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キャンピングカーで放浪の旅 Ⅱ

全国を、写真と動画で探訪

西南戦争は、日本最後の内乱。 明治10年。 リーダーは、西郷隆盛。

戦いは、こうして始まった。
熊本城には、明治政府の、鎮台(ちんだい)と呼ばれる支所のようなのがあった。
薩摩軍は、鎮台を攻めた。
明治政府軍は、熊本城を助けるため、九州に入り、熊本に南下していた。

田原坂は、熊本城の北の砦(とりで)だった。
 ※ 熊本藩の初代藩主は、加藤清正。 彼が、守りやすいように工夫をこらした場所だった。

明治10年の3月4日から、17日間戦いは続いた。 両軍の死者、4000人。
田原坂は、西南戦争最大の激戦地になった。
    ※    ※    ※    ※

熊本市の北に、田原坂はある。 峠というほど。高くない。


右にもう少し行ったら、田原坂の頂上。 下って行くと、熊本城につながる。
政府軍が進んだ道を、上がって来た。

西南の役戦没者慰霊碑。  ※ 西南戦争は、西南の役とも。

12年2月13日 (1)

谷村計介の碑、とあった。 どうして、特別にあるのか。
こんな人。

彼は、政府軍の人で、熊本城に籠城していた。
孤立しているから、城の状況を伝えるため、蜜使として脱出した。 
捕えられたりするが、官軍(政府軍)にたどり着くことに成功。
後に、この地で戦死。
 ※ 彼は、西南戦争の前にあった、佐賀の乱などの鎮圧でも活躍している。
 ※ 西南戦争は、士族の最後の反乱でもあり、その前に小さな佐賀の乱や秋月の乱などがあった。

12年2月13日 (2)

ここでは、こんな説明。 密使としての活躍は、大きなことだったのか。
後の写真にも、彼は出てくる。

12年2月13日 (3)

田原坂は小さな峠。 下の平地から、100㍍も高くない。 

12年2月13日 (4)

向こうが、田原坂の頂上。
昔は、熊本への道は、これしかなかった。 政府軍は、どうしても通らなければならない。

12年2月13日 (5)

この辺りが、田原坂の中心地。 
大きな楠があった。 この大楠は、戦いの全てを見ていた。

12年2月13日 (6)

田原坂の戦いが、短くまとめられている。

12年2月13日 (7)

美少年の像とあった。 若い兵士が多かったので、作ったよう。

12年2月13日 (8)

台座には、こう書いてあった。
「雨は降る降る じんばはぬれる・・・」は、民謡「田原坂」の歌詞。

DSCF5631mmp

若者は戦いに勝ったら、大きな未来があると思っていたのか。
士族の子供たちかな。

いい像、と言っていいですね。

12年2月13日 (9)

一帯は公園になっており、見えるのはお土産屋さん。 むこうに資料館がある。

12年2月13日 (10)

田原坂崇烈碑。 
 ※ 崇烈(すうれつ)という言葉は、この碑でしか見られない。 崇拝の崇、烈火の烈。
   つよくあがめる、はげしくうやまう、と云うような意味か。

12年2月13日 (11)

政府軍のための碑と分かる。

12年2月13日 (12)

※ 天皇は政府軍を支持したから、薩摩郡は賊軍になった。
  古い石碑は、政府軍側の物が多い。

現在は、西南戦争は内戦だから、どっちが悪いとかの見方はしていない。(たいていは)

田原坂の道についての説明があった。

12年2月13日 (13)

戦いの位置図。 薩摩軍は対等に戦うが、武器が政府軍より古かった。 雨の時に、使いにくかった。

12年2月13日 (14)

3月の雨は、まだ冷たい。 服装も、薩摩軍は不利だった。

見えるのは、資料館。 茶畑。

12年2月13日 (15)

明治時代に入っても、江戸時代に武士だった士族は残っていた。
西郷隆盛は、士族が大事にされる世を考えていた。 政府軍の考えより。

戦いはこの辺り一帯、全部。

12年2月13日 (16)

西郷隆盛も、明治政府の中枢にいたが、朝鮮の扱い方で意見が分かれ、鹿児島に戻る。
西郷の支持者は、半数いた。 半数は、政府の仕事から離れる。 

資料館の中。 自由に写真は撮れない。 この服装は、薩摩郡。 
木綿は、雨が降れば濡れる。 体に、くっつきそう。

12年2月13日 (17)

官軍。 薩摩郡の服装より、雨に強いそう。 動きやすいということも。

12年2月13日 (18)

江戸時代までの戦いは、鎧を着た。 西南戦争は、鎧なし。 どっちかが、すぐに流血。

こんな大砲も使われた。

12年2月13日 (19)

政府軍のトップには、大久保利通がいた。
彼は、龍馬のように日本の未来を考えていたのではなく、自分の未来しか考えていなかった。
このことは、佐賀の乱の江藤新平を調べた時、そう感じた。

同じようなことは、西郷隆盛たちも考えており、そのことへの不満もあった。

全体の写真は、撮らせてもらった。 
  ※ ここは撮影していいとか、聞いたんだが、よく分からなくなった。
    ひどい展示だとか、悪くは書けない。

12年2月13日 (20)

政府軍の中心人物。  最初に出てきた、谷村計介がいる。 乃木少佐も。

12年2月13日 (21)

※ 上の写真の宮崎八郎は、薩摩軍。
  彼は、先日のブログで書いた、宮崎滔天(とうてん)の兄。

大きな写真。

12年2月13日 (35)

下は、薩摩軍。 知らない人ばかり。

12年2月13日 (22)

正面に、戦いの絵。

12年2月13日 (23)

鉄砲の弾が飛び交う中、刀や槍でも戦ったよう。

12年2月13日 (24)

※ ここからの写真は、パンフレット。

薩摩郡。 指揮しているのは、桐野利秋と云う人。 薩摩藩士。 西郷が倒れた後も、戦っている。

12年2月13日 (30)

植木町に、自由民権の学校があった。 そこの人達。 薩摩軍として戦う。

12年2月13日 (31)

当時の鉄砲。

12年2月13日 (32)

戦いの後の、田原坂。 木が倒れたりしている。

12年2月13日 (34)

田原坂の戦いの時、救護をした団体があった。 敵味方なく、救護。
名前は、博愛社。 この博愛社が、今の「日本赤十字社」になる。 下の説明は、大丈夫。
日赤の原点は、田原坂にあった。

12年2月13日 (25)

家や蔵に、鉄砲の弾が当たった。

12年2月13日 (33)

上の写真の家を復元していた。

12年2月13日 (26)

慰霊塔。

12年2月13日 (27)

西南戦争の犠牲者、14138名の名前。

12年2月13日 (28)

こういう名前を見るのは、日航機事故の御巣鷹の尾根以来。 ※ それはここに

12年2月13日 (29)

西郷隆盛の人気が高いために、西南戦争は、官軍側からだけでなく、見られるようになった。
昔の戦いは、どっちが悪いとかは、考えても難しい。

もともと明治政府だって、今のように、みんなで決めた政府ではない。
戦いで、江戸幕府に勝った者たちがつくった。

この戦いの後、明治政府は安定していく。
士族たちは、自分で生きて行くしかなくなった。
不満を言っても、どうしようもないと悟った。

今日は、西南戦争について、少し勉強しました。 何も知らなかった。

【動画】



【今日の歌】   
遥かな轍(わだち)



民謡 田原坂



江戸幕府への恩義を忘れなかった者たちは、最後まで戦った。 江戸時代最後の頃。



※ 関連ブログ  鶴ヶ城  さざえ堂  白虎隊士の墓 ~会津若松市~  明日 吾妻山へ  他  (2010/7/20)


【その他】   ブルー・ライト・ヨコハマ、追記。

「ブルーライト・ヨコハマ、奇跡のペニシリン」を先日書いたが、あの中で、
どうして佐世保に来れたのかが、分からない、と書いた。
いしだあゆみの母親が、佐世保出身と疑ったが、分からなかった。

柳川の銀河宙太さんが教えてくれた。
母親は、大牟田市の出身だった。 これなら、佐世保は近いから、情報は手に入る。 やっと分かった。
※ なお、平成10年に、大牟田市を舞台にしたNHKのテレビドラマ「見知らぬわが町」が、つくられた。
  いしだあゆみが出演した。 少し前に、母親は亡くなっていた。
  大牟田の駅に着いたいしだあゆみは、「お母ちゃん帰ってきたよ」って言ったそう。

※ 関連ブログ  佐世保の夜景 ~佐世保市~  ブルー・ライト・ヨコハマ、奇跡のペニシリン  他  (2012/2/2)

【道の駅】   竜北


【明日の予定】  水俣辺りかな

※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。   
                                                    (2008年4月~2010年9月までの記事)

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akkamui212

Author:akkamui212
2009年4月に放浪の旅をスタートし、11回目の日本1周に入っています。
「キャンピングカーで放浪の旅」に続き、パートⅡです。
よろしく。


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