キャンピングカーで放浪の旅 Ⅱ

全国を、写真と動画で探訪

稚内駅周辺は、すっかり変わった。
駅舎は、明るいイメージで、今風。 誰が設計したんだろう、って思う。
広い大地と、青い空に、似合っている。
最果ての地に下り立った時、誰もが、暗い気持ちにはならない。
    ※    ※    ※    ※

中央に稚内駅。
地図に、道の駅は載ってないけど、駅の右側に駐車場。 ずっと右の海まで。

地元の人が停めようが、誰が勝手に停めようが、広すぎるから、困らない。

12年8月30日 (3)m

道の駅の建物は、JRの駅と同じ。 両方を、併設している。 
※ 建物全体は、キタカラと呼んでる、複合施設。

道の駅のトイレは、駅舎の左端にある。 24時間。

※ 道の駅は、JRの駅のように、道にも駅があったらいいなと、あっちこっちに作られた。
  当初は、JRの駅のないところに多く作られたが、最近は、駅の近くにもある。
  さらに、稚内のように、両方一緒の駅も珍しくなくなった。

12年8月30日 (2)

古い稚内駅は、この辺にあった。 線路は、ここまで来ていた。 それで、記念碑。

更にもっと昔は、まだまだ線路はあった。 防波堤の方まで。
その部分は、道に、線路の模様。 写真に、少し見える。

12年8月30日 (1)

下の写真は、2010年8月20日に撮影。 古い駅と、新しい駅の一部が、いっしょにある。

この時、どこが駅なのか、すぐに分からなかった。

20100821132222e1fnn.jpg

稚内駅は、日本最北端の駅。 最西端、最東端は行ったが、最南端は、行ってない。

※ 最西端の駅は、たびら平戸口駅。  最東端は、東根室駅。   関連ブログは、最後に。

今の駅には、線路は1本しかない。
昔は、網目のようにあった。 船に乗る所までも。  
全盛期は、トラック輸送が始まる前か。  

65667.jpg

駅舎には、映画館やコンビニもある。

吉永小百合だ。 映画のロケがあった。

12年8月30日 (5)

吉永小百合は、どうして、こんな風に見えるんだろう。
健康と、考え方の若さかな。 生き方もあるか。

私は、この写真を見ていたので、ニーナさんが彼女と重なった。

子供たちの表情がいい。

12年8月30日 (4)



※ JRの大人の休日クラブで、宮古編が出た。 新しい。
  吉永小百合は、いつも、さあ行くわよ!、っていう雰囲気を持っている。
  そこが、好き。
      ( 私の調子いい時は、どこまでも行くぞ、ってなるんだが・・・。)



駅の隣に、北市場。 通路に、タラバガニがいた。 ※ この大きさだと、1万5~6千円だそう。

12年8月30日 (7)

稚内港北防波堤ドーム。
※ 私は、駐車場の、一番端に停めている。 目の前に、これが見える。

12年8月30日 (8)

観光客は、これは何だろうって考える。 不思議なデザイン。 考えた人に、脱帽。
この下を通って、向こうに行く。 そして、船に乗った。
※ 今のフェリー乗り場は、こっちではない。

12年8月30日 (9)

昭和11年に完成して、昭和55年に改築された。
 ※ 戦後、大鵬親子が、この下を手をつないで、向こうからこっちに歩いてきたのかな。
   母親の体調が悪かったので、下船した。 船は、留萌沖で撃沈される。

12年8月30日 (10)

木の枠を作って、その中に、コンクリートを流し込んだ。
昭和6年から、作り始めた。

12年8月30日 (6)

防波堤の上を歩けたら、面白い。

12年8月30日 (11)

ずっと向こうに、宗谷岬がある。

12年8月30日 (12)

中央に、稚内駅。

12年8月30日 (13)

今日は、いそがしかった。
昨日の、ニーナさんのブログが、とりあえず完成したのが、夕方の5時過ぎ。 朝から、ずっと。
急いで印刷して、ペチカにいるニーナさんに届けてきた。
見てもらって、直しが必要な所は、直すことになる。

明日の晩(31日)、Tさんと、ペチカにもう一度行って来る。

【関連ブログ】  日本最西端の駅、たびら平戸口駅  たびら昆虫自然園 ~平戸市~ 情熱のルンバ、純情二重奏 (2012/1/27)
           日本最東端の駅 東根室駅  明治公園  涙香岬  他 ~根室市~   他  (2010/9/2)
         ※ 最南端駅は、鹿児島県の西大山駅。 開聞岳が目の前。
           近くを何度も通っているが、寄ったことはない。 今度。
                      ※ 開聞岳には、2010年1月1日に登った。 その時の写真。
        20100101233202f5cp.jpg

【今日の曲】
百万本のバラを、徳永英明が歌っていることは、ニーナさんも言っていた。
画面をクリックすると、YouTubeに。

tokunagatrt56.jpg 

演奏は、三根信宏。 プロ。  ※ 昔、ディック・ミネと云う歌手がいた。 その人の、3男。



【その他】
城之内早苗の「北の旅路」という歌だが、舞台は網走駅と思っていたが、稚内駅でも合うように思う。
特に、古かった時の駅。
涙の岬、と云う言葉が出てくる。 どっちの岬だろう。 どっちも、涙の岬か。



※ この曲の思い出に関しては、2011年11月22日に、詳しく書いてあります。
※ この曲にコメントを書いてくれた人がいる。
  少し前、亡くなった。 亡くなる前日の晩、その人からメールをいただいた。
  次の日の早朝、返事のメールを送った。 読んでいただけたか、分かっていない。

【道の駅】   わっかない

【明日の予定】   どこかを歩く。 山の上の、稚内公園に行くとか。

※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。   
                                                    (2008年4月~2010年9月までの記事)

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よかったですよ。
ニーナさんが歌う「百万本のバラ」。
上手でした。 
ニーナさんの声は、聴いてて、とっても心地いいものでした。

「大好きなあなた」と云う曲も、歌ってくれました。
初めて聴く曲。  ( ネット上には無い曲です。)
これも、いいですよ。
    ※    ※    ※    ※

ニーナさんは、最果ての町、稚内にいます。



お店は、副港市場の前。



いくつかお店があって、まとめて、波止場横町。



    ※ ここから少し、私的な部分。

      Tさんと、7時に待ち合わせしていた。
      ところが、6時頃、時間があるから家に遊びにおいでって、車で迎えに来てくれた。
      ビールを飲んで、お寿司を御馳走になってしまった。 ウニもたくさん。
      奥さまと3人で、稚内のことを、おしゃべり。

      Tさんは、Aさんと云う人を誘った。
      私は、大学以来会っていない。

      7時半にお店の前に。 奥さまが送ってくれた。
      Aさんがやってきた。 不思議なもんで、昔の面影は、ちゃんと残っていた。 
      少し早口で、大きな声の話し方は、同じだった。

ロシア料理、ペチカ。  店長は、ニーナさん。

12年8月29日 (1)

お店は混んでいた。 
外で15分程、空くのを待った。
店の中には、ニーナさんと思われる人が動いていた。 すぐに、分かった。

今日の稚内は、夜になっても、むし暑い。
外で、風に当たっていたら、丁度いい。
この暑さは、稚内の人達に、これで暑い日はもう十分ですね、と言ってるようだ。

ロシア料理。 食べたことないものばかり。
下のは、ロシアの餃子。 焼いたのを注文。

12年8月29日 (2)

酒は、最初はビール。  
  ※ 飲んだのは、バルチカビール。 ビール会社「バルチカ」のビール。
    本社は、サンクトペテルブルク。
        (バルチカ、と云う言葉は、バルト海のバルトと、関係ありそう)
    ハバロフスクでも、作られている。 (アムール川沿いにある町)
    度数を選べるのが、特徴。 注文したのは、4%程の度数の低いやつ。

飲みやすく、くせが無い。 美味しい。
その後は、のどが焼けるようなウォッカを、水を飲みながら、飲んだ。

8時半過ぎ、ニーナさんは、歌の準備をした。
この時間になったら、いつも歌うよう。

12年8月29日 (3)

最初、短い曲を歌った。 この時に、写真を撮って、動画の準備をした。 
                 ※ ニーナさんに、了解をいただいて。 YouTubuに載せることも。

12年8月29日 (4)

歌詞は見ない。 当たり前か。 彼女は、若い時から歌っている。 
ギターの音が、はっきりしている、という印象を持った。

※ 追記  ニーナさんの使用しているギターは、フラメンコギター。(31日に、ニーナさんに聞いた)
        これは、ナイロン弦のアコースティックギターの一種。
        明るくて、立ち上がりが鋭く、歯切れの良い音色を特徴とする。(Wikipedia)

        余計な話・・・私のミニアコースティックギターも、ナイロン弦。 私が勝手に、張り替えた。
                やわらかい音が、好きなので。

12年8月29日 (5)

※ お客さんの中には地元の人もいて、ニーナさんの歌声を聴きなれてる人がいます。
  その人は、歌を聴きながら、お話しを続けています。
  でも、歌が始まったら、そんなに気になりません。

ニーナさんと、百万本のバラについて、少し話していた。
そんなことがあって、歌ってくれた。



次に歌ったのが、「大好きなあなた」。 遊び心いっぱいの歌です。
素晴らしい歌だけど、日本には伝わっていない。
           ※ 題名だけ、「おけら」という音楽のサイトに載っていた。 他は、ない。  
キュートな、歌い方ですよ。   



いろんな料理を注文した。 酒も色々。

12年8月29日 (6)

歌の後、仕事の合間に、ニーナさんは、私の質問に答えてくれた。
ここからは、ニーナさんを紹介。

ニーナさんのお父さんは、日本人。 (満州鉄道の調査部にいた)
お母さんは、ロシア人。 (ニーナさんは、ハーフロシアンと、自分を言っている)
ニーナさんは、ハルビンで生まれた。

※ ニーナさんの家系は、母の父の代から、ハルビンに暮らす。
  母の父は、満鉄の技師として、ロシアからやってきた。
  ニーナさんは、祖父がやってきたのは、1890年代と言った。
  このことについて、調べてみた。

  この時はまだ、ロシア帝国時代。
  ロシア帝国は、1898年に、満州横断鉄道の建設を始めた。
  高い教育を受けた技師として来ているから、この1898年に来たと考えていい。

  1917年にロシア革命。
    ※ この時期に、外国に出た人は、白系ロシア人と呼ばれる。
    ※ スタルヒンの家族は、革命の後に逃げたので、白系ロシア人。
  ニーナさんは、白系ロシア人ではない。(ニーナさんも、そう考えている)

ハルビンは、下の地図。 
   ※ スタルヒン家族も、何年か、ハルビンにいた。 一緒にいた時代がある。
   ※ 稚内と、緯度が、そんなに変わらない。
   ※ 日ハム、旭川スタルヒン球場で、大勝。  1イニング、11点。  市民の応援が届いた。~旭川市~  他  (2012/8/21) 



ニーナさんのお母様。 美しい人です。 
名前は、ガールムシェワ・エフゲニヤ・ニコラエブナ。
  ※ ニーナさんの話では、ニコラエブナ、というのは、よくあるそう。
    そう言えば、アナスタシア・ニコラエブナ、という人がいた。 最後のロシア皇帝の、第4皇女。

  ※ ここからの写真は、アルバムの写真を撮影させていただいた。

12年8月29日 (9)

アーラ・プガチョワ。 この人が、旧ソ連で、最初に「百万本のバラ」を歌う。



ここで、ニーナさんが、どうして、百万本のバラを歌うことになったのか。

ニーナさんは、若い頃、水星社という所に所属していた。
水星社は、ロシアのヒット曲を探していた。
その時に、百万本のバラを見つけた。

日本で売り出すことのできる権利(著作権)を買い取った。
歌ったのは、ニーナさん。
 ※ 買い取ってからの1年間、歌ったのはニーナさんだけ。 
   会社は、他の人には、歌わせなかった。

 ※ ニーナさんは、1978年から、NHKのロシア語講座の今月の歌で、色んな歌を歌い始めていた。
   レコードデビューは、1982年。

1983年に、百万本のバラを、ロシア語と日本語で発売。
この時の歌は、YouTubuには、ない。 ※ 誰か載せたらいいのに。

1984年に、岩谷時子さんの訳詞で、小田陽子さんが歌う。
サビのロシア語の部分の発音が難しいということで、ニーナさんが、小田さんの発音に関わったと云う。

この小田陽子さんは、百万本のバラの原曲の、「マーラが与えた人生」も歌っている。
歌が生まれた、ラトビアに行っている。



加藤登紀子のお父さんは、ニーナさんの歌が、大好きだった。
ニーナさんのレコードを、たくさん売ってくれた。
  ※ 実は、親同士は、おトキさんのデビュー前から親しい関係。

そんなことで、ニーナさん、おトキさんを含めた、家族ぐるみで親しくなっていく。
  ※ 現在も、親しくお付き合い。
  ※ 加藤さんの家族も、ハルビンにいた。 おトキさんは、ハルビンで生まれている。

1987年に、加藤登紀子さんが、百万本のバラを歌って、より、全国的に広めることになる。

12年8月29日 (8)

1987年の7月に、プガチョワさん夫妻が、初めて、日本に来る。
おトキさんが、日比谷の野外音楽堂で歌うことになり、そのゲスト出演のために来た。
 
プガチョワさんは、おトキさんを通して、ニーナさんを知った。
当時、ニーナさんは、銀座に店があった。
下の写真は、ニーナさんのお店で撮影。 

左は、ニーナさん。 
右は、アーラ・プガチョワ。 旧ソ連で、百万本のバラを最初に歌った人。
旧ソ連で最初、日本で最初、その2人が並んでいる。

12年8月29日 (7)

男の人は、プガチョワさんの当時の旦那様。  ニーナさんは、いつも、ちょっと控え目な表情。 それがいい。

12年8月29日 (10)

※ 上の写真の、後ろの絵は、忘れえぬ女(ひと)。(私の絵を撮影)     忘れえぬ女 (イワン・クラムスコイ)  他  (2009/07/07



ニーナさんは、独学でロシア語を学んだ。
お母さんは、もちろん話せたが、ニーナさんに教えるのが、大変だったよう。

ハーフロシアンの友人の紹介で、近くに住んでいるグルジア人女性と知り合いになる。
それがきっかけで、1年半、グルジアに行って暮らすことになる。(2005年~)
  ※ グルジアは、「百万本のバラ」の唄で、バラを贈った画家、ピロスマニの国でもある。
  ※ 場所は、シリアの北にトルコ、トルコの北にある。



※ 676543kkkk.jpg    676543pppppoop.jpg

  ピロスマニはマルガリータに、バラを贈るんだが、その舞台は、ソチ。  1894年のこと。

   ※ この時のピロスマニの年齢は、32歳と分かっている。   
     でも、マルガリータの年齢が、どうしても分からない。  
     1969年に、彼女は、ピロスマニの描いた上の右の絵を、パリで見ている。(と言われる)
     出会った年から、75年経っている。 15歳から、20歳の間か。
     分かる人がいたら、教えてほしい。     

  ソチは、2014年の冬季オリンピックが、開催される町。
  ソチは、ソ連時代、保養地として整備されていった。

soti87899.jpg

 ※ グルジアでは、バラ革命と云う、無血の革命があった。
   このバラは、アンネのバラ
     ( つぼみは深紅、花が開き始めると、黄色から淡いピンクへ変化。)

2006年の秋に、1年半ぶりに、日本に戻った。 
ニーナさんから見た東京は、人が混み入っていた。

北海道を旅した。 道東に住むつもりでいた。
息子さんが稚内にいたので、遊びに行ったみた。
そうしたら、稚内を気に入ってしまった。

それで、2006年の秋から、稚内に拠点を移す。
あっという間に、地域に溶け込んで、観光の面でも、大きな役割を果たしている。

吉永小百合の映画のロケが、稚内であった。
ニーナさんの生き方、輝きは、吉永小百合のそれと重なった。
映画、音楽と、住む世界は違っても。
ニーナさんにお会いして、今日、そんなことを感じた。

間もなく、お店が閉まる、午後11時。

12年8月29日 (12)

歌を聴いて、ニーナさんとお話しできた。
美味しいものをいっぱい食べて、そして飲んだ。
男3人で、懐かしい話も、した。

月のいい、晩だった。

12年8月29日 (11)

※ 今日のブログは、ニーナさんの携帯のメールに、送ることになっていた。
  でも、量が多いので、印刷して、30日の晩に、ニーナさんに渡す。
  31日の晩に、直す所を、教えてもらう。

※ 追記  ニーナさんにお会いし、変更する部分を教えていただいた。     
      31日の深夜現在、一応、修正は、完了しています。

※ 追記  下の動画は、誰が歌っているか、分からない。  偶然、見つけた。
      もしかしたら、ニーナさんかもしれない。 声質と歌い方が、似てる感じがする。
      ある人が、コメントで、
      テレビの「ロシア語会話」のなかの今月の歌で流れていたもので­はないでしょうか、と言っている。
      ニーナさんに確認しなければならない。
      この部分、ニーナさんに渡していない。
      もしそうだったら、ニーナさんが、最初に歌った、百万本のバラになる。
      貴重な音源。  (念のため、保存した)   



※ 追記  ニーナさへの確認は出来ていないが、私は、歌っているのは、ニーナさんに間違いないと思っている。(9月1日朝)
      上を聴いた時、冴木杏奈と云う人に発声が似ていると思った。 それが、第一印象。
      そして、ニーナさんのCDを1日の朝に、聴いた。
      ペチカでは気づかなかったが、CDから流れてきた声は、冴木杏奈の声の出し方に、とても似ていた。
      冴木杏奈が、ニーナさんに似ていた訳だけど。  ※ 冴木杏奈 は、旭川出身。 
      ニーナさんに、間違いないと思っています。

※ 追記  確認できました。(9月2日朝)
      ニーナさんから、電話をいただきました。
      間違いなく、ニーナさんでした。
      ロシア語の発音を正確に、歌おうとしたそうです。
      ニーナさんは、YouTubeに、この動画があることは、知りませんでした。
      いろんな話をしました。 40分程。
      ニーナさんの生い立ちを含めて。
      メモした物は、整理しておきます。 
      ブログには書きませんが、1つのドラマにまとめることが出来る内容です。 

細かな点の修正も終わり、これで一段落です。
たくさんの情報を、ニーナさんから頂きました。
感謝します。

※ このブログは、インターネットで、「稚内市 ニーナ」で検索すると、9月2日現在、一番上に出てきます。
  多くの人に、読んでいただいたおかげです。
  いつまでも、読まれることを願います。

私は、今年の3月7日に、九州の最南端に近い、かのやばら園に行きました。
その日に、百万本のバラを調べました。
ニーナさんを知りました。 そして、こう書きました。

  彼女は現在、最北の稚内で、ロシア料理店を経営している。
  稚内に行ったら、寄ってみましょうか。 
  今年の夏は、稚内そして礼文島でもいい。 花の浮島礼文島ですから。

この時の願いが、叶いました。

またいつか、ニーナさんのお店「ペチカ」に、お邪魔します。
そして、ペチカで、心を温めてもらいます。

【動画】  この動画は、9月1日に撮影したものです。 
      ペチカの、すぐ側を通ります。
      ニーナさんが歌う、「18才」が流れます。
訳詞を作ったのは、ニーナさん本人です。
  
      ※ 「ロシア民謡と弾き語りの夕べ ’07」の中の1曲。
        黒い瞳など、聴いて、いな~ってのが、詰まっている。 (、を、 に、したいところ)
        お話しも、なかなか、面白い。
        CDは、ペチカで買うことが出来ます。
      ※ このCDを聴いた時、上の動画は、ニーナさんに間違いない、と思いました。
                          
                                 DSCF4133bbpppl



【その他】   ニーナさんは、稚内観光マイスターの資格を持っています。
        また、「ふるさと稚内」という曲の作詞・作曲をし、歌っています。
        
        ふるさと稚内(YouTybe)

【関連ブログ】  一日雨でした。  かのやばら園を少しだけ。~鹿屋市~  百万本のバラ 「ラトビアで、ソ連で、日本で最初に歌った人達」  (2012/3/7)
          高さ68㍍の吊橋から見る、神川大滝  小滝は裏見の滝 ~錦江町~  マーラが与えた人生(百万本のバラの原曲)  (2012/3/8)
          南大隅町を散策 ~島泊の磨崖仏は山奥だった~  「マーラが与えた人生」と「百万本のバラ」、まとめ  (2012/3/9)

【停泊場所】   稚内副港市場の駐車場

【明日の予定】  市内の散策

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小さな集落が、たまにあるだけ。
街も、コンビニも、どこまで行ってもない。

釧路、根室、羅臼より、車も人も少ない。
終点の稚内まで、何もない。 自然だけ。 
    ※    ※    ※    ※

いつ見ても、美しい。  利尻岳。 ※ 利尻山でもいい。

12年8月28日 (2)

小川の水は、このように赤い。 泥炭から出てくると、こうなる。 

12年8月28日 (1)

今日走る道も、ずっと、こう。 

12年8月28日 (3)

向こうの風景を撮ろうとしていたら、バイクがやってきた。 時速70㌔くらいで。
目の前を通った瞬間に、シャッターを押してみた。

12年8月28日 (4)

コウホネの家の屋上から撮影。  利尻岳。  
小さなコウホネ沼に、ネムロコウホネが咲いていた。

12年8月28日 (5)

場所はここ。



小さな公園になっている。 遠くに、野寒布(のしゃっぷ)岬。

12年8月28日 (6)

礼文島は見えない。 低いからか。 霞んでいるし。

12年8月28日 (7)

歌碑があった。

12年8月28日 (8)

森繁久弥(久彌)だった。

12年8月28日 (9)

「 浜茄子の 咲きみだれたる サロベツの 砂丘の涯の 海に立つ富士 」  ※ 浜茄子~ハマナス

森繁は、昭和52年2月下旬から3月上旬まで、テレビドラマ「天北原野」のロケのため、稚内に来ていた。
富士と言ってるのは、利尻富士の、利尻岳。

また、森繁は、稚内海上保安部に、下の歌をプレゼントしている。

「 海のごとく大らかに 海のごとくやさしく 海のごとく時にまた 非情の力をもて 」

※ 上の歌について調べていたら、下のことが分かった。
  森繁は、昭和33年、京都府最北にある、丹後半島の間人(たいざ)に行っている。
  そこにある、ある温泉旅館に、こんな歌を贈っていた。

  「 海の如 大らかに. 海の如 やさしく. 海の如 又. 我がままでも ありたい.」

どっちも、いい歌と思う。
森繁は「海のごとく」の表現が好きだった、と分かりますね。

※ 間人(たいざ)は、珍しい読み方です。
     近畿地方最北端、経ヶ岬  どうして間人(たいざ)という地名に? ~京丹後市~  他  (2011/6/20)

三浦綾子の天北原野は、こんな話。

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※ 氷雪の門(稚内公園)  日本最北の地 宗谷岬 ~稚内市~  幼い大鵬が運命の分かれ道にいた日  他  (2010/8/21) 
※ 北海太郎  引き揚げ船の悲劇  他 (2009/08/19

三浦綾子は、「小さな一歩から」という本を出している。
その中に、「森繁久弥夫人を思う」という、文がある。

なかなか面白い文。 
食欲が無くても、下のようにして食べたら、美味しい。
三浦綾子、52歳の時の話。 ロケがあった、1977年。  
          ※ 次の年に、代表作でもある、「泥流地帯」を書いている。

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海の方から見た、コウホネの家。

12年8月28日 (10)

オニユリ、でいいでしょうか。

12年8月28日 (27)

花が水についてるけど、普通は、飛び出している。

水から、きゅっと首を出している、品のある花。
首の部分が、骨に似ている。 フライドチキンを食べた後の骨のような。
根室で最初に発見されたので、ネムロコウホネ。 
   ※ オゼコウホネも似てるが、花の真ん中の部分の色が違う、と言われる。

12年8月28日 (28)

牧草を運んでいる、トラクター。 縛っていない。 乗っけているだけ。 そ~っと、通り過ぎた。

12年8月28日 (11)

抜海(ばっかい)漁港。 港の部分は、海に突き出している。 灯台の所は、抜海岬。

12年8月28日 (12)

稚内市抜海村。



野寒布(のしゃっぷ)岬。 ノシャップ岬とも書くのかな。  
                ※ 最北は、宗谷岬。  根室にあるのは、納沙布(のさっぷ)岬。

12年8月28日 (13)

今日は、礼文島も樺太も、どっちも見えない。

DSCF2546kkkk222 (1)   DSCF2546kkkk222 (2)

岬から、後ろを見た。 右を行くと、オロロンライン。 ※ 天売島にオロロン鳥がいるので、この名前。
小山の左を行くと、数㌔で、稚内市街地。
    ※ 稚内に、この春、道の駅が出来た。 
      今、ノシャップ岬でブログを書いている。
      車には、1滴のビールも焼酎もない。
      はるばるやって来たのに、乾杯が出来ない。
      真夜中に、道の駅に、動くかも知れない。      
      ※ 稚内のTさんには、明日行くと言ってあるけど。

12年8月28日 (14)

向こうに、稚内市ノシャップ寒流水族館。

12年8月28日 (15)

入館料は、400円。

ゴマフアザラシ。 立っている。
左に、若い女の人がいる。 その人が、パタパタやってって、お願いしている。
でも、手は、気をつけのまま。
  ※ かしこそうな顔。   こんな表情をされたら、たまらない

12年8月28日 (16)

イトウがいっぱいいた。 大きいのも小さいのも。 養殖の技術が確立された。

12年8月28日 (17)

何エビか?

12年8月28日 (18)

メバル。

12年8月28日 (19)

ホッケ。 背中の方から開いて干したら、ホッケの開き。 ダイコンおろしで食べたら、美味しい。

12年8月28日 (20)

これも、メバルか。 ?。  ソイだとか、ガヤだとか、アイナメだとか、みんな似ている。

12年8月28日 (21)

50㌢ほどのカレイ。 大きい。
カレイは、ちゃんと起きていると思っているのか。
それとも、横になって寝ていると思っているのか。 どっちだろう。

12年8月28日 (22)

スケトウダラ。 干したら、棒だら。 京都では、いもぼう、になる。

12年8月28日 (23)

だんご、のような魚。

12年8月28日 (24)

毛ガニ。 口の周りが、いっつも動いている。

12年8月28日 (25)

ズワイガニ。  鎧(よろい)を身に付けた、武士の顔。

12年8月28日 (26)

稚内での目的は2つ。 百万本のバラの、ニーナさんに会うこと。 もう一つは、礼文島に行くこと。
日程はまだはっきりしない。
あ、そうだ。 もう一つ目的があった。 Tさんと、お酒を飲むこと。
 ※ Tさんは、昔から、私達のグループの中で、一番の兄きの雰囲気を持っていた。 やさしい兄き。
   不思議なもんで、だれも呼び捨てにしない。
   私なんか、「さん」を付けて呼ばれたことなんか、一度もないのに。

【その他】  ニーナさんに会うので、歌を聞く練習を、少し前から、始めた。
       7月から、歌はまったく聞いていない。 心が、受けつけない。

【停泊場所】    野寒布岬駐車場



【明日の予定】   稚内の市街地に入る。

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たった5年しかいなかった国府だけど、大きな影響をもらった感じがする。
今、山の中を1人で歩くけど、思えば、小学校の頃からそうだった。
熊さえいなければ、ササやぶの中の道は、平気だった。

今日は、国府を出たら、海辺でのんびりする予定だった。
途中で、幌延ビジターセンターに寄った。
カナヘビがいると教えられた。
夢中になってしまった。 

写真が増えて、のんびり出来なくなった。
カナヘビは、明日見たことにしようかなと思ったんだけど・・・。

山本さんの最後の現場、不思議なことが、まだ残っている。
また、佐藤さんは、振り返ることはなかったんだろうか。
    ※    ※    ※    ※

○の所に、家があった。

545432.jpg

昔の道は、細く、人が歩くだけの道。 自転車は走れた。
出発。

12年8月27日 (1)

マンテマです。 調べてみたら、チシママンテマ。 いっぱいあった。
※ アポイマンテマが有名。(一昨年撮影)

12年8月27日 (38)

学校までは、2㌔程。 大人になったら、近く感じる。
国道が見えてきた。 この辺りの、左に、郵便受けがあった。
木に、縛り付けてあった。 配達員は、いつも自転車に乗っていた。

12年8月27日 (2)

国道に出た。 いつもは、正面にペンケ山が見える。

左側に家があった。 3人ほどの子供を残して、母親は病気で亡くなった。
薪(まき)を積んで焼いた。 病気の部分は、なかなか焼けないと、親父が言った。
どこかに、引っ越した。

何度か遊びに行った。
お昼になって、納屋に、ニワトリの卵を探しに行った。
1個しか見つからなかった。

フライパンにたくさん水を入れて、沸かして、卵を1個かきまわした。
醤油を入れた。
それをご飯にかけて食べた。 5人位で。

12年8月27日 (3)

国道から、右に入る道。 向こうに行っても家はあった。

12年8月27日 (4)

虫の巣と花。 花の名前は、調べていない。

12年8月27日 (39)   12年8月27日 (40)

地図で、2の家。 一度だけ、遊びに行った。

12年8月27日 (5)

この道を行ったら、3と4の家があった。
冷たい味噌汁をかけて食べたご飯は、4の家で頂いた。
ここの父さんが、味の素は石炭で作ると言った。 ※ 今は、サトウキビのよう。
ちゃんと働かない父さんだった。

12年8月27日 (6)

少し行ったら、道の下を川が流れている。 右から左に。
太い、コンクリートの土管。 その中に入って遊んだ。

この近くで、私を含めた男の子たちが、女の子を泣かした。
後で叱られた。

学校が右に、見えてきた。

12年8月27日 (7)

こんな川。 右側で、こっちが上流。
○の所に、家があった。 5の家。
親父が、駅逓(えきてい)と呼んでた家。 ※ カラフトで、駅逓だった。
ここの家の誘いで、留辺蘂から、国府にやってきた。
昭和31年の3月。 最初の日は、この家に泊まった。
うどんを御馳走になった。 五右衛門風呂に入った。 浮いてる板を沈めて。

12年8月27日 (8)

着いた。 学校の所は、道は十字。 角にお店があった。 

12年8月27日 (9)

国道の右に、学校はあった。 全部、当時の物ではない。 今は、会館のよう。

12年8月27日 (10)

国道から、右に入っていく道。 最初の半年ほど、この道の奥に家があった。
左に家があった。 何かの時に、カレーライスを御馳走になった。
スープカレーのような、カレーだった。
水っぽいカレーを見たら、この時を、いつも思い出す。

12年8月27日 (11)

正面に学校はあった。 職員玄関は、中央。 児童玄関は、右の方。
体育館は、左に。 校舎の手前が、グランド。 大きな木が2本あった。

体育館の左の部分に、若い先生が住んでいた。
学校の裏に、校長先生と、女の先生。

12年8月27日 (12)

秋遅くに、校舎の裏の納屋に、薪(まき)運びをした。 のこ屑が目に入ったら、取れない。
先生方の分も、運んだ。

電気はないから、鐘を鳴らしていた。

国道の方を向いた。 真っ直ぐ行くと、歌内の駅に行く。

12年8月27日 (13)

右に、グランド。 バックネットの支柱が残っていた。

12年8月27日 (14)

右に見える山は、丸山。 ここでスキーをした。 
長靴をはいたままのスキーだから、すぐに転ぶ。

○の所に、家があった。 ここで、牛乳の汁粉を御馳走になった。
母親が、この家で仕事をした。 それについて行った。

少し手前に、左から右に小川が流れていた。 今もある。
濡れた足は、乾いた砂を付けたら、直ぐに乾くことを、ここで学んだ。

12年8月27日 (15)

上の写真の右の方。 ○の所に神社があった。 
お祭りでは、いつも相撲があった。
私は小さかったので、負けてばっかり。
  ※ 相撲は後に少し強くなるけど、それは、美瑛に行ってから。

12年8月27日 (16)

右の写真に、かなり古い校舎の一部が見える。

12年8月27日 (17)   12年8月27日 (18)

学校の学芸会は、机を並べて、舞台を作った。
運動会は、足袋をはいていた。
お化けの話をしてくれる先生がいた。 これで、私も好きになった。
全校児童の数は、100人位だったかな。 私の学年は、17人。

どこの家も貧しかった。 ちゃんと弁当を持って来れない家もあった。

3年生の頃、歯を抜くため、1度だけ休んだ。
私は、小学校から高校まで、学校を休んだのは、この1回だけ。

1度だけ、夏の夜に、学校で映画会があった。
家族5人で見に行った。 帰り、蛍が飛んでいた。 飛んでるのを、追いかけた。

来た道を、戻った。 お腹を空かして歩くことが多かった。

12年8月27日 (19)

左に入ったら、家の方。 昔は、国道沿いに、木はなかった。

12年8月27日 (20)

冬は、いつもスキーではなかった。 ここを歩くことも多かった。
足が冷たいって、2つ下の妹は、泣くことがあった。
母親の手編みの毛糸の靴下をはいていた。 兄弟全員のセーターも、母親の手編み。

12年8月27日 (21)

この後、北に向かった。 こんど、いつ来れるかわからんな~、と思いながら。

ここは、幌延ビジターセンター。 通りがかりにあったから、寄っただけ。

12年8月27日 (22)

この一帯は、サロベツと呼ばれる所。  赤○に、停泊。

12年8月27日 (24)

遊歩道があるので、歩くことに。
センターの人が、黄色い○の辺りに、コモチカナヘビがいると言った。 カナヘビなんて、知らない。
珍しそうなので、探すことにした。

12年8月27日 (23)

2階から見た風景。 長沼が見える。

12年8月27日 (25)

木道を行く。 ここには、コモチカナヘビはいない。 木道が高い。

12年8月27日 (26)

長沼。

12年8月27日 (27)

左は、サワギキョウ。  右は、小さなシャクナゲっぽい。

12年8月27日 (41)   12年8月27日 (42)

この木道になって、10回以上、コモチカナヘビを見た。
木道の上は温かいので、それでやってくる。

12年8月27日 (28)

風下から近づいた方が、写真は撮り易かった。 直ぐに逃げない。

12年8月27日 (43)

カナヘビは、ヘビではなかった。 トカゲ。
親と同じ格好した子供を生む。 それが珍しい。 日本では、この辺りと、稚内の方にいる。

12年8月27日 (44)

スルスルって逃げる。

12年8月27日 (45)

こんなに見れるとは、思わなかった。

12年8月27日 (46)

コモチカナヘビは、子持金蛇と書く。  
卵でなく、お腹の中で子供を育てるので、子持となる。

どうして、トカゲなのに、カナヘビ(金蛇)かが、面倒。 
調べてみたら、こうだった。

カナヘビは、昔は、愛蛇と書いた。 愛蛇は、カナヘビと読む。
愛しいは、かなしいと読むことが出来る。
意味は、かわいらしい。

昔、カナヘビに名前が無かった時、名前をどうするか考えた。

トカゲと云う言葉は、日本にはなかった。
※ トカゲは、マレーシア語で、遅くに日本に入ってきた。

小さいくてかわいいので、愛(かな)しい蛇として、愛蛇(カナヘビ)になった。

愛(かな)しい、の表現は、本当にあったのか、ということになる。
まず、啄木が、こんな歌を歌っている。

「函館の 青柳町こそ かなしけれ 友の恋歌 矢ぐるまの花」

上の「かなしけれ」は、悲しけれではなく、愛しけれ、と書くと言われている。
いとおしい とかの意味で。

また、女の子の名前で、愛と書いて「かなさ」と読ますことができるそう。

古い歌に、こんなのがある。

「あしひきの 山沢人(やまさはびと)の 人さはに まなといふ児(こ)が あやに愛(かな)しさ」
意味は、
「山の谷沢に住んでいる 大勢の人たちが 可愛いと評判しているあの娘は、私にはこの上もなく可愛く恋しい」

※ 小説のタイトルに、愛(かな)しい、と読ませてるのは、けっこうある。
  「愛(かな)しき人 たちの詩(うた)」 「人は愛(かな)しき」 「愛(かな)しき歌びとたち」  など

これで、大丈夫ですね。
愛という漢字は、愛(かな)しいと読めることを、初めて知りました。







キリギリスのメスが、卵を生んでいた。 
そんなとこに生んで、大丈夫なのかって、言っておいた。

12年8月27日 (47)

ネムロコウホネ。

12年8月27日 (48)

○の所に、深い穴があった。 手すりの所に棒があった。

12年8月27日 (30)

2㍍以上ある棒を入れてみたが、底には着かなかった。
やちまなこは、恐ろしい穴。

12年8月27日 (29)   12年8月27日 (31)

花を探しながら、木道を戻った。

12年8月27日 (32)

海の近くに、風車が28、並んでいた。

12年8月27日 (49)

こんな道が、どこまでも北に続く。

12年8月27日 (33)

サロベツ海岸。

12年8月27日 (34)

稚咲内(わかさきない)のパーキングに、今日は停泊。

12年8月27日 (35)

昔、番屋のようなの建物があった。

12年8月27日 (36)

利尻島が見えた。

12年8月27日 (37)

 ※ 利尻岳は厳しい山だった ~日本海に浮かぶ最北の百名山~   他  (2010/8/19)

コモチカナヘビに関わったら、いそがしい1日になってしまった。
面白かったから、いいことにするか。


【その他】  山本美香さんが撃たれた時、前にいた自由シリア軍の兵士が、あわてない。
       それが、不思議。
       また、日本人だと叫んだ男は、どう云う目的で叫んだのでしょう。
       なぜ、日本人と分かったのか。
       佐藤さんが撃たれなかったのは、素早く逃げたからか。
       他に理由はあるのか。
       佐藤さんは、逃げる時、振り向かなかったようだが、どうしてだろう。
       代われるものなら代わってあげたいと云う程、美香さんのことを思っていたのに。
       数㍍しか、離れていなかった。

【停泊場所】  稚咲内(わかさきない)のパーキング。

【明日の予定】  北に。  明日こそ、のんびり。

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一日雨で、歩けなかった。
  ※ 歩くのは、明日に。 学校跡まで、往復。  天気は、大丈夫のよう。
昔のことを思い出しながら、少しだけ、車で走った。

少しだけ歯車がずれていたら、山本美香さんは死なずに済んだのに、と思った。
今更、遅いけど。
    ※    ※    ※    ※

昨日から、ここに車を停めている。
国道から、600㍍程入った。 国道は、私のずっと後ろに。

家は、左奥にあった。

12年8月26日 (3)

左の方。 ○の辺りにあった。 ブロック造りの平屋の小さな家。
昭和31年の秋から、昭和36年の3月まで、4年半程住む。

12年8月26日 (4)

国道の方は、このように。 昔は、歩くだけの道だった。 
馬車とかは、別の道を通っていた。

12年8月26日 (2)

上の写真の右側。 ○の辺りは、昔は、湿原だった。 エゾカンゾウが咲いていた。

12年8月26日 (5)

家のあった方から撮影。 左端に車。 中央の○の方角に、小学校。
右の○は、国道への出口。
国道の近くに、郵便受けがあった。 新聞と郵便を取りに行くのは、私の仕事。

12年8月26日 (6)

最初の半年ほど、地図の印の所に住んだ。 

12年8月26日 (1)

向こうから来た。 家は、右の方に。

12年8月26日 (7)

右の方は、こうなんだけど、正確な場所は分からない。 ここから、100㍍か200㍍入ったところ。

12年8月26日 (8)

この場所の、後ろの方が、上の写真の場所。

道の突き当たりを左に行くと、学校の方に行く。
右に行くと、山道を通って、歌内の駅に行く。 今は、途中から使っていない道。

右に少し行ったら、昔は、少しだけ水田があった。
※ 現在の日本最北の水田は、日本海側の遠別町にあるそう。
  この場所は、遠別より更に北になる。
  もしかしたら、当時は、日本最北だったかもしれない。

12年8月26日 (9)

天気が悪いので、バッテリーに充電されていない。
少し走るかとなって、中川のセイコーマートまで、少しの買い物に。 ゴミも捨てて。

帰りに、歌内の駅に寄った。
昔は立派な駅。
  ※ ネットで写真を探したが、見つからない。
    図書館がやっていたら行こうと思ったが、休みだった。
    図書館に行けば、きっと見つけられる。
    国府小学校の写真も、きっとある。 図書館は、明日月曜も休み。

この駅で汽車を待つ時、汽車が恐ろしかったので、いつも、ホームの一番後ろにいた。
留辺蘂町まで往復したことがある。
何時間外の景色を眺めても、飽きることはなかった。
放浪の旅にあこがれる、スタートかもしれない。

12年8月26日 (10)

駅前の様子。 昔は賑やかだった。 歌内には、小学校も中学校もあった。 今は、どっちもない。
この店で、凧を買ったことがある。

12年8月26日 (11)

この場所は、天塩川の国府側。 橋を渡ったら、歌内。 

昭和15年5月6日、天塩川の渡船が、ひっくり返った。
乗っていた児童17人と父兄2人全員が流されて亡くなった。

下は、その遭難碑。
橋が出来たのは、昭和35年。 4年生の時だった。

12年8月26日 (12)

戻ってきた。 遠くから家があった場所を見ると、こう。

12年8月26日 (13)

朝は見えなかったペンケ山が見えた。 いつも眺めた山。

12年8月26日 (14)

思い出をいくつか。 (思い出すままに)

○ 家で飼っていたのは、馬、牛、ヒツジ、ヤギ、ニワトリ(100羽)、猫。
  卵は、おふくろが中川の市街まで売りに行った。
○ 家の軒下に、いつも、松葉ボタンを植えていた。 ツメキリソウと呼んでいた。
○ 家の近くに小川があって、トゲウオをすくって遊んだ。 ザリガニもいた。
○ 最初の家の近くには、熊が出ると言われていた。
  姉が2年生だったので、親は、登下校のとき心配していた。
○ 電気が無いので、ランプ。 ランプのホヤを磨いた。

○ ラジオは聴けた。 針金のような有線で、どこかとつながっていた。
○ 冬は、スキーで通っていた。 道でなく、最短距離で真っ直ぐ。
○ 鴨(かも)の卵を見つけて、焼いて食べたことがある。
○ ある家で、汁粉を御馳走になった。 牛乳が入っていた。
  今でも、牛乳の入った汁粉が大好き。 たま~に、作る。  
○ トマトやカンロを育てた。 毎日必ず見に行った。 大きくなったかなって。

○ トノサマバッタを山ほど捕まえた。 それ以来、バッタは好きでなくなった。
○ ラーメンを最初に食べたのは、1年生の時。 中川の、にこにこ食堂。
  かん水のにおいがした。 ちりちり麺。 忘れられない味。
  同じ味が作れたら、今の時代でも、売れると思う。
  似た味のラーメンは、食べたことない。
○ 国府にいた時、荒馬という相撲取りを応援していた。 中川町の出身。(佐久かな)
  荒馬の他に、木ノ村と名乗った時もあった。 十両には上がれなかった。
  荒馬は、のちのラッシャー木村。 プロレスラー。

○ ある時、よその家でご飯を御馳走になった。
  それは、冷たい味噌汁をかけたご飯。 具はジャガイモだけ。
  それを思い出して、今でも、同じご飯を食べることがある。
○ 留辺蘂のおばさんが、動物の図鑑を送ってくれた。
  本は、それしかなかった。 ボロボロになるまで読んだ。
  そこそこ勉強が分かるようになったのは、この本のお陰。 感謝している。
○ 風呂は、木で出来ていた。 桶(おけ)の感じの。 
  あれから、同じ風呂に入ったことない。 見たことはあるけど。

この辺でお終い。 明日は、学校の思い出。


こうだったら、山本美香さんは死なずに済んだかもしれない、と思うことが2つ。

下の写真。 彼女はビデオカメラを指差している。
転んで、カメラをぶつけたと、佐藤さんに言っている。
彼女は、壊れたかもしれないと、心配している。
佐藤さんは、大丈夫、俺のあるから、と言った。

でも、カメラは壊れてはいなかった。
この後撮影に使う。 
使っていたために、日本のジャーナリストと見破られ、銃撃されてしまう。

もし、この時壊れていれば、どうなったか分からない。
彼女は、ビデオカメラでの撮影はしていなかった。
撃たれなかったかも知れない。

12年8月26日 (15)

彼女が銃撃された日、ジャーナリスト2人が政府側に捕まってしまう。
山本さんが銃撃された日から、ジャーナリストへの弾圧が激しくなった。

山本さんと佐藤さんの、シリアに入る予定が、もう1日遅かったら、上の情報が耳に入った。
そうしたら、危険と感じて、20日にシリアに入るのは止めたかもしれない。

12年8月26日 (16)

いくら用心しても避けきれない危険はある。
運命の歯車がどう回るかは、運次第の感じがする。

【停泊場所】    昨晩に同じ

【明日の予定】   学校跡まで歩いた後、北に向かう。 途中から、海に出ようかと。

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斎藤茂吉は、1932年(昭和7年)に、北海道にやってきた。
中川町(当時は中川村)の志文内にいる、兄を訪ねるのが目的。
兄は、診療所の医師。
今は、診療所跡が、茂吉小公園となっていた。

山本美香さんの最後の場面が、ほぼ正確に分かりました。
    ※    ※    ※    ※

志文内の場所は、今は、共和と呼ばれていた。



訪れたのは、昭和7年の8月14日。 茂吉、50才。
弟の高橋四郎兵衛が、同行している。
鉄道で、佐久駅まで来た。  ※ 旭川~稚内間の宗谷本線は、大正の終わり頃開通。

佐久駅から、アベシナイ川に沿っておよそ15キロを歩いた。
4時間かかっており、茂吉はこう書いている。
「豪雨ノナカ草鞋ハキ徒歩ニテ」  ※ 昭和に入っているのに、草鞋(わらじ)なんだろうか。

 

私は、美深側から向かったら、途中通行止めの表示があり、佐久から入った。
※ 私が中川町にいた頃、この共和方面は、板谷と呼んでいた。
  中川町の一番の山奥、のイメージを持っていた。

診療所があったところに、茂吉小公園はあった。
今は、数軒の家が残る、小さな集落の真ん中。

12年8月25日 (7)

歌碑があった。
 「さよなかと 夜は過ぎつつ 志文内の 山のうへ照らす 月のかげのさやけさ 」
   ※ さよなか→小夜中→最夜中(さよなか)→最も夜中で、真夜中の意味。
    「さ夜中と 夜は更けぬらし 雁が音の 聞こゆる空を 月渡る見ゆ」(柿本人麻呂)の歌がある。
   ※ 月のかげ→月の形、月の姿
   ※ 清(さや)けさ→清く澄んで、はっきりしている様子

12年8月25日 (8)

茂吉の歌の師は、伊藤左千夫。 野菊の墓を書いた人。  昔読んだ。 悲しい別れの話。
5日間いて、短歌を47首つくった。

「 あをあをと おどろくばかり 太き蕗(ふき)が 澤をうづめて 生ひしげりたる 」も詠っている。

12年8月25日 (9)

茂吉の歌は何も知らなかったが、今回、上の2つをおぼえようと思う。

茂吉の兄の、守谷富太郎は、拓殖医として志文内に来ていた。
 ※ 当時、拓殖医制度というのがあって、補助金を交付して、医師の開業や定着を図る施策を行っていた。

12年8月25日 (10)

昭和3年に、富太郎は志文内に来る。 熊が出るこんな山奥に、よく来た。
※ 魚を釣って遊ぶのが好きだったよう。

冬になったら、マイナス30℃は、あたりまえ。

12年8月25日 (11)

志文内に奥さん方がこれだけいると云うことは、当時は、大きな集落だった。

12年8月25日 (13)

昔の人の表情。 中央が、富太郎。
明るい表情の人は、1人もいない。 みんな真面目に。 間違っても、ピースの雰囲気ではない。

12年8月25日 (12)

中川町では、短歌フェスティバルをやっている。 入賞したのが展示してあった。
大きな蕗(ふき)を~~の歌のフキを、昔何度か見た。 
中に水があったら、虫は入れない。 美味しいフキ。

12年8月25日 (14)

旧 中川町立共和小中学校。 平成3年に閉校。 この校舎いっぱいに、子供たちがいた時代があった。

12年8月25日 (15)

こんな様子。 市街地からここまで、酪農を営んでいる農家が、点在していた。

12年8月25日 (16)   12年8月25日 (17)

茂吉は、志文内に5日間いて、その後稚内、樺太へと向かう。

※ 茂吉の子どもに、北 杜夫(きた もりお)がいる。 
  北 杜夫の子供に、斎藤由香という作家がいる。
※ 茂吉について調べていたら、彼は、非常に戦争に協力的な作家と知った。
  彼の価値観では、平和とか、人々の幸せとかが、一番ではなかった。
  深入りしなくてもいい作家、という感じになってしまった。

この後、戻る。
ここは、旧佐久小学校。 平成11年の3月に閉校。

12年8月25日 (19)

グランド前に、古い門があった。

この学校に、小学校の3年か4年の2月頃、そろばんの試験を受けに来た。
歌内の駅まで歩いて、汽車に乗って佐久駅まで来た。 そして、ここまで歩いた。 
先生と何人かの子供と一緒に。
私は、7級と8級を受けた。 7級に受かって、8級に落ちた。 
  ※ 8級の割り算が0点だった。 
    答えは全て2ケタだったが、私は、305のように、間に0を入れてしまった。
この時の賞状は今もある。
賞状は、3月の雪解けの頃、先生からもらった。
帰り道、丸めて、友達とチャンバラをした。 
賞状は、馬糞の転がっている雪道に落ちた。
その時の黄色い染みが、今でも汚れたように付いている。

試験が終わって、裏山のスキー場で、ジャンプを見た。
10㍍以上は、飛んでいた。 手をまわしてる人がいたように、記憶している。

遠い昔の思い出。

12年8月25日 (20)

佐久駅に向かう途中、橋の上から、天塩川を撮った。 
子供の頃、天塩川はこわかった。 決して、近づかなかった。

12年8月25日 (18)

佐久駅。 

12年8月25日 (21)

※ 昔の佐久駅は、こう。 北海度新聞のデータベースからお借り。

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佐久の駅前。

私の小学校1年の時の担任は、石原幸子(さちこ)先生。 ※ 結婚して、赤間幸子。
実家は、佐久にあった。 今、75才くらいでしょうか。 ずっと会っていない。

12年8月25日 (22)

この後、買い物して、私の家があった国府に向かった。


シリアでの、山本美香さん最後の場面について、新たに分かったことがあるので書きます。

山本さんのパートナーの佐藤さんは、彼女は自分の右後ろにいたと言った。
変だなと、思っていた。
彼は、右に逃げるのだが、そうしたら、彼女の前を逃げることになる。
でも、彼女が撮影した映像には、写っていなかった。

下は、山本さんの撮影。
少し前に、男の人。 その右に、白い車。 その右に、男の集団。

12年8月25日 (24)

佐藤さん映像が、後(のち)に、報道で流れた。
下は、それの一場面。
手前の男の人と白い車の間に、空間が生まれた。

12年8月25日 (23)

上の2枚の写真から、山本さんは佐藤さんの左にいたことが分かる。  ※ 写真は、映像から切り取ったもの。

すぐ上の写真の右端に、1人の男が見える。 この男が、この後叫ぶ。
銃弾発射まで、あと、2秒ない。

下の写真。
男が叫んだ。 「日本人だ!」。 男の発音では「ヤバーニ!」
手の先は、撮影している、佐藤さんの方を向くことはない。 動画を見ても。

12年8月25日 (4)

男は、山本さんを指差したと、想像できる。
その時の、山本さんの映像には、この瞬間。 男は、右に動いている。

12年8月25日 (3)

直ぐ後、佐藤さんが、逃げろとか、叫ぶ。 山本さんは佐藤さんの後ろの方に動く。
この写真でも、山本さんは、右後ろではなく、左後ろにいたと分かる。

12年8月25日 (5)

佐藤さんが、山本さんのビデオカメラの画面から、右に消える直前。
山本さんも動いているので、画像がボケる。
でも、逃げながら、カメラは前を撮影している。

12年8月25日 (2)

佐藤さんが、山本さんのカメラから消えた瞬間、銃声が鳴る。
それが、下の画面。

相手が使用していると想像できる機関銃、AK-47の、弾丸の速さは、秒速730㍍。
音速の2倍を越える。

と云うことは、銃声が聞こえた下の画面の時には、もう、銃弾は彼女に届いていた。
最初の1発が、右ひじか、首なのかな分からないが。
 ※ カメラを狙ったように、想像できるが。

12年8月25日 (25)

上の写真の直後、カメラは下を向き、撮影は停まる。
黒く写ってるのは、山本さんの防弾チョッキ。

12年8月25日 (1)

山本さんの最後の場面は、これで、ほぼ正確と思う。
4発が、一瞬のうちに、彼女を目がけて、発射された。

その後、彼女のカメラを拾って、撮影した反政府軍の兵士がいた。
映像の中に、彼女のことを言ってる声もある。
また、撃たれた人の、絶叫の叫びもある。 
    ※ この動画は、報道で流れているので、見た人が多いと思う。 



下の文は、山本さんの言葉。
目標について、語っている。

私は旅に出て、目標に向かって動いているのではなかった。
どこまでも行くぞって云う気持ちだけで、十分だった。
だから、彼女の言ってることに、共感できるかな。

一番下の文を読むと、そうなんだな、と思う。
 ※ この部分は、誰が書いた文と押されればいいのか。 池田、と云う人でいいのか。

12年8月25日 (6)

山本さんは、変わり果てた姿で、自宅に戻った。
パートナーの佐藤さんは、彼女は長い取材の旅に出かけた、と言っていた。


【停泊場所】  小学校の4年までの5年間、中川町国府にいた。
        住んでいた家があった場所の、すぐ近く。





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【明日の予定】  国府を歩く。

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どこを走っても、どこまで走っても、そば畑。
ちょうど白い花が咲いている。

家は、時々あるだけ。
幌加内町は、日本で2番目に人口密度の低い自治体。
 ※ 1番目は、去年東風さんと行った、桧枝岐村(ひのえまたむら)。
       桧枝岐村を東風さんと歩く ~桧枝岐舞台、安宮清水 他~  他  (2011/7/17)

幌加内町には、日本で1番とか2番のものが、いくつかある。
     (そば、ダム、人口密度、寒さ、 他は?  昔、深名線が日本一の大赤字路線 )
    ※    ※    ※    ※    

朝までいた道の駅、森と湖の里ほろかない。

12年8月24日 (1)

展望台から見た、そば畑。

12年8月24日 (2)

そばは、米と比べたら、収穫までの期間が短いと云う。
米は、5ヶ月。 そばは、3か月かからない。

12年8月24日 (3)

そば屋さんで、幌加内のそば粉を使っていますよ、と云う店がある。
幌加内産のそば粉は、それなりに人気があるよう。

情報誌で紹介していた店に寄った。

12年8月24日 (4)

左に行ったら、日本海に出る。 霧立峠を越えて行く。 だいぶ前通った。

12年8月24日 (5)

私の口には、合わなかった。 
麺はいいかも知れないが、料理としては、素人っぽい。 
釧路で食べたのとは、レベルが違った。

12年8月24日 (6)

そば畑は続いた。
そばを栽培している農家の家を見たら、そんなに裕福そうには見えなかった。
委託栽培か何かで、利益の多くが、業者か農協に吸い取られるのかな、と思った。

農業も漁協も、生産者より、中間が儲かる仕組みのようだ。
知恵を絞って、そこから脱却している生産者もある、と聞くが。

朱鞠内湖。(しゅまりないこ)

12年8月24日 (8)

展望台から。 木が茂っていて、ちゃんと見えなかった。
湖畔への道を行かなかったのが、失敗。

12年8月24日 (7)

場所は、この辺り。



朱鞠内湖は、ダム湖。 水面の広さは、日本1。 貯水量は、2位。
昭和18年に完成。 工事での犠牲者は、200名以上だと云う。
どういうことなのでしょう。

この湖には、イトウも生息している。  ※ イトウ (2年前、標津サーモン科学館で撮影)

12年8月24日 (9)

ここは、母子里(もしり)クリスタルパーク。

12年8月24日 (10)

幌内町母子里は、十勝の陸別町と共に、日本で最も寒い地域。 極寒の地。

12年8月24日 (11)

建物内に、小さな展示室。
下のがあった。
私はマイナス30℃の世界は経験あるけど、マイナス40度は、知らない。

※ 一番上の数字はの下に、-41.2℃とある。   この数字が、戦後の日本の最低気温。(Wikipedia)

12年8月24日 (12)

マイナス30℃で、耳を出していたら、少しずつかたくなっていくのが分かる。
マイナス20度くらいでも、手を濡らして、外に出て振り回したら、気が狂う程冷たい。
  ※ 昔、そんなことして、子供と遊んだことがある。
    冷たい水道の水を手に当てて、我慢比べをしたこともある。

マイナス20度とか30℃だと、ちょっと油断しただけで、水道管が凍る。
少しでも流すと、不思議と凍らない。 

今はどうか分からないが、昔は、車のバッテリーを外して、家の中に置いた人がいた。
私の親父は、更に、走る前車庫で、エンジンの下に電熱器を置いて、温めてから、エンジンをかけていた。
昭和40年代の後半、美瑛での話。

美瑛では、マイナス25度になったら、消防のサイレンが1回なる。
そうしたら、小学校も中学校も、1時間遅れ。
マイナス30度は、サイレン2回。 2時間遅れ。 
電話の無い時代は、そうしていた。

朱鞠内湖全体の写真も、展示してあった。 深い谷と云うより、広い谷。

12年8月24日 (13)

道の駅 びふか。

12年8月24日 (14)



展望台から見た。
この池は、昔は、天塩川。 道の駅には、いいろんな施設がある。 チョウザメ館とか。
以前見たので、今回はパス。

12年8月24日 (15)

左の方。

12年8月24日 (16)

大きな木彫りのフクロウ。 上手なのか、そうでないのか、分かりにくい。

12年8月24日 (17)

ジャガイモが食べたいと思って、店に入っていた。
そうしたら、紋別のKさんの奥様が、私を見つけた。

似てると思ったので、来たと言った。

家族で、こちらの方にキャンプに来ていて、その帰りと云う。
Kさんの車に行ったら、お世話になった旦那さんと、娘さん2人がいた。

娘さんが、車を見せてほしいと云うので、私の車に。
珍しそうに、眺めていた。
 ※ 私の車は、完璧ではないが、まあまあは、いつも片付いている。

Kさんの奥さまも、何度かブログに登場している。
この車を買った時に、女の先生が4人で押しかけてきた。
ワインをプレゼントしてくれた。
  ※ いいことがあったら飲むと言って頂いたが、その前に飲んでしまった。
北の岬の歌を、たくさん売っていただいたのも、奥様。
留辺蘂で、3歳か4歳の頃、お互い知らなかったが、一緒に遊んでいたと、後で分かった。
旦那様は、最後の学校で一緒。 その前の潮見小でも、一緒。  
フナ釣りで、何度か、ブログに登場。
2人とも、お世話になった。

雄武の沢木にいた時、Kさん家族と別の家族が、日の出岬にキャンプに来た。
私も一緒に。
子供たちはまだ小さく、燃やす木を探したりして、遊んだ。
面白かった。

旦那も奥さまも、この春に退職。
  ※ 子供たちは、学生と勤めている子かな。 ちょうど2人とも、休みだったよう。
家族みんなで、楽しそう。 昔から、そうだった。 

紋別を通ったら、飲もうねって誘われた。
素通りしたら、怒られそう。

※ 私はいつも1人で、それに慣れてるから、私の方から人に声をかける事は、少ない。 忘れる。

そんなことで、しばらくおしゃべりして、またねって、お別れ。

【道の駅】  びふか

【明日の予定】  中川町の山の中へ。 斎藤茂吉が行っている。

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エアコンの修理は、夕方の5時頃までかかった。
車を預けなくて済んだので、一安心。

この夏は、今まで、エアコン無しだった。
エアコンが無いと、車の中が、湿った感じになる。
雨でぬれた時も、今までは、直ぐには乾かなかった。

姉の所に戻らないで、北に向かうことにした。
幌加内の山道を通って。

シリアで亡くなった、山本美香さんの動画が、いろいろ出ている。
怪我の様子も。
彼女の右手の、肘(ひじ)の部分の内側、半分ほどが、無くなっていた。

最後の場面の様子、どんな銃で撃たれたのか。
場所、その日の動きなど、ニュースを読んで分からないことを、調べてみた。

彼女は、ボスニアにも行っていた。
あの紛争の解決に大きな役割を果たしたのは、報道だった。
民主化が進まないシリアで、民衆を救うために、彼女は動いていた。
    ※    ※    ※    ※   

旭川市の北西ぶにある、鷹栖(たかす)町。
ヒマワリ畑。 
ヒマワリの花は、だいたい、いつも東を向いている。
 ※ 太陽の方向に向きを変えるのは、まだ花が開かない、つぼみの頃だけ。
   その頃は、つぼみを支えている茎がやわらかい。

12年8月24日 (1)

そば地帯に、入ってきた。 ここは、旭川市江丹別。
白い花が咲いている。

12年8月24日 (2)

江丹別で生産するので、旭川市は、北海道で3番目に多い生産量。

12年8月24日 (3)

幌加内町にやってきた。 日本一のそばの生産地。

12年8月24日 (4)

見渡す限り、そばの花。

12年8月24日 (5)

日本全体の生産量は、32000㌧。
北海道の収穫量は、そのうちの35%。 

さらに、北海度の収穫量の35%を、幌加内町・深川市・旭川市で生産している。

つまり、日本全国のそばの12%を、この一帯で生産していることになる。 そばの一大生産地。

幌加内は、北海道で一番生産量が多い。 日本一でもある。

※ 信州そばが有名だが、有名なために、蕎麦の生産は信州だけでは、まかなえない。
  幌加内のそばも、信州に行っている。

以前撮影した、そばの花。  濁りのない白。 かわいいい赤い点。

12年8月24日 (16)

この後、幌加内の道の駅に着いた。



ソバについては、ここまで。


山本美香さんと上司の佐藤和孝さんは、20日の朝、キリスを出発した。
キリスは、トルコ南部の町。
 ※ 美香さんは、この日の夜、変わり果てた姿で、キリスの病院に戻ることになる。
 ※ 山本さんと佐藤さんは、内縁の関係。 籍は入っていないが、夫婦と同じ。

12年8月24日 (7)

シリアは、政府軍と、反政府軍の戦い。 反政府軍の組織は、いくつかある。
どっちに正義があるのかは、はっきりしている。 
反政府側。

シリアの内戦は、民主化の戦い。 つまり、独裁との戦い。 やっと戦いが出来る所まで来た。

戦いを世界に伝えることは、それを見る人間が、また国が、どっちに非があるか判断する。
世界の非難を浴びての戦いは、負けに近づく。
報道の力に後押しされた民主化は、今までたくさんあった。

シリア政府は、外国のジャーナリストの入国は認めない。
なぜかって、それは、報道されたら困ることがあるから。

そのため、戦争ジャーナリストは、反政府軍を頼ってシリアに入国することになった。
北にあるトルコは、反政府軍を支援している。
また、シリア北部は、反政府軍が優勢な地域。

そんなことで、山本さんと佐藤さんは、トルコのキリスでチャンスを待っていた。
同行させてもらったのは、反体制武装組織「自由シリア軍」。

下が、キリスの街。

 12年8月24日 (6)

シリア北部に、アザズの町がある。 シリア国内では、ここが、ジャーナリストの拠点。
しかし、政府軍が、その拠点をねらって、空爆を始めている。
下のような、空爆。

12年8月24日 (10)

シリアでは、1日に100人単位の人が亡くなるのは、珍しくない。
山本さんが亡くなった次の日の21日は、国内で、250人が亡くなっている。
山本さんが亡くなった、アレッポのスレイマン・ハラビ地区では、そのうち56人。 
死者の中には、もちろん、市民もいる。
 ※ 市民が直接狙われる訳ではないが、生活している場所での戦いなので、巻き添えが出る。
 ※ 数字は、人権監視団の情報。

下は、シリア国内の様子。

12年8月24日 (13)

12年8月24日 (15)

事件の現場は、アレッポのスレイマン・ハラビ地区。
この場所は、アレッポの中心街から遠くない、東にあるという。
※ 地図で、場所の確認は出来ない。 トルコ語が分からない。

これが、事故の概要。

12年8月24日 (11)

上の文について。
① 戦闘に巻き込まれ、とあるが、そうではなく、狙われたんですね。
  ビデオを見ても分かる。 最初の1発の銃弾は、彼女を目がけて飛んできた。
② 彼女は、都留市出身。
  この町は、昨年通った。 富士山の北にある。 
  大月市で猿橋をみて、青木ヶ原樹海に向かう時、通った。
   ※ 日本三奇矯の一つ、猿橋 ~大月市~  他  (2011/11/4)
     上のブログの中の地図に、都留市が見えます。
③ この日、一緒の行動していた、ジャーナリスト3人も、行方不明とある。
  ジャーナリストが狙われた可能性を感じる。
  こういう情報が、前日あったら、山本さんたちは、きっとアレッポには来なかった。
  20日は、はっきりとジャーナリストが狙われた、第1日目かもしれない。
③ 反体制派が、彼女の遺体のビデオを、公開した。 YouTubeで見ることが出来る。
  2種類あって、腕の損傷を撮っているのがある。 顔は、穏やかな表情。
  首にも大きな損傷があるという。
  彼女は、苦しむ間もなく、一瞬に命を失ったよう。

下の写真の、数秒後に、銃弾が彼女を目がけて、飛んで来る。
写真は、山本さんが撮影した動画から、撮ったもの。

前にいる男の人は、佐藤さんで大丈夫と思う。

※ 追記 上の文は間違い。 上の人は、同行している、自由シリア軍の兵士。
     佐藤さんは、写っていないが、この人の後方にいる。
     山本さんは、さらに後ろ。
     佐藤さんも、撮影している。 
     佐藤さんの映像で、上の文が間違いと分かった。

※ 佐藤さんは、右斜め後ろに山本さんがいたと、言っている。
  この直後、逃げろと叫ぶ。

○の中に、政府軍の兵士。 ※ 佐藤さんの考えも、政府軍。

発射の直前、右側を歩いて来る男が、日本人だと叫んだ。
叫んだ後に、発砲。 このことは、別の動画で分かる。

佐藤さんは狙われなかったのか、狙われたけど、一瞬早く逃げたのか、それははっきりしない。
日本人だと叫んだ男は、誰をさして日本人だと叫んだかが、分からない。
山本さん1人か、山本さんと佐藤さんの2人かの、どちらかなんだけど。

12年8月24日 (12)

シリア国内での、戦闘の状況。 報道についても、触れている。

12年8月24日 (14)

山本さんの腕の損傷は、激しかった。
※ 私は、動画を見たが、もう一度見ることはできない。

弾丸が、腕を貫通するだけでは、なかった。
その部分を、吹き飛ばしていた。

今回、政府軍兵士が使っていた銃は、AK-47と言われている。
Avtomat Kalashnikova-47。 「1947年式カラシニコフ自動小銃」。
  ※ Avtomatは、自動小銃の意味。

1分間に、600発。 1秒間に、10発。

銃弾は、ダムダム弾か、それに似た物と言われている。
※ この銃弾は、弾頭部が茸(きのこ)状に開いたり、弾芯の鉛が飛び散ったりして、損傷を普通弾以上にすることを目的としている。(ヤフー百科事典)
※ 佐藤さんが、山本さんに弾丸の破片が刺さってると言っていた。
  ただ貫通する弾ではなかったと分かる。

これが、AK-47。
模造品とかもいっぱい出ていて、1万円以内で手に入る物もある。

12年8月24日 (8)

山本さんは、防弾チョッキを身に付けていたが、弾は通っていた。
機関銃の威力は大きい。
弾全体が通るのではなく、弾の中の芯の部分が通る。 
それは、細く先がとがっているので、通りやすい。

※ 24日に、下のニュースが出た。 予想されていたニュース。

無題765677

山本さんは、言っていた。
戦争ジャーナリストがいくら殺されても、後に続く人間が必ず生まれると。

日本を含めて、富でも何でも、平等ではない国が多い。
大きな問題。
でも、シリアのような独裁と云うのは、レベルが違う、もっと大きな問題。

EUやアメリカ・イギリスなど、シリアの反政府組織のへ支援の輪は、大きくなっている。
戦争ジャーナリスト達が伝えたことが、大きくすることに貢献した。

動画の中で、佐藤さんは、大丈夫かって、彼女に言う。
山本さんは、転んじゃったって、座ったまま佐藤さんに言う。
お互いのその時の表情は、また、話し方は、上司と部下との関係ではなかった。
それは、さらに、夫婦というよりも、恋人同士の感じだった。

最後の現場の様子が、更に詳しく分かったら、書きます。
佐藤さん撮影の映像から、色んな事が読みとれると思います。


【道の駅】   森と湖の里ほろかない

【明日の予定】   朱鞠内湖を見る。

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学生時代、マージャンに夢中になった仲間が、集まった。
全道各地から。 東京から1人。 みんなで、8名。

集まりに名前はない。  ※ 「ジャンジャラ会」という感じか。 (もっといいのが、ないか)

遊湯ぴっぷは、こんなところ。 比布スキー場の近く。   ※ 写真は、遊湯ぴっぷから、お借り。

Y335776016.jpg

場所はここ。



温泉に入って、レストランで食事。
料理が足されるので、温かいものは、温かい。

美味しくても、私には、食べきれない量だった。

1年ぶりだから、話題にはことかかない。
大した内容の話しをしている訳ではない。

私は、写真を1枚も撮ってない。

食事の後、朝の3時まで、マージャン。
途中からは、1卓で。  ※ 全自動の卓。

いっつも、誰かはしゃべっている。
ギャグを連発するのが、1人。 こんなの。
  安い手を上がったら、こう言われる。
   ○ 先天性安上がり症候群だな。
  ちょっと待ってほしい時、こう言った。
   ○ ちょい待ち草。
  危険な牌を捨てたら、
   ○ セーフ、セーフ自民党。
     (あんたの田舎は、政府はまだ自民党なのかって、言われていた)

こんなのが、いつまでも続いた。

酒を飲みながらやってるので、2回程、罰符(ばっぷ)がでた。 ※ チョンボのこと。

誰かが、親の倍万って上がった。 向かいが振った。 24000点の手。
あ、それ、フリテン、罰符、と下家(しもちゃ)が言った。
 ※ 上がり牌を、自分が捨てていた。 

罰符で12000点払ったから、差し引き、36000点の差。

賑やかなマージャンだ。

たまに、まじめなことも。
誰かが、いじめが話題になってるなと言った。

こう言ったのがいた。
「学校は、社会は、子供たちのいじめをなくすことは出来ないだろうな」って。
どうしてよって、聞いた。 
「学校も、社会も、大人の世界がいじめの社会だからだ」って言った。
いじめてる人間が、いじめを解決するのは無理、ということか。

なるほど。
これについて、例えばの話しをしたのがいた。

「俺若い時、新しい学校に行って、学級通信を出した。
 そうしたら、この学校は出さないことにしているんだ。
 勝手なことをするな」って、言われた。

学級通信を出さないって職員会議で決めることは、あり得ない。
ボスのような人間が中心になって、勝手に決めてる。

 ※ あの大川小学校で、子供たちを外に出した時、どこに避難するか直ぐに決まらなかった。
   教頭が主導権を持って決めることは出来なかった。
   どういう状況の時、こうなるか。
   それは、上のようなボスっぽいに教師がいる時に、なりやすい。
   周りから信頼されていないボスの場合は、特に、たちが悪い。

熱心なことをすると、横やりが入る学校は、珍しくない。
みんなで楽(らく)しようとしている学校は、いっぱいある。

たまにはまじめな話もしながら、延々と、続いた。

みんな定年になっている。
人生1年1年だな、と誰かが言った。

1ヶ月1ヶ月のも、いるけどな、って、誰かが。
この集まりには、重い病気の者も1人いる。

みんな気を使うことはあっても、腫れ物に触るような接し方はしない。
上のような言い方をしても、大丈夫。
ほとんど喧嘩はしたことのない、仲間。

数時間寝て、朝食。
酒は飲んでも、夜食は食べてなかったので、みんな食欲旺盛。

※ 稚内の教育委員会に勤めてるのがいる。 Tさん。
  「ニーナさんって人、知らないかい」って聞いた。
  「知ってるよ。 その店に良く行くし、歌ってって言ったら、歌ってくれるよ」って言った。

  Tさんは、ニーナさんを知っていた。
  稚内に行ったら、連れて行ってもらうことにした。

ニーナさんは、日本で最初に、百万本のバラを歌った人。

2曲目で、百万本のバラを歌います。



※ 南大隅町を散策 ~島泊の磨崖仏は山奥だった~  「マーラが与えた人生」と「百万本のバラ」、まとめ  (2012/3/9)

最後は、また、来年会おうなって、分かれた。

【明日の予定】  車のエアコンを直す。

※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。   
                                                    (2008年4月~2010年9月までの記事)

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ブログの記事に、以前、下のを書いた。

無題anasutasia

帝政時代の責任の追及は、皇帝だけにとどまらなかった。

エカテリンブルクは、下の地図に。 
その町の北に、ニージニー・タギルという町がある。
そこに、ロシア帝国ロマノフ朝の将校だった1人の男と、その家族が住んでいた。
一家は、革命軍に命を狙われることになる。

家族は、遠いシベリア横断の旅に出る。
その家族には、2歳になる男の子がいた。

長い旅の末、家族は中国北部のハルビンにたどり着く。
  ※ ハルビンは、当時、日本の支配下に置かれた、満州にあった。
その後、さらに安全な日本に渡る。 着いた町は、北海道の旭川市。
苦労の末の、やっとのことだった。

男の子は、9歳になっていた。
名前は、ヴィクトル・スタルヒン。
小学校から野球を始め、旭川中学(現旭川東校)に進む。

野球の才能が認められ、プロに進む。
通産300勝。 1年間の勝利数42勝。 他、多数の記録。

今日の試合会場は、彼の名前が付いた、旭川スタルヒン球場。

ウラル山脈の、東にある町で生まれた。

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広い地図ではこう。
  ※ 今、ニュースになっている、シリアが、左下に。
    山本美香さんが撃たれた場所は、アレッポの北部。

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    ※    ※    ※    ※

愛別にいる妹と、11時半に待ち合わせ。
スタルヒンの像の向こう辺りで。 試合は、午後1時から。

  ※ 球場までは、姉の旦那に送ってもらった。 自転車を積んで。

この写真は、Wikipediaからお借り。 撮り忘れた。

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この天気。 風が通るので、思ったより暑くない。

12年8月21日 (1)

みんなビールを勝って、飲んでいる。
 ※ 私は、昨夜ぐっすり寝ようと寝酒した。 少し油断した。 飲み過ぎて2日酔い。
他の人にビールを見ても、うらやましくない。 珍しいこと。

試合前の、セレモニー。 まず踊り。

12年8月21日 (2)

12年8月21日 (17)

左が、栗山監督。 右は、岡田監督。 ※ 岡田監督は、文句を言ってる姿が、一番彼らしい。

12年8月21日 (18)

ベンチの様子。 右端が、監督。 足を上げてるのは、中田。

12年8月21日 (19)

みんなカレーも食べていた。 名前は、ハムカツカレー。

ライトは、糸井。 センター、陽(よう)。 2人が、目の前。

※ 糸井、陽、稲葉達は、バッターボックスに入った時、打ちそうな感じがする。

12年8月21日 (20)   12年8月21日 (21)

隣の、おっちゃんと云う感じの人が、最下位のオリックスに勝っても自慢にならないな、と言った。

いよいよ試合開始。 守りから。
武田勝がファーボールを出したりして、あっという間に、1点。 ア~ア。

12年8月21日 (3)

日ハムの攻めが始まると、立つ人がいる。 誰も文句は言わない。

12年8月21日 (4)

下は、2つとも、陽の打席。 こういう写真は、たくさん撮った。
※ 撮った後に、写真の説明を書いておかなければ、何の写真か分からなくなる。

12年8月21日 (22)   12年8月21日 (23)

ストライクになりそうな時だけ、シャッターを押す。

12年8月21日 (24)

内野席。 こっちは、高い。 4000円とか、5000円。

12年8月21日 (25)

12年8月21日 (26)

応援を指揮する人がいる。 何人か、交代で。

12年8月21日 (27)

札幌からやって来たのか。

12年8月21日 (28)

私の横は、こう。

12年8月21日 (5)

グランド整備の時。

12年8月21日 (6)

糸井や稲葉の背番呉が多い。 
写真中央下の子供は、ダルビッシュ。

12年8月21日 (7)

中田かな。

12年8月21日 (29)

ベンチの様子。

12年8月21日 (30)

金子は、いい時に出て来て打つ。 

12年8月21日 (31)

テレビ中継。 岩本さんが解説。 ガンちゃん。 応援実況。

※ 野球を見てても、解説なしなので、いつもと違う。

12年8月21日 (32)

12年8月21日 (33)

5回は、打って打って、打ちまくり。 11点。 球団タイの記録。
稲葉も打った。

12年8月21日 (34)



何かあったら、踊りだす。 テレビでは、コマーシャルの時なので、見られない。

12年8月21日 (35)   12年8月21日 (36)

日ハムの最近の試合は、1点差。 少ない点しか取れない。 こんな試合は、久しぶり。
観客は、ホームランを見たくなった。 オリックスの選手でもいいから打ってくれないかなと。

7回が終わったら、風船を飛ばした。

12年8月21日 (8)

試合が終わって、また飛ばした。

12年8月21日 (9)

久しぶりの大勝。

12年8月21日 (37)

監督もうれしそう。 こんばんは、寝られるか。

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ヒーローインタビューは、ピッチャーの武田勝と鶴岡。

12年8月21日 (38)

ライトスタンド前に来た。

12年8月21日 (39)   12年8月21日 (40)

妹は、バスで買えるので、少し早くスタンドを出た。
私は、自転車で戻る。

旭橋。 旭川市のシンボル。 下を流れる川は、石狩川。

12年8月21日 (10)

あるホテルの前を通ったら、日ハムの選手が、バスから下りていた。

12年8月21日 (11)

このホテル。 昔は、別の名前だった。

12年8月21日 (12)

足は、自然と蜂屋へ。
一昨日は15丁目の本店で食べた。 作っていたのが、3代目でなかったので、5条の支店に来た。
あれれ、本店にいた人が、またいた。 目が合った。 残念でした、と言ってるみたいだった。

出来は上々。 油普通で、この濃さ。 最近は、普通でも濃い。

12年8月21日 (13)

蜂屋の歴史。

12年8月21日 (14)

12年8月21日 (15)

蜂屋の、裏口。

12年8月21日 (16)

自転車で風を切って走ったって、風がなま暖かい。 神楽丘まで戻るのも、疲れた。
最近運動不足。 動き回らないと、足がおかしくなる。 どうする。

大量得点。 面白かった。
栗山監督は、13点の半分でも、もらえたらいいと言った。
それは少し贅沢、3点で十分。 いや、1点でも、明日の試合に使えたらいい。

首位奪取。

今日の試合は、きっと、スタルヒンも見守っていてくれた。

  ※ スタルヒンの娘さんは、ナターシャ・スタルヒン
  ※ スタルヒン球場で、始球式をやったことがある


【停泊場所】   姉の家の前

【明日の予定】  比布の集まり。 毎年ある。 晩に、マージャン。

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by AlphaWolfy

akkamui212

Author:akkamui212
2009年4月に放浪の旅をスタートし、7回目の日本1周に入っています。
「キャンピングカーで放浪の旅」に続き、パートⅡです。
よろしく。


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