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キャンピングカーで放浪の旅 Ⅱ

全国を、写真と動画で探訪

武田信玄は、軍師を採用する際に、こう聞いた。
  「占いは足利にて伝授か?」と。
軍師には、占いと兵法が必要だった。
足利学校で易学を学ぶことは、一人前と認められることに、つながった。
 ※ 武田の軍師 山本勘助が学んだかどうかは、分からない。
   ある物語では、学んでいるが。

渡良瀬橋の袂で、森高千里の曲「渡良瀬橋」が、夕日の中で爽やかに流れた。
    ☆    ☆    ☆    ☆

足利市は、栃木県の南西部。 群馬県との県境に近い。


車は、河川敷の駐車場に置いて歩いた。
正面が、足利学校。 門は、学校門。  學校と書いてある。 入館料400円。

11年10月28日 (1)

孔子廟。 この学校では、孔子の儒学を学んだ。 ※ 門もこの建物も、江戸時代の初めのもの。

11年10月28日 (2)

孔子像。

11年10月28日 (3)   11年10月28日 (4)

手前が方丈で、ここで学んだ。 向こうは庫裡(くり)で、台所。

11年10月28日 (5)

庫裡から入った。

11年10月28日 (6)

方丈。 寺小屋という感じでない。

11年10月28日 (17)

宥坐之器(ゆうざのき)。   
最初少し傾いている。 水を丁度良く入れると、真っ直ぐに。 入れ過ぎると、ひっくり返る。
これで、教訓を学ぶ。

この人も、ひっくり返るまで水を入れてみた。

11年10月28日 (7)

正面、木の向こうに、遺跡図書館がある。 大正時代の建物。
玄関から入った時、ここは入室禁止、ここも禁止と続いた。 どこに入れるんだと、他の客と顔を見合わせた。

11年10月28日 (8)

100人くらいは、座れそう。

11年10月28日 (12)

右は、仏殿と、徳川家の位牌。

11年10月28日 (9)   11年10月28日 (11)

見える建物は、さっきの孔子廟。 庫裡の後ろに、書院があって、そこから。

11年10月28日 (13)

吉田松陰と高杉晋作も来たと。
 
吉田松陰が来たのは、1852年4月3日とあった。
以前のブログに書いた、吉田松陰が、秋田と青森県の間にある矢立峠を通ったのは、同じ年の2月29日。
それで、東北からの帰りに寄ったと分かる。

11年10月28日 (15)

上杉憲実(のりざね)。 足利学校の、中興の祖とあった。

11年10月28日 (16)

※ 上の像の本物は、新潟県の雲洞庵にある。
  大河ドラマで、直江兼続が幼少時代、「わしはこんなとこ来とうはなかった!」 と言った寺。

下の門は、裏門。 普段は、ここを使ったと云う。 袖塀と云う塀がある。 珍しい。

11年10月28日 (18)

全体が、ここからやっと。

11年10月28日 (19)

足利学校で出て、まちなか遊学館に入った。
織物の機械と、夢二の絵ハガキ。 足利は、かつて、織物が盛んだった。

11年10月28日 (21)   11年10月28日 (20)

ばん阿(な)寺に向かっている。 近い。

11年10月28日 (22)

この町は、私があまり良く言わない、相田みつをの出身地だった。

11年10月28日 (23)

足利尊氏の像。 
足利市が、足利氏発祥の地と聞いていたが、そのことは、足利学校では分からなく、気になっていた。

11年10月28日 (24)

下の家系図に、源義康がいる。 この人が、この地で、足利義康を名乗る。

keizu gennzi

義康の数代後に、足利尊氏が生まれる。 そうして、金閣寺の義満や銀閣寺の義政につながる。
確かに、足利氏発祥の地だった。 やっと分かった。 源氏の流れだった。

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ばん阿寺の境内は広く、ここは、かつて足利氏の館(やかた)だった。
※ 城跡とも考えられ、日本100名城(15番)に選定されている。

11年10月28日 (25)

イチョウの大木。 建物は、多宝塔。

11年10月28日 (26)

本堂。  寺の説明では、1196年建立とあった。 Wikipediaでは、1299年。
いずれにしても古い。

11年10月28日 (27)

機械で、獅子が舞っていた。  びんづるさんかな。

11年10月28日 (28)   11年10月28日 (29)

道は、四方にある。 戦いに備えてか。

11年10月28日 (30)

経堂。   帽子をかぶった、地蔵さん。

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境内は木が育っていて、この場所からだけ、全体が撮れた。

11年10月28日 (33)

街の中の道を歩いて、交番で聞いて、やっとここに来た。 渡良瀬橋。

11年10月28日 (34)

川は、もちろん、渡良瀬川。 いい名前。

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歌碑があった。 ボタンを押したら曲が流れた。  ※ 音が小さかったので、動画は無理だった。

11年10月28日 (37)

11年10月28日 (38)

※ この歌が生まれた経緯は、Wikipedisに、こうあった。

  森高が1993年に新曲をリリースする際、特にイメージが沸かず困っていた頃、橋の詞を作ることにし
  地図を広げ「言葉の響きの美しい川や橋」を探し、「渡良瀬川」という文字が気に入った。
  森高は1989年に足利工業大学でライブを行っており、大学のある足利市内に渡良瀬橋という橋がある
  ことが分かった。
  その後、現地に再訪して橋の周辺を散策、そのイメージを使って詞を書いた。



城之内早苗も歌っている。



歌ってる通り、夕日も、夕日に照らされた町も、きれいだった。

11年10月28日 (39)

急に渡ると分かって、曲は間に合わなかった。  



渡良瀬川は鉱毒で苦しんだけど、渡良瀬橋の歌によって、少し助けられたでしょうか。

東京に近づいてきたので、何もかも、込み入ってきた。
川越市に行ったら、すぐ脱出する。

【その他~ダルビッシュの一言】
  野球のドラフトで、巨人入りを希望していた管野を、日ハムが交渉権を手に入れた。
  マスコミは、1位指名した日ハムを「空気が読めない日ハム」と書いた。
  世論が、その言葉に流されそうになった。

  その時、ダルビッシュが、ひとこと言った。
  『そもそも、そんな「空気」あったらいけないですよね。 全ての人、球団に平等であるべき』と。
  
  空気が再び変わった。
  管野がもし日ハムに入ったら、ダルビッシュの一言が、大きな影響を与えたことになる。
  ダルビッシュの言うことは面白いし、重い。

  ※ 話しが少しそれて、
   城之内早苗のおじいちゃんと、元巨人の城之内投手は、兄弟。 
   投手の後、スカウトをやった。 若き日の落合を入団させたのは、彼。  

【道の駅】    めぬま   ※ 群馬県を通り越して、埼玉県に入った。


【明日の予定】   川越市を考えているが、明日は無理かな。

※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。   
                                                    (2008年4月~2010年9月までの記事)

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谷中(やなか)湖を含む一帯は、渡良瀬遊水地となっていた。
 ※ この場所は、足尾鉱毒事件による鉱毒を沈殿させることを目的に、渡良瀬川下流に作られた。
   遊水池である谷中湖が中心。

谷中村があった跡が、一部残っていた。
   ※    ※    ※    ※

道の駅にある建物の、屋上から撮影。

11年10月27日 (1)

赤○が道の駅。 黄色の○が、谷中村の跡。 ピンクの橋まで、自転車で行く。

11年10月27日 (2)

右に、渡良瀬川が流れている。


谷中村跡の北に、展望台がある。 そこから撮影。 谷中湖が見えている。
写真の左方面に、役場跡とかがある。

11年10月27日 (3)

広く公園になっていた。 憩いの場、と云う感じ。 小学生や中学生も来ていた。

11年10月27日 (4)

自転車で散策していたら、釣りをしている人がいた。 遊水地(谷中湖)には、釣りで来る人も多い。

11年10月27日 (5)

コイの子供。 持って帰って、近くの池に放すと云う。 ここの来れない時は、そこで釣る。

11年10月27日 (6)

遊水地は3つに仕切られていて、この道は、仕切っている道。 向こうに行く。

11年10月27日 (7)

上の地図の、北橋。 

11年10月27日 (8)

この後、谷中村の痕跡探し。 ここに、役場があった。 でも、標示はあっても、何もない。

11年10月27日 (9)

消えかけた地図があった。 黄色の○が、役場跡。
この後、神社とかの場所が分かる。

pp

「谷中村遺跡を守る会」が、昔の歴史を残そうとしていた。

11年10月27日 (11)

この後、村の痕跡を探したが、見つけられない。
環境整備をしている人たちが、昼休みで集まっていたので、聞いた。
親切に教えてくれた。

砂利の細い道を、しばらく行ったら、それらしい場所に出た。
左に、神社跡。

11年10月27日 (21)

高くなっていて、上はこう。 標示はあるが、あったのは、石が1個。
昔は、右の写真の神社があった。 谷中村雷電神社。
田中正造は、何度もここに来ている。 村の人達と、ここで話し合った。

11年10月27日 (12)   11年10月27日 (31)

ここが墓地。 右には延命院というお寺があった。 今は、何もないが。

11年10月27日 (13)

その寺にあった鐘。 この後行く、藤岡町歴史民俗資料館で、撮影。

11年10月27日 (28)

遺跡を守るために、陳情が必要だったことが分かる。

11年10月27日 (14)

墓石。 江戸時代のも多い。

11年10月27日 (15)

十九夜供養とある。 初めて見る。 Wikipediaには、こうあった。

  ※ 月待行事とは、十五夜、十六夜、十九夜、二十二夜、二十三夜などの特定の月齢の夜、
    「講中」と称する仲間が集まり、飲食を共にしたあと、経などを唱えて月を拝み、
    悪霊を追い払うという宗教行事である。

十九夜供養塔は、関東地方に少し見られるだけのよう。 少ない。

11年10月27日 (16)

何を怒っているのか。

11年10月27日 (17)   11年10月27日 (18)

この地蔵さんは、村が無くなったことを知っているのか。
天和元年は、1681年のこと。 古いですね。

11年10月27日 (20)

この後、藤岡町歴史民俗資料館に向かった。

田中正造に関する資料は、ネット上にいくらでもある。
知りたかったのは、谷中村の人たちの動き。 
特に、北海道に移住した人たちのこと。 佐呂間町栃木に。

資料館で、下の写真のが目に入った。  石塚倉子と云う人。

11年10月27日 (22)

※ 調べてみたら、代表作に、下のようなのが。
  もしかしたら、この人に、光が当たる時が来るかもしれませんよ。

muronoyasima7657.jpg

※ 詳しくは、ここに

田中正造。

11年10月27日 (23)

右の写真は、大洪水の視察とある。

谷中村は、洪水はもともとあった。
でも、足尾銅山が出来て山の木が無くなったため、洪水の規模が大きくなった。
※ 銅山では、精錬のため、大量の燃料がいる。

11年10月27日 (25)

議会での質問書。 正造は、衆議院議員になっている。

11年10月27日 (24)

田中正造の衣類など。

11年10月27日 (26)

読みは、左下に。 意味を調べたが、分からない。

11年10月27日 (27)

洪水の時の、谷中村。 その時代の、人の表情のある写真は、貴重ですね。  屋根の上にも一人。

11年10月27日 (29)   11年10月27日 (30)

強硬破壊に用いた木槌とある。 よく残してあったもんです。

11年10月27日 (32)

資料館では、谷中村の人たちの動きについての資料を見せてくれた。
それを、写真に撮らせてもらった。 旧谷中村関連資料調査報告書。

※ これについては、以前読んだことがあった。
  3年程前、藤岡町のホームページに載っていたような気がした。
  資料館の人の話では、栃木市と合併したため、今は載っていないと言った。(HPを整理中か)
  上の報告書以外もあったように思う。

  その時、HPをもとに書いたのが、以前のブログに書いた、下の内容。(他もあるが)

yanakamura9999.jpg

上の内容以上のことは、分からなかった。

※ 明治44年4月出発とあるが、この時はまだ、旭川から北見まで石北線は通っていない。
  開通は、この年の秋。
  陸別を通ったと云うことは、帯広まわりで行っている。
  当時開通しているのは、旭川まで行って、富良野線に乗れば、列車で帯広まで行けた。
  そこから先、どうやって行ったのだろう。
  かなりの部分は、きっと歩いた。
  留辺蘂まで行ったら、ひと山越えて、栃木と名前をつけた、その地になる。

※ 栃木団体と云う名前で、開拓に入っていた。
※ 私のおじいちゃんは、秋田団体の一員として、同じ時代に、留辺蘂の少し南に入っている。
  栃木は、留辺蘂の少し北。
※ 北海道に開拓に入った人達は、どこも、同じような苦労をした。

※ 2009年2月の、佐呂間町栃木。    今年の夏近くを通ったので、動画を撮れば良かった。 忘れなければ、来年。

11年10月27日 (34)

歴史民俗資料館の外にあった、田中正造の像。 谷中村があった方を見ている。

11年10月27日 (33)

この川が、渡良瀬川。 この下流に谷中湖がある。



調べるだけの十分な時間はなかったけど、谷中村跡を見られたことがよかったかな。

パンフレットや、案内板などの文章の表現は、下のように。

 「渡良瀬川遊水地は、旧谷中村民の移住問題等、人々の大きな犠牲のもとにつくられました」

時代が変わった今、行政を含めた地域の人々全体の意識は、苦労した人々の側に立っているように感じた。
それを知って、少し安心したでしょうか。

【道の駅】   みかも


【明日の予定】   足利市  足利学校とか

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akkamui212

Author:akkamui212
2009年4月に放浪の旅をスタートし、十数回目の日本1周に入っています。
「キャンピングカーで放浪の旅」に続き、パートⅡです。
明日は、どこの空の下にいるのかな。


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