キャンピングカーで放浪の旅 Ⅱ

全国を、写真と動画で探訪

平安時代は、天皇が権力を持っていた。
終わり頃は、平氏といい関係をつくって。

しかし、頼朝は平氏を、最後は壇ノ浦で倒した。
時代は武士の世の中になって、鎌倉時代。

天皇家は、実権を取り戻すため、反撃のチャンスを待つ。
後鳥羽上皇とその皇子の順徳天皇が中心になり、承久の乱を起こす。

でも負けて、上皇は隠岐に、順徳天皇は佐渡に流された。
悲嘆の日々を過ごす。

2人とも和歌が得意だった。
百人一首の99番が後鳥羽上皇(院)。 最後の〆の100番は、順徳天皇。
これには、意味が。

今日初めて、順徳天皇の歌に出てくる、都忘れ(ミヤコワスレ)を見た。
いつか見たいと思っていた花。

お知らせ  写真が一瞬に大きくならない時が。
        佐渡に入ってから。

        その前後の記事に問題が。
        普通は直ぐに見つかるが、今回は分からない。

        どの記事に問題があるか、近々調べます。
        1日ずつ、記事をいったん消して。 時間がかかります。

        初めてのこと。 このままでは、大変。
        再度やり直して記事を見たら、直ることが。                   
     ※     ※     ※     ※  ブログタイトル一覧は、右をクリック。 burogutaitoru656.jpg
          ( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。  再度クリックしたら、元に )

印が真野(まの)御陵。  紫〇は真野宮。   
赤〇は順徳天皇と一緒に島に来た、日得が開基の妙宣寺。  ※ 日得~遠藤為盛

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紫〇の右隣に、佐渡歴史民俗館。 明日行く。 撮影可。

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正面、松林の中に真野御陵。 正式名は、順徳天皇御火葬塚。
広い駐車場。  お店が数件。   ※ 赤い石が売っていた。(中には赤いジャスパー(碧玉)も) 

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順徳天皇の百人一首の歌は、

 「 百敷(ももしき)や 古き軒端(のきば)の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり 」  意味は後ほど。 

明治に入って整備された。  (寺は破壊されたけど、天皇の墓と神社は大事に)

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順徳天皇の墓は、大原にあるんですね。  ここで焼いて、大原に。  
火葬塚として、宮内庁管理と。

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少し行って左に入る。  ず~っと奥まで歩けたらいい。   石碑がある。

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左は、東宮駐駕之處とある。 ひがしみやちゅうがのところ、でいいかな。
駕(が)は、人を乗せる駕籠(かご)の駕。 東宮は皇太子のこと。

調べたら、昭和天皇が皇太子の時に来ている。 
それのことかなと。 後で行く真野宮に、手植えの松があったので。

右については、写真の下に。
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上の右写真について。   全体を調べてみた。
 
凛冽萬古存と上にある。 
読みは、凛烈(りんれつ)として萬古(ばんこ)に存す。   意味は、永遠に残る。

下の漢詩を作った。   吉田松陰と宮部鼎蔵(みやべ ていぞう)の2人が。 

   異端邪説誣斯民 非復洪水猛獣倫
   苟非名教維持力 人心将滅義與仁
   憶昔姦賊乗国均 至尊蒙塵幸海濱
   六十六州悉豺虎 敵愾勤皇無一人
   六百年後壬子春 古陵来拝遠方臣
   猶喜人心竟不滅 口碑於今傳事新

         吉田松陰撰

   陪臣執命奈無羞 天日喪光沈北陬                          
   遺恨千年又何極 一刀不断賊人頭
 
         宮部鼎蔵撰

2人は、嘉永五年(1852)2月に、東北旅行をしている。  その途中、真野御陵を訪れた。
順徳天皇を佐渡に流した北条執権に憤り、上の詩を詠んだ。

ここに詳しく

※ 吉田松陰については下に。
    討幕運動の中心、長州藩の本拠地の萩を歩く。 木戸孝允旧宅、他。~萩市~ 他 (2014/11/28)

※ 宮部鼎蔵(みやべ ていぞう)は、池田屋事件で命を落とす。
  池田屋で幕府をどう倒すか密談。 彼はその時の中心人物。 肥後(熊本藩)の藩士。
                               (吉田松陰と知り合い、で討幕で動く) 

  土方歳三たち新選組に襲われる。   
  上の記事の木戸孝允(たかよし)は、たまたま時間がずれて、その時いなかった。 

  熊本県に通潤橋がある。 橋の名前は彼が書いた。 石碑がある。

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さらに曲がる。 宮内庁の管理。

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右に少し行くと、左にこのように。

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これでお終い。 火葬は、この奥で。

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航空写真で見ると、自分は印まで入っただけ。

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この後、妙宣寺に向かった。  仁王門から入った。

順徳天皇と一緒に、遠藤為盛は島に来たが、天皇が亡くなると出家した。
自宅を寺にしたのが、妙宣寺の始まりという。

彼の名前は、日得(にっとく)に。

日蓮に出会い、浄土宗から改宗。  日蓮宗で大きな存在に。

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仁王門の像。

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ここの魅力は、五重塔。  重要文化財。  五重塔は新潟県には、ここだけのよう。
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未完成だという.お金がなくて。  手すりのような高欄がない。 窓が空きっぱなし。それもかな。

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一番右は、日光の東照宮の五重塔。  同じものを作ろうとした。(Wikipedia)  似てる。

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山門か。

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この雰囲気。

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日野資朝(すけとも)の墓。  後に、後醍醐天皇も幕府と戦う。 負ける。
彼も天皇のもとで戦うが、捕まって佐渡に。 後に処刑される。

後で行く真野宮には、この人も祀っている。

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祖始堂。 ここには、日得の像が。   

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本堂。  大きい。

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庫裏。  屋根の形は、唐破風(からはふ)。 茅葺屋根では珍しい。  堂々としている。


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出口の方から、祖始堂を。

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上の写真の左に花畑。 スズランがある。  
スズラン香る初夏の候。(小学校の時の運動会の応援歌の歌詞に) 今も歌える。

あれって思ってみたら、ミヤコワスレ。    写真で覚えていた。

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晩に、葉の形なども確認。  初めて、ミヤコワスレだなって見た。
順徳天皇は、下の歌を。

   「 いかにして 契りおきけむ 白菊を 都忘れと 名づくるも憂し 」

都忘れの花の歌は、この歌から広まる。 関ヶ原の戦いの西軍の副大将は宇喜多秀家。 彼も流されて歌った。
     宇喜多秀家の潜居跡。  島津にかくまわれて、最後は八丈島に。  死罪を免れたのは?~垂水市~ 他 (2016/1/6)

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戻る途中、佐渡国分寺に。

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はるか昔のは、隣にあった。 後で。

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本堂。

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国分寺跡。

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戻って、真野宮に。

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ここに昔寺があって、そこで亡くなった。  寺は、右の上にあった。  ※ 住んでいたのは、別の所。

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この上。  行けない。   小さく、1つの石で作った五輪塔。   穴は、移築した古墳。

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そうして別の道を戻ったら、歌碑。  百人一首だ。  順徳天皇の。
    「 百敷(ももしき)や 古き軒端(のきば)の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり 」 (100番)

  意味は   宮中の古びた軒から下がっている、忍ぶ草を見ていても、
        しのんでもしのびつくせないほど、思い慕われてくるのは、
        古きよき時代のことだよ。 (百人一首講座より) 

ちなみに、父の後鳥羽上皇(院)はこんな歌。
    「 人もをし 人も恨(うら)めし あぢきなく 世を思ふ故(ゆゑ)に もの思ふ身は 〉 (99番)

  意味は   人間がいとおしくも、また人間が恨めしくも思われる。
        つまらない世の中だと思うために、悩んでしまうこの私には。(百人一首講座より)

※ 百人一首を選んだのは、藤原定家。 公家。
  鎌倉時代になって、もう昔とは違う。 彼も、上の2人と同じ思いで過ごしていた。

  そんなことがあって、百人一首の最後の締めくくりの歌を、2人の歌にした。  

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今日は、いろんなものに出会いました。
ミヤコワスレは、歩きながら、ずっと探していました。

順徳天皇はいい歌を作った。 
自分の思いを言葉で表現した。  多くの人の心を動かした。

それが無ければ、自分はここに来ないでしょうね。

【今日の一句】  つくれたら後ほど。

【今日の歌】  見つかったら後ほど。

【道の駅】  芸能とトキの里

【明日の予定】     佐渡歴史伝説館に。     雨の予報なのでちょうどいい。

 ※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。   
                                                         (2008年4月~2010年9月までの
.記事)

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 ※ プロフィール・・・。 ⇒  ppkkpkk44xxx.jpg  2015021215202259f_20150219173812c9f.jpg     今までの記事には、この2枚だけ。

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akkamui212

Author:akkamui212
2009年4月に放浪の旅をスタートし、7回目の日本1周に入っています。
「キャンピングカーで放浪の旅」に続き、パートⅡです。
よろしく。


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