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キャンピングカーで放浪の旅 Ⅱ

全国を、写真と動画で探訪

蝦夷地はアイヌの天地だった。
でも、明治に入って、土地は奪われ、アイヌは絶望の淵に立たされていた。

そんな中、アイヌ民族に自信と光を与え、重大な復権・復活の転機を生みだした書物があった。
それは、17歳の少女が綴った『アイヌ神謡集』。
彼女の名前は、知里幸恵(ちりゆきえ)。
完成したその晩に、持病の心臓発作で亡くなる。

金田一京助との出会いが、全ての始まりだった。
    ☆    ☆    ☆    ☆

アイヌ記念館は、近文駅に近い。



記念館は、左側手前から2番目の建物。

11年9月4日 (1)

川村カ子ト(かねと)アイヌ記念館。

11年9月4日 (2)

この記念館は、大正5年に開館している。 道内で最も古いアイヌ博物館。
昔、この辺りは近文コタンと呼ばれていた。
その生活が分かる。

11年9月4日 (3)

11年9月4日 (4)   11年9月4日 (5)

11年9月4日 (6)   11年9月4日 (7)

エゾモモンガです。 アッカムイとあります。
私は、akkamuiと書いてるけど、ここでは、Atkamuiとなっている。 Kが一つ、tになってる。
口の中で少し「こもる」ような発音になるのでしょうか。

「ア」が子どもの意味なので、子どもの守り神となったんですね。 いい意味です。

11年9月4日 (8)

愛くるしい目。 めんこい。

11年9月4日 (9)

舞台。 ムックリの演奏など、発表会もあるのかな。

11年9月4日 (10)

アイヌの特徴として、目の周りの骨格が、しっかりしている感じ。

11年9月4日 (11)

メノコは、女(め)の子。 美しいです。

11年9月4日 (12)

11年9月4日 (13)

アイヌ独自のものですね。

11年9月4日 (18)

一般的な日本人より、眼鼻立ちがはっきりしている。

11年9月4日 (19)

立派な髭。 東洋人の顔立ちとは、少し違う。 彫りが深い。

11年9月4日 (21)

この人が、川村カ子ト。  銀のしずく・・・、があります。

11年9月4日 (14)

川村カ子トと云う人は、こんな人。 測量で活躍している。 

11年9月4日 (17)   11年9月4日 (16)

この人は、知里幸恵の弟。 大げさでなく、アイヌの天才姉弟と言われた。

11年9月4日 (15)

この写真は、明治43年(1910)頃に撮影されたもの。 ※ ほぼ100年前。
左の方に、小学生だった、知里幸恵がいる。
   ※ 右の方に、ピアソンがいる。 この人は宣教師で、北見の発展にも貢献する。
     北見市に、ピアソン記念館がある。

11年9月4日 (20)

知里幸恵は、1903年(明治36)に登別市に生まれた。
6歳から 19歳まで叔母の住む旭川で暮らした。
     ※ 叔母は、キリスト教の布教活動をしていた。 (それで、ピアソンとの写真)

11年9月4日 (23)

幸恵の祖母は、アイヌの口承の叙事詩“カムイユカラ”の謡い手だった。
※ Wikipediaには、こうある。
   カムイユカラは、文字を持たなかったアイヌ民族にとって、その価値観・道徳観・伝統文化等を子孫に継承していく上で重要なものであり、
   幸恵はこのカムイユカラを身近に聞くことができる環境で育った。

幸恵は、旭川高等女学校を受けるが、合格しなかった。
     ※ 最高点だったという話がある。 アイヌへの偏見は強かった。
尋常高等小学校へ行く。
それも、川の向こうで、40分かけて通ったそうだ。
元々幸恵は心臓が悪かった。 館長さんは、通ったことが、大きな負担になったんでないかなと、言った。

旭川高等女学校は、後に旭川西高になる。
私の母校。 合格させなかったのは、学校の歴史の大きな汚点。 残念なこと。

1918年(大正7)、金田一京助がアイヌ語採集で旭川に来る。
金田一は、彼女の才を見出すことになる。
幸恵の頭には、祖母から聞いたもの全てが、入っていた。
金田一は、神謡の筆録と和訳を勧めた。

翻訳作業は、東京の金田一宅に身を寄せて続けた。
『アイヌ神謡集』は1922年(大正11年)9月18日に完成したが、その日の夜、心臓発作で幸恵は倒れ亡くなった。
享年19。

※ 今日買ってきて読んでみた。 言われるように、美しい文と言っていいように思う。

11年9月4日 (22)

NHKの「そのとき歴史が動いた」で、アイヌ神謡集が紹介された。(2008年10月15日)

無題kokoii876

神謡集の原文は、旭川市の博物館にある。
登別市に「銀のしずく」記念館があって、譲ってほしいと旭川市はお願いされているそうだ。
でも、旭川市は譲らない。
※ 登別市は、観光の目的で記念館を作ったと思う。
  でも、知里幸恵は、物心ついてからのほとんどを旭川市で過したから、旭川市に置いてあっていいように思うかな。
  知里幸恵の記念館が、旭川市に出来るのが、一番良かった。 そうも思う。



知里幸恵は、流れ星のように、一気に輝いて人生を終えた。

【停泊地】   姉の家の前

【明日の予定】  旭川駅が新しくなったので、見てこようかなと。
         注文したものが入ったら、明日旭川を離れます。

※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。   
                                                    (2008年4月~2010年9月までの記事)

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akkamui212

Author:akkamui212
2009年4月に放浪の旅をスタートし、十数回目の日本1周に入っています。
「キャンピングカーで放浪の旅」に続き、パートⅡです。
明日は、どこの空の下にいるのかな。


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