FC2ブログ

キャンピングカーで放浪の旅 Ⅱ

全国を、写真と動画で探訪

北川郷に生まれ、命を賭して、倒幕と維新のために戦う。
最後、龍馬と共に近江屋で襲撃され、29歳と7ヶ月の生涯を閉じる。

この時代の正義また大道は何なのかは難しい。
でも、徳川幕府を倒さないと新しい世の中はつくれない、と考えたのは、それでいいと思うが。
私利私欲で動かず、信念を曲げなかった所に魅力があるのか、多くのファンがいる。
また、彼の行動は、歴史家からも高く評価されている面がある。

現在の地名は、北川村柏木。


ここは、中岡慎太郎館。 北川村が運営している。
このような施設は、公的なのがいい。 入館料が、施設の充実に使われる。
そうでなければ、利潤の追求になり、たいてい経営に失敗する。

11年1月6日 (1)

奈半利(なはり)川が、谷の下を流れ、大きくカーブしている。
なだらかな山の斜面に、集落がある。

慎太郎の家は、斜面の中腹で、写真の左に屋根が見える。

11年1月6日 (2)

理想に燃えた、若き日の慎太郎の像があった。 今にも動き出しそう。 
顔を近づいて見ると、表情が読み取りづらい。

11年1月6日 (3)

笑ってる写真。 こういうのは、滅多に見ない。 昔の人は、写真で笑わない。

11年1月6日 (4)

1時間あれば、全部見て歩ける。 慎太郎館は、最後に見ることに。

11年1月6日 (5)

中岡記念公園。  石碑は、昭和5年の物。 
当時すでに、石碑ができるだけ評価されていたということか。

石碑の除幕式に、慎太郎の死後、陸援隊隊長になった田中光顕が出席したとあった。
この人は、龍馬と慎太郎が襲撃された時、近江屋に駆け寄っている。
また、薩摩の黒田清隆ともつながりがある。
※ 黒田清隆は、明治の初め、北海道の開拓長官になる。
  私が根室にいたときの花咲小学校は、この人が命名する。 花咲学校と。

11年1月6日 (6)

慎太郎生家。

11年1月6日 (7)

慎太郎の家は、大庄屋だった。 
※ 庄屋は一つの村を取りまとめる。 大庄屋は、いくつかの村を。

11年1月6日 (8)

慎太郎は、学び続けることから、人生が始まる。
3歳で、父から読み書きを。 4歳で、寺の和尚から読書を。 7歳で、となり村で儒学を。
大人になるまで続く。 いつも、時間が足りなかったという。

この家は、復元した物。

11年1月6日 (9)

歩くのは楽しい。 何かに出会う。 名前は?

11年1月6日 (10)

ミカン畑の道を歩いて、見晴らし台に向かった。 慎太郎が川に飛び込んだ岩もある。
それから、磨崖仏も。 右の○に磨崖仏。 この時は、どこかは分からない。

11年1月6日 (11)

この岩の高さは、20㍍。 慎太郎は、上から川に飛び込んだ。 誰もがはできなかった。
慎太郎の性格の一端が見える。

11年1月6日 (14)

これが、磨崖仏。

11年1月6日 (12)

拡大すると、こう。
上に、秋葉大権現。 その下に、カラス天狗。 その下に、何かの動物。
※ カラス天狗(Wikipedia)  義経に剣術を教えたのは、カラス天狗と言われている。 想像上の動物だけど。
※ 秋葉神社 (浜松市)   義経修行の地、鞍馬寺 (京都市)

カラス天狗の羽根も分かる。

11年1月6日 (13)

※ 磨崖仏(まがいぶつ)をいくつか。  臼杵①   臼杵②   豊後大野市   鹿児島県喜入   国東半島

ここを飛び込んだ。 岩に行く道は、何とかある。 ※ 行って見ればよかった。

11年1月6日 (15)

見晴らし台からの風景。 慎太郎の家は、右の森のかげ。
高速のような立派な道が、この村まである。 

11年1月6日 (16)

山の上の道から、慎太郎の生家を。

11年1月6日 (17)

慎太郎の遺髪墓地のある、松林寺へ。 実際は、松林寺跡。

11年1月6日 (18)

右から2番目の、少し背の高いのが、慎太郎の墓。 左隣は、妻の兼。
※ 慎太郎は、禁門の変の前、実家に髪の毛を送った。
※ 禁門の変は、京都御所の蛤御門(はまぐりごもん)の辺りが、一番戦いが激しかった。
  それで、蛤御門の変とも言われる。  蛤御門

11年1月6日 (19)

最後に、慎太郎館へ。 写真は撮れないので、パンフレット。

ガラスの中の屏風は、近江屋にあったもの。 血染めの屏風で、慎太郎と龍馬が襲撃された部屋にあった。
赤○の中に、血が飛び散った跡がある。
※ これは、精密に作られた複製品。 本物は、京都国立博物館に。

11年1月6日 (20)

慎太郎の書など。

11年1月6日 (21)

私は、1時間近くビデオを見た。 慎太郎の一生を描いたもの。

11年1月6日 (22)

江戸から明治にかけて、歴史がどのように動いたかは分かりにくい。
大政奉還があっても、徳川(江戸)幕府は、まだあきらめていない。
龍馬や慎太郎は、新しい時代は倒幕の向こうにあると考えた。

2人は、各勢力を倒幕に向けて調停を図り、つなぎ合わせた。
敵も多く、近江屋で襲われることになる。
しかし、2人は、もう時代の流れを変えていた。

慎太郎が亡くなったのは、襲われた2日後の、1867年11月17日。 龍馬は、襲われた日に。
明治維新は、次の年の、1868年10月23日。
2人が夢に見た日は、1年を待たずやってくることになる。
 
歴史家の中には、時代を動かしたのは、龍馬より慎太郎が上、と言う考えが少なくない。

最後に、慎太郎がなぜ、田舎から中央に出たかだが、資料館の人がこう言った。

慎太郎は、大庄屋の仕事を継いだ。(見習いとして)
しかし、庄屋がどんなに努力しても、農民の暮らしを良くするには限界があると悟った。
根本的には、国を変えなければと。 
それが、すべてのスタートだった。 24歳の時。

【道の駅】     田野駅屋  昨晩と同じ

【明日の予定】   別の沢の、山の中に入ってみようかと。  馬路(うまじ)村。 

※ キャンピングカーで放浪の旅」は、こちらです
    8,9月分だけ、タイトル一覧表が出来ています。      

【ランキング】  国内旅行は5位、 旅行全体で10位です。  放浪の旅は30位です。         
         クリックするバナーは、左の下にあります。 よろしく。
【動画】
中岡慎太郎館へ   曲は、雪よふれ


          
            記事は役立ったでしょうか。
            気に入った所などがありましたら、クリックをよろしく。
                     ※ クリックするバナーは、下のです。 
                   
              ありがとう!!

                   ※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
   
スポンサーサイト



スポンサードリンク

 
 

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://akkamui212.blog86.fc2.com/tb.php/104-db176166

openclose

04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09 

  • 中岡慎太郎の故郷、北川村を訪ねる。~生家 慎太郎館 遺髪墓地 他~   他  (2011/1/6)
  • 2011年01月06日 (木)
  • 22時31分52秒
by AlphaWolfy

akkamui212

Author:akkamui212
2009年4月に放浪の旅をスタートし、十数回目の日本1周に入っています。
「キャンピングカーで放浪の旅」に続き、パートⅡです。
明日は、どこの空の下にいるのかな。


03 | 2020/04 | 05
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -


-天気予報コム- -FC2-

現在の閲覧者数:

名前:
メール:
件名:
本文:

QR

気に入った所がありましたら、よろしく。