、来とうはなかった」と言った寺。~南魚沼市~  他  (2013/10/21)

岡山烽火場。   ここで、狼煙(のろし)を上げる。  戦い開始の合図。

14年5月5日 (8)

家康は怒って、上杉征伐に、軍を出す。  米沢に向かう。

黒田長政、竹中重門(しげかど)。  竹中半兵衛の息子。  
       ※ 竹中半兵衛の生地は、ここから遠くない。 今日の道の駅の池田温泉から数㌔。

14年5月5日 (9)

石田三成は、家康に天下を取られる不安があった。
家康征伐に乗り出す。
まず、伏見城を攻撃する。   伏見城には、家康軍の残留部隊がいた。
鳥居元忠たち。   兵は1800。  この数では、太刀打ちできない。
討ち死に。 城内は血の海。   死体は、関ケ原の後に、片付け。
床に浸みた血は、洗っても取れない。 この床板が、血天井に使われる。

家康、それを聞いて、急いで引き返す。 宇都宮の手前の、小山から引き返す。

狼煙が上がって、戦闘開始。

14年5月5日 (10)

見える平地の真ん中左に、家康の陣地。  戦いは、写真の右部分で。  
光成の陣地は、見えない。  もっと右。

14年5月5日 (11)

家康は、西に向かう時、部下にこう言った。
豊臣家に人質を取られている者は、向こうに行っていいと。 つまり、西軍に。
そして、決して追うことはしないとも。

家康は上手だ。 誰も、動かなかった。
妻のガラシャの細川忠興も。

徳川軍は、こうやって、心を1つにしていった。

遊歩道は、森の中。   クマに注意とあって、捕まえる檻(おり)もあった。

14年5月5日 (12)

真田昌幸は、西軍に付いた。 これは、家康にとって痛かった。  息子の1人は、こっちだが。

ずっと雨。  傘をさして、カメラを抱いて。

14年5月5日 (13)

家康軍の半分は、中山道を通った。 秀忠が率いて。
ところが、上田城で足止め。 中には、真田昌幸がいる。  城は落とせなかった。

秀忠軍は、関ケ原には間に合わなかった。

決戦地に来た。 この場所が、一番の激戦地。  右に、石田三成の陣地。   旗が見える。

14年5月5日 (14)

それでも家康が勝てたのは、諜報戦が上手だったから。  ※ 諜報戦と云えば山本勘助を思い出す。
西軍の小早川秀秋を、まるめ込んでいた。

下にあるが、小早川軍は西軍の大谷軍をやっつけてしまう。
   ※ 大谷吉継は、ハンセン病と言われており、こんな格好をしていた

形勢は一気に、東軍有利になる。  勝負は決まった。

小早川軍は、裏切り易い場所に、陣を構えていた。

14年5月5日 (15)

右上に、石田三成軍の陣地。

14年5月5日 (16)

島津義弘陣地。  負けが決まって、逃げる時、敵陣の中を突っ切った。 島津の気概を見せた。
島津義弘はしたたかで、関ケ原の後も、領地を安堵されることになる。

しかし、遺恨は残っており、250年後、薩摩は幕府に立ち向かう。

14年5月5日 (17)

左に今見た、島津の陣地。  遠くの旗は、次に行く、開戦地。

14年5月5日 (18)

開戦地。

14年5月5日 (19)

福島正則軍が先陣を切る。  決めてあったこと。 ところが、井伊直政軍が、抜け駆けして発砲。

14年5月5日 (20)

小西行長陣地。  西軍。 上のすぐ近く。  負けて、切腹を拒否して、斬首。

14年5月5日 (21)

地図の南の方から、北を。  左側が、戦った部分。

14年5月5日 (22)

この道は、中山道。

14年5月5日 (23)

道を渡って、さらに。  旧道には、雰囲気がある。

14年5月5日 (24)

福島陣跡。  福島正則は血気盛んな感じ。 似合う俳優が、いつも演じる。   先鋒を任されていた。

14年5月5日 (25)

こうです。

14年5月5日 (26)

藤堂高虎、京極高知陣地跡。  高知は、初(はつ)が嫁いだ高次の弟。

14年5月5日 (27)

槍で突いて、刀で切って、戦場は、この世の地獄。

14年5月5日 (28)

西首塚。 東もある。

14年5月5日 (29)

松平と井伊陣跡。 

14年5月5日 (30)

東首塚。

14年5月5日 (32)

首塚と云うから、首だけなのか。   

  ※ 戦って倒した者の首は、証拠。  だから、首を切るよう。
    でも、首を切ってる間に、自分が切られたらどうするのか。

    1人倒したら、首を切って、一旦戻るのか。
    強いものは、次から次と、切り倒すように思うが。

14年5月5日 (31)

戻って来た。 資料館の向かいに、家康の陣が。 ※ 家康の陣の所に、資料館をつくったよう。

14年5月5日 (33)

戦いが始まって、前線に近づいた。

14年5月5日 (35)

誰が持ってきたかを、記録するんですね。
こうやって、戦場での戦いを評価する。 そういうことなのかな。

14年5月5日 (34)

何万という戦った者は、勝ったとき、どんな恩賞があるのでしょう。
命をかけてるから、それなりの物でなければ、合わないような。
もしかして、無理やり戦場に駆り出されているのか。

勝った家康が、一番賢かった。

1600年の9月15日、この日、日本の未来が決まった。

※ なお、家康に逆らった上杉景勝は、家康に詫びを入れて、許してもらった。
  
  大幅な、減封で。

【今日の歌】  夏の思い出   夏になりました。  立夏です。  



【道の駅】 池田温泉   

【明日の予定】   今いる近く。  

 ※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。   
                                                         (2008年4月~2010年9月までの記事)

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  • 天下分け目の地、関ケ原古戦場跡を歩く。  勝敗は、結束の差。~関ケ原町~  他  (2014/5/5)
  • 2014年05月06日 (火)
  • 07時12分24秒
by AlphaWolfy

akkamui212

Author:akkamui212
2009年4月に放浪の旅をスタートし、7回目の日本1周に入っています。
「キャンピングカーで放浪の旅」に続き、パートⅡです。
よろしく。


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