キャンピングカーで放浪の旅 Ⅱ

全国を、写真と動画で探訪

土方歳三が死んだ1週間後、明治2年5月18日、榎本武揚以下全員が降伏した。
戊辰戦争、また函館戦争は終わった。
それは、江戸幕府の残り火が、消えた瞬間でもあった。

函館の町の路傍には、たくさんの遺体が転がっていた。
だが、賊軍の遺体だから、誰も手を出せない。

処分覚悟で、動いた人間がいた。
また、その男に協力した寺が、一つだけあった。

今日は、その寺に、まず行った。


久しぶりに自転車。 小さいけど、どこまでも行ける。
駅には、あっという間に着いた。

目的地の碧血碑は、下に見える。

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ここは、駅の隣にある朝市。 

11年7月30日 (1)

海の幸、山の幸、何でも売っている。 私はいつも、見るだけ。

11年7月30日 (2)

タラバガニ。 はかりの上で、動いた。

11年7月30日 (3)

ベイエリア。 赤レンガ倉庫が並んでいる。 お店か、食べ物屋さん。

11年7月30日 (4)

金森赤レンガ倉庫群と、この辺りは呼ばれる。 ベイエリア地区にある。
小樽を歩くのに似ているかな。

11年7月30日 (5)

旧金森洋物店。  老舗。

11年7月30日 (6)

この坂を、もう少し登って、右に目的の寺はある。 寺の名前は、実行寺(じつぎょうじ)。

乗ってる自転車は、これ。 12インチだったかな。 軽くて小さい。
いつも、助手席に、ちょこんと座っている。

11年7月30日 (7)

実行寺。 日蓮宗。  ※ 本山は、身延山。(昨年、初夏の時期に行った)

11年7月30日 (8)

お寺のどこに遺体を埋めたのか、そんなことを知りたくて、受付に行った。
受付にいた男の人は、詳しかった。
戊辰戦争の全てを知っていた。 幕末の頃からの、この寺の動きについても。

30分程、説明していただいた。 質問にも。 お茶も。
こうだった。

① 1854年、日米和親条約を結ぶ。 函館開港。
  ペリー艦隊がやって来た。
  どうして、函館が開港になったか、その理由を聞いた。

  アメリカは捕鯨をやっていた。
  北太平洋に、食料や燃料の補給基地が必要だった。
  函館は、ちょうどいい場所だった。 日本海にも行ける。

② ペリー艦隊が来た時、写真班の宿舎が、実行寺になった。
    ※ 実行寺は、昔は、もっと街の中にあった。(地図参照)
  その写真班が撮った写真が、日本最古の写真となる。(このことの事実関係は、だいじょうぶ)

    ※ よく見る龍馬の写真は、その2年後に撮影。

③ ペリーが来た翌年、フランス艦隊が来た。
  その艦隊には、多くの病人がいた。
  函館奉行所は、幕府の許可を得ず、人道的配慮で、入港を許可。
    ※ フランスは、このことに大きな恩を感じる。この後ずっと友好関係が続く。
  ここ実行寺は、養生所になった。

  船が積んでいた本の中に、ヨーロッパの城の本が、1冊だけあった。
  これを読んだ人間が、武田斐三郎。 五稜郭を設計する。

  五稜郭は、陸地の真ん中にある。  
  どっちの海からも、大砲の砲弾が届きにくいように。

④ 1868年、戊辰戦争がはじまった。
  幕府軍の負傷兵は、実行寺に運ばれる。 函館病院が満員のため。

⑤ 1869年5月18日、戊辰戦争は終わった。
  たくさんの遺体が、街の中に放置されていた。
  柳川熊吉と云う男が動いた。 彼は、侠客(きょうかく。任侠を建前とした渡世人)だった。 

   ※ 熊吉は、実行寺の今までの動きを知っていた。
     それで、住職 日隆上人に相談する。
  
  そして、実行寺境内の墓地と、山背泊に、密かに埋葬する。 796体。
   ※ 山背泊は、今のこの寺の辺り。 

⑥ 1875年、碧血碑(へきけつひ)を建立。 戦死者の七回忌の年。
  実行寺の遺骨を(山背泊りもか)を移し、改めて埋葬。

⑦ 1879年、函館大火。

⑧ 1881年、実行寺は今の場所に移転する。

詳しく説明していただき、外も案内していただいた。
碧血碑への道を詳しく聞いて、実行寺を後にした。

下は、日仏親善函館発祥記念碑。 2001年除幕式。

11年7月30日 (9)

元町公園から、海を撮影。

11年7月30日 (10)

旧公会堂。

11年7月30日 (11)

八幡坂。 歩道が階段。

11年7月30日 (12)

この上の、左の方に行く。

11年7月30日 (13)

妙心寺。 ここも日蓮宗。 この寺に、左後ろの山の中に、碧血碑はある。

11年7月30日 (14)

自転車を置いて歩く。 もうすぐ。

11年7月30日 (15)

木の隙間に、見えてきた。

11年7月30日 (16)

ここです。

11年7月30日 (17)

説明があった。

11年7月30日 (19)

碧血(へきけつ)についての説明が面白い。

11年7月30日 (20)

※ 碧血になると云うのは、血が碧玉になるということ。
  碧玉は、碧(あお)い色をした宝石。 ジャスパー。
  流した血は、3年経ったら、宝石のように美しくなると言っている。
  義に殉じた、潔い死だったと考えている。

※ 赤い碧玉もある。 血の塊に、見えてくる。

※ 碧は、紺碧の碧。 美しいと考えられてる色。
  山口百恵が、昔、「碧色の瞳」という歌を歌っていた。

これが、碧血碑。 高さ6㍍。  花があった。

11年7月30日 (18)

「明治辰巳実有此事 立石山上叺表歔志」と刻まれている。

「明治辰巳、実に此事有り、石を山上に立てて以て厥の志を表す」と読む。

「明治2年、此の事は実際にありました。 山上に石を建てて、悲しみの気持ちを表します」という意味。

※ 7年経っているが、まだはっきりとは書けなかった。

11年7月30日 (21)

遺体を集める作業は、近隣の住民や熊吉の子分達が手伝うようになった。
数日間で、800もの遺体は、実行寺と山背泊に葬られた。

賊軍の慰霊は、その時代出来なかった。
明治政府の命令に反した熊吉は追及を受けた。
しかし、熊吉の堂々とした態度に、官吏は埋葬を黙認せざるを得なかった。

また、終わった後、打ち首になるはずだった。
新政府軍の薩摩藩士・田島圭造が、「これからの日本のために、こういう男を死なせてはならない」と考え、
熊吉への打ち首を取り止めさせた。
熊吉は無罪釈放となった。  (この部分、フレッシュ・ぺディア より)

熊吉が88歳になった時、有志で建てた。

11年7月30日 (22)

柳川熊吉、日隆上人は、幕府の兵士も、同じ日本人と考えたのでしょうか。 同じ人間と考えたかも。
また、徳川幕府に殉じたことに、土方歳三達の意気を、きっと感じていた。

土方歳三の夢ははっきりしなかったが、人を惹きつける生き方ではあったようだ。

柳川熊吉も、面白かったかな。

【停泊地】    昨晩に同じ

【明日の予定】  石川啄木を追ってみようかなと。

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一本木の関門を、馬に乗って出た時だった。
一発の銃声が鳴った。

土方歳三は、どんな夢があって、そこまで戦えたのか。
それが、むずかしい。
でも、最後まで潔く戦ったところが、多くの人の心を惹きつけているようだ。
最後の武士。 そう言えるかもしれない。


窓にひびが入ったのを直したり、ちょっと昼寝をしたりして、出発は2時。
駅まで、1㌔と少し。

途中に、土方歳三 最期の地 がある。
この道は国道5号線。 向こうが駅。

札幌から来ても、江差から来ても、駅に行くには、この道を入ってくる。

11年7月29日 (1)

国道とは別の道。 天気はいいが、汗は出ない。 風は涼しい。

11年7月29日 (2)

目的地が、近づいてきた。 右のビルの、前辺り。

11年7月29日 (3)

手前の木の、向こう。

11年7月29日 (4)

旧幕府軍は、戦いは不利になり、五稜郭にこもった。
明治2年(1869年)5月11日、新政府軍の箱館総攻撃が開始された。

新選組隊士 島田魁らが守備していた弁天台場が新政府軍に包囲され孤立した。
  ※ 池田屋事件の時、池田屋の場所を白状したのは、古高俊太郎。
    拷問で白状させたのは、土方歳三。 捕まえたのは、島田魁。

孤立した島田魁を助けるため、土方歳三は、僅かな兵を率いて五稜郭を出た。
弁天台場は、今ある駅のもっと先。
五稜郭と弁天台場の中間辺りに、一本木関門はある。

ここから、今の駅の方に向かおうとした時、1発の銃声が鳴った。
土方歳三は、馬から落ちた。
腹部を銃弾が貫通した。 
側近が急いで駆けつけた時にはもう絶命。 即死だった。

11年7月29日 (5)

榎本武揚と共に、戦ってきた。

11年7月29日 (6)

最近、新しく、辞世の句が発見された。 ※ いつだったか紹介したが。
こんなの。

 「鉾(ほこ)とりて 月見るごとにおもふ哉(かな) あすは かばねの上に照(てる)かと」

  ( 鉾を手に取って 月を見るたびに思う。 あすはしかばねの上に 照るのかと)

前日に詠んだと云われている。
戦いの情勢から、自分の命も長くないと、感じていた。

11年7月29日 (7)

降伏していたら、助かったかもしれない。
榎本武揚は、助かった。 普通は打ち首だが。
黒田清隆に助けられた。 
  ※ この人は、明治の初め、北海道の開拓長官になった人。
    私が以前いた、根室の花咲小学校の名前を付けた人。 花咲学校と。
    根室に、清隆町がある。

場所は、ここ。

11年7月29日 (8)

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北海道は、車が少ないのに、車道も歩道も広い。

11年7月29日 (10)

中心街には行った。 変な電車。 8月に入ったらお祭り。 その宣伝。

11年7月29日 (11)

函館は塩ラーメン。 食べてみることに。 小さな小路の入り口。

11年7月29日 (12)

情報誌に載っていた。
まあまあというところ。 面が太い。 塩味は繊細な味だから、細い麺が合いそうなんだが。
きっと、醤油や味噌は、もっと美味しいかも。

11年7月29日 (13)

駅の方を少し散歩。

11年7月29日 (14)

美瑛中学校の修学旅行が、函館だった。 函館山は、霧の中だった。 45年前の話し。

11年7月29日 (15)

函館駅。 昔は、連絡船とつながっていた。 高校の修学旅行で、連絡船に乗った。 京都に行った。

11年7月29日 (16)

こっちが朝市。 観光客が多い。
※ 輪島の朝市や八戸の漁港の朝市は、地元の人が多い。
  地元の人が買いに来る所は、安いかな。

11年7月29日 (17)

駅前。  デパートの地下で、イカ2はいと、ホッケの開きを1枚買った。

11年7月29日 (18)

この道を、戻った。 古い看板。

11年7月29日 (19)

機関車。 珍しい。 引っ張られてるのか、押しているのか。

11年7月29日 (20)

もう少しで、終着駅。

11年7月29日 (21)

駅裏を通って、赤レンガ倉庫の方に行く道。 8月1日、花火、とある。 見ることが出来るかな。

11年7月29日 (22)

今晩は、ここ。

11年7月29日 (23)

明日行く所は、頂上の左側の方。 

11年7月29日 (24)

北海道に、死に場所を探しに来たのか。
江戸幕府の家臣として、その生き方を全うしたかったのか。

最初は、新撰組の組織を確固たるものにする。
そうして、最後の目的は、大名か。

北海道に逃げた時は、蝦夷共和国に、少しの夢を描いたか。
でも、見通しはきっと持っていなかった。

司馬遼太郎は、土方歳三の、どこに魅力を感じたのだろう。

龍馬のように、国をどうするとかの夢はなかった。
その時々の、生き方に、魅力があるのか。

土方歳三が、最初に龍馬と出会っていたら、どんな生き方をしたでしょう。

函館は、啄木より、土方歳三の方を、大事にしそうです。

【生活】    折りたたみの棚を作った。  下の方の。
        食べ物置いたり、資料を置いたり。 便利。

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【停泊場所】  上の方の地図の、○印の所。

【明日の予定】 函館山の中腹に、碧血碑(へっけつひ)がある。
        これは、箱館戦争における旧幕府軍の戦死者の慰霊碑。
        土方歳三をはじめとする、約800人の戦死者を弔っている。

        これをつくった人間が、面白い。
        侠客、柳川熊吉という男。
        遺体は、埋葬するのを禁止されていた。
        それでも、集めた。

        協力してくれる寺が、一つあった。
        実行寺(じつぎょうじ)。 
        ここに集めた。
        この寺にも行って見る。
        坂の町並みの、向こう。

        明日は、自転車で動く。
        
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函館に1週間いることになった。
車の排気関係の部品を注文することに。
キャンピングカーステーションの店長さんが、工場を紹介してくれた。
駅に近い、ネッツ・トヨタ。 ※ 会社と関わりが深い。

紹介があると云うのは、急の客とは違う。
 ※ また、店長さんからきっと「よろしく頼む」と話しが行っている。
車は、根本から直すことに。 それで、排気関係の部品交換。
一安心。 ありがたい。

1週間、函館を紹介する。 函館の情報誌も、準備した。
車は使えるが、遠くには行けない。 坂登りは、ダメ。

X100の写真は、比べられない程、良いことが分かった。
明るい単焦点レンズの良さが、これほどまでとは知らなかった。
これから、このカメラを使うことになる。
        ※ 望遠だけは、リコーのCX5。
        ※ 広い角度で撮る、広角というのは、今は出来ないが。 

五稜郭に行ってきた。
函館での土方歳三の人気は、絶大。
魅力は何なのか。
人柄などの魅力は分かるんだが、生き方など、人間としての大きな魅力が分からない。
坂本龍馬が持っているような魅力が。


駐車場は、六花亭(ろっかてい)の隣。
 ※ 六花亭の本店は、帯広。 ホワイトチョコを、日本で最初に売りだした。 人気のお菓子屋。

五角形のお城。
          (写真は、キャノンのD50)
11年7月28日 (1)

タワーに登って、上から見ることに。 
           (D50)
11年7月28日 (2)

ここからでないと、星に見えない。  高さ、107㍍。
            (D50)
11年7月28日 (3)

お濠(ほり)も、当然星の形。
観光客以外の、市民が多い。 憩いの場所。  正式の名前は、五稜郭公園。
             (D50)
11年7月28日 (4)

タワーの1階。  左に、土方歳三の像。 
              (フジフィルムの、X100)
11年7月28日 (27)

土方歳三。(ひじかた としぞう) 
※ 最近のブログでは、京都のブログに登場。
  池田屋事件で、大活躍。 池田屋の場所を突き止めたのも、彼。
  新撰組の、副隊長。
  この時、桂小五郎は、危機一髪、難を逃れる。
  池田屋事件の1ヶ月ちょっと後、禁門の変が起きる。 
  龍馬が襲われるまで、後3年。 明治維新まで、後4年と云う時。
              (X100)
11年7月28日 (28)

江戸幕府に忠実だったのか。 最後は、北海道に来る。

11年7月28日 (5)

ここから、眺める。
             (D50)
11年7月28日 (8)

こうです。 五角形ですが、全部は入らない。 ※ 広角のレンズがあれば、撮れる。
              (X100)
11年7月28日 (22)

土方歳三の、坐像。
              (X100)
11年7月28日 (23)

これは、D50で撮影。 上の方が、かなりいい写真。

11年7月28日 (9)

口元を真似して、うっとり。 土方歳三は、もてる。 この人の、親がこれを撮っていた。
               (D50)
11年7月28日 (10)

函館山。 3000年前まで、島だった。  砂が集まって、つながった。
                (X100)
11年7月28日 (24)

日米和親条約で、函館は開港した。 それで、江戸幕府がつくった。
戦いが、大砲を使うなど、以前とは違ってきたので、西洋の城を参考にした。  

でも、そうやって作っては見たが、実際は、大砲に持ちこたえられる城ではなかった。           
                 (X100)
11年7月28日 (25)

函館奉行所。 復元したもの。昨年オープン。 ※ 一昨年来た時、工事をしていた。
                  (D50)
11年7月28日 (6)

二の橋を渡って、中に。
                 (D50)
11年7月28日 (7)

タワーの下に降りた。 2階から、1階を見た。
                  (X100)
11年7月28日 (26)
      (D50)
11年7月28日 (11)

二の橋が見える。
               (D50)
11年7月28日 (12)

武者返し。
               (D50)
11年7月28日 (13)

奉行所の天辺が、城の外から見えた。 大砲を撃つ時、目標になった。

11年7月28日 (14)

奉行所。
           (X100)
11年7月28日 (35)
     (CX5)
11年7月28日 (21)

一番上の部分が、個性的。 太鼓櫓。
                 8X100)
11年7月28日 (29)
    (CX5)
11年7月28日 (19)

別の方から。       
                (X100)
11年7月28日 (31)

遊んでる人がいる。 広い芝生が、どこにでもある。
                (D50)
11年7月28日 (15)

榎本武揚と云う人は、幕府の海軍副総裁だった。
大政奉還に不満。 その後の武士の処遇にも不満。
幕府に不満を持ってる武士を集めて、戦った。

土方歳三は、宣戦組の生き残りと共にいた。
榎本武揚と、一緒に戦うことになった。
              (X100)
11年7月28日 (32)

環境整備は、完璧。
             (X100)
11年7月28日 (33)
      (D50)
11年7月28日 (17)

復元に4年かかった。
               (X100)
11年7月28日 (34)
      (D50)
11年7月28日 (18)

左に曲がって、右に曲がって、出る。
                (X100)
11年7月28日 (30)

土塁から撮影。 見えてる橋は、二の橋。
               (CX5)
11年7月28日 (20)

五稜郭は、どこの城にも似ていない。
もともと、函館も町がそう。 どこの町にも、似ていない。

函館の魅力は、そこにあるのか。
街の中に、明治の匂いのする観光スポットが、あちこちに点在している。

【停泊場所】   中心街から10㌔離れた、松前寄りの浜。 いつもここ。

【明日の予定】  土方歳三が討ち死にした場所。 墓。 資料館。 この3つに行ってこようかと。
         駅から2㌔程の所に車を停めて、歩く。 お金の節約。

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道の駅碇ヶ関から青森への途中、弘前のモン・ベルに寄った。
山に使うストックを2本用意した。
2本は、初めて。
両足への負担が、平等になるようにしてみる。

フェリーの予約は、14時20分のが取れた。
夏休みに入って、満席の便も出ている。

津軽海峡フェリーターミナルの、2階の展望室から。

11年7月27日 (1)

この船に乗る。 小さな青い船の向こう。

11年7月27日 (2)

びるご には、初めてでない。  大型トラックが、何十台も入って行く。

11年7月27日 (3)



津軽海峡を渡るのは、旅に出て6回目。  函館まで、3時間40分。
北海道だけ、本州と遠く離れてるな~って、感じる。

11年7月27日 (4)

下北半島。
この半島の大間から、函館に渡る時もある。
    ※ 関連ブログ  本州最北端大間崎 大間のマグロ 他 (2009/07/14)

11年7月27日 (5)

フェリーの中では、テレビを見た。 なでしこジャパンの、石清水が出ていた。

津軽半島。 霞んで、ちゃんと見えない。 岩木山も。
    ※ 関連ブログ  竜飛崎(岬)  津軽海峡冬景色  階段国道   他 (2009/09/02)

11年7月27日 (6)

車に少し戻った。

11年7月27日 (7)m

函館山が、見えてきた。 もう少し。
    ※ 関連ブログ  立待岬  他  (2009/07/17)
               函館の坂道を歩く  函館山からの夜景 ~チャーミーグリーンの坂 宝石箱を・・・~   他  (2010/8/3)

11年7月27日 (8)

函館港に近づくと、船が多くなった。

11年7月27日 (9)

今乗ってるのは、多分、これと同じ型の船。

11年7月27日 (10)

夕方の6時に着いた。



函館は、過しやすい気温だった。 ※ 弘前から涼しかった。

海を渡ったら気持ちの変化があるのかと、聞かれれば、ある。
漠然とした不安が無くなる。

例えば、ここの空き地は、勝手に車を停めても大丈夫とか、それが分かりやすい。
北海道は、そういう場所が多くあるし。

大きなお店で、生ラムを買った。 本州では、見つからない。
ホッケの開きは、いいのがなかった。 代わりに、身欠きニシン。

晩は、2つとも食べた。 身欠きニシンは、大根おろしといっしょに。
北海道の味。

【停泊場所】   24時間営業のスーパーセンターの駐車場に

【明日の予定】  キャンピングカーステーションに寄って、五稜郭かな。

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車は、とりあえず走っている。
直ったと期待しないでいる。

オイルが、ある関係で悪さをしているかもしれないと、整備に人は想像した。
オイル交換をして、最低のレベルの量にした。

点検の費用は、いつもかからない。
どうしてか聞いた。
お客さんからお金をいただくのは、直ったと確認できた時だけです。
そう言った。

少ない時間で、大湯環状列石を見た。
昔の人の何かが知れるかも、と思って。

X100の写真を撮った。 いい。
明るいレンズとなっていたが、こんな風に写るのか、と思った。
きれいに拭いた窓のガラスから、風景を見てる感じだった。
カメラは、穏やかな色合いで表現した。


環状列石。 石が、まるく並んでいる。 縄文時代後期の遺跡。
鹿角市の大湯にあるので、大湯環状列石。


遺跡からは、普通小さな土器の破片とかしか見つからない。
でも、環状列石は石なので、残った。

そこは、森に囲まれていた。 家は復元。

11年7月26日 (1)

大きなのが2つあって、他に、小さいのもある。

11年7月26日 (2)

全部ではないが、石の下には、お墓と思われる穴が見つかっている。
だから、基本的には、墓地と考えられている。

11年7月26日 (3)

建物は、人が住んだのではないよう。
これが、一番大きい、万座環状列石。 ※ 環状列石は、ストーンサークルとも。 外国にもある。

11年7月26日 (4)

日本で一番大きいそう。
※ でも四国の足摺岬の山の中に、唐人駄場(とうじんだば)という遺跡があった。
  グランドほど広い所の周りに、石が並んでいた。

石の上には、長い年月の間に土が積ったが、それを取り除いた状態。
これを見ると、1個の石の下に1つの墓ではない。

11年7月26日 (5)

石の並べ方は適当ではなく、夏至や春分などが分かる仕組みになっていた。
1年で一番昼間の長い日を知っていた、ということか。
ぼ~っと生きていたのではなかった。

別の所。 野中堂環状列石。

11年7月26日 (6)

大湯ストーンサークル館というのがあった。 見学した。

全体の地図。

11年7月26日 (17)

環状列石の場所は、こんな風に利用されたかもしれない。

11年7月26日 (7)

装飾品が、大量に出土している。
生活にまったく余裕がなかったら、おしゃれをする心は、きっと生まれない。
ほっとする。
私達の、遠い遠い先祖が、ここで生きていた。

11年7月26日 (8)

土器。 縄文時代の早い時期は、土器に縄の模様はなかった。

11年7月26日 (9)

あれだけ装飾品が出土しているから、このくらいは想像しても大丈夫ですね。

どんな目をしていたのか、それが知りたい。
下の表情の目とは、きっと違う。

11年7月26日 (10)

貯蔵庫。 これの遺跡もいっぱい見つかっている。 ちゃんとふたしないと、落とし穴。

11年7月26日 (11)

長い石の方向で、時間が分かる。 長さで、季節も。

11年7月26日 (12)

薄い。 縄文時代に、もうこんなのつくっている。 現代でも、この厚さで焼くのは、難しいそう。

11年7月26日 (13)

五角形。 
何によって、この形を発見したのでしょう。 ☆。 キキョウの花。  オクラ。  他に・・。

11年7月26日 (14)

数字の、1~5まで。

11年7月26日 (16)

6。

11年7月26日 (15)

縄文時代の人達も、高い文化を持っていたことが分かりますね。
自然の仕組み、動物、植物についても、たくさんの知識を持っていたでしょうね。
過去のことだけど、幸せに生きていてくれたらいいなって、思います。

ここから、X100の写真。  道の駅 碇ヶ関で。

ほとんど、自動で。

11年7月26日 (18)

こんな感じ。

11年7月26日 (19)

夕方、5時半。

11年7月26日 (20)

ここは、弘前の手前にある関。 出城(城の出張所)のようでもある。

写真の色が落ち着いている。

11年7月26日 (21)

手ぶれ防止の機能はない。 ズームがないから、自分が動く。

11年7月26日 (22)

今まで使っているレンズより、かなり明るいレンズ。
この質にするため、他の便利さを捨てたのかな。

11年7月26日 (23)

ここは、300円。 かけ流し。

11年7月26日 (24)

スキッとした感じでも、あるかな。

11年7月26日 (25)

違いが分からなかったら、どうしよう、と不安に思っていた。
もし分からなかったら、買った甲斐がなかったことになる。

少しホッとしたでしょうか。

11年7月26日 (26)

いよいよ、北海道です。

【関連ブログ】  今回はゆっくりできないけど、津軽は大好き。
         一昨年の秋、1が月いた。
         いくつかを紹介。

   ① 弘前ねぷたまつり ~最後の雨に、切れるように燃えた~   他  (2010/8/1)
   ② 岩木山に登りました。 ~山頂の風は 爽やかでした~     他  (2009/9/6)
   ③ 強風の八甲田山   他 (2009/09/09)
   ④ 青荷温泉~ランプの宿~  他 (2009/09/10)
   ⑤ 太宰治記念館「斜陽館」  雲祥寺の地獄絵   他 (2009/09/04)
   ⑥ 弘前ねぷたの館  弘前城   他 (2009/09/08)
   ⑦ 暗門の滝   他  (2009/09/12)

【道の駅】   碇ヶ関

【明日の予定】  14:20のフェリーで、青森から函館に。

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ちゃんと修理してくれる所はないのかなあ。
直して3日しか経ってないのに、排気ガスの警告ランプが点いた。
明日、盛岡トヨタに。  ※ 今日は休み。

鹿角市への峠を越える前に、戻った。
車は、エンジンが制御されて、力がなくなる。

道の駅、にしね に戻ってきた。
近くに、焼走り熔岩流があるので、少しだけ見て、温泉に入った。

IMG_0351mmppllp

何が珍しいかって、熔岩が流れた年が分かっている。
江戸時代で、1732年。
地元の人が、「焼走り」と、呼び始めた。

山は、もちろん、岩手山。  少しだけ大変な山。 コマクサの群落、日本一。

11年7月25日 (1)

草は、なかなか生えない。 この辺りで、深さ5~10㍍は、こんな石。

11年7月25日 (2)

どんな偶然があって、木が生えたのだろう。 きっと、ほんの少しの水で生き抜いた。

11年7月25日 (3)

走るなと、標示があった。 転んだら痛いからか。

11年7月25日 (4)

山の中腹から、流れ落ちてきた。 去年登った時、その場所があった。
   ※ 熔岩が噴き出した所。少し盛り上がっている。(昨年撮影)

11年7月25日 (5)

小さいのは、拳8こぶし)くらい。 ザラザラ。

11年7月25日 (6)

交流村の温泉。 湯の中で、ほとんど良くなった左足をマッサージ。
上がった後、ロビーのソファーで寝てしまった。 

IMG_0353vxxz

道の駅に戻って、CX5の説明書を読んで、バッテリーを充電して、試しに撮ってみた。
キャノンの一眼レフに比べたら、ブルーをはっきり出そうとしている。

水平に撮るのが簡単。 水準器みたいのがある。

11年7月25日 (7)

夕方なのに、勝手に、明るくしてるのかな。

11年7月25日 (8)

切れ味がいい感じがするかな。 

11年7月25日 (9)

16:9の写真。 少し横長で撮った。
パソコンの画面が、横長になってきたので、この方がいいかもしれない。 テレビも、横長だし。

11年7月25日 (10)

上の写真の、右奥。 マクロと望遠の性能は悪くない。

11年7月25日 (11)

虫。 花が風に動くと、どうしても少しボケる。 動かなければ、簡単。
※ もっと、はっきりと撮れる設定もあるよう。

11年7月25日 (12)

チョウ。

11年7月25日 (14)

たくさんあるコンパクトデジカメの中で、キタムラで勧めたカメラです。
悪くはないようだけど、まだ、はっきりは分からない。
これでどうだ、と云う写真を撮ってみたい。
色合いが、キャノンと違った。

明日、フジフィルムのX100を試してみたい。
この後、基本的な撮り方を覚える。
今日のカメラの写真と、違いが一目で分かる、そんな写真が撮れたら、うれしい。

明日、車が元に戻ればいい。
部品交換になれば、何日ここにいてもいい。

【生活】  普段は酒を飲まないが、今日みたいなのがあると、飲んでしまえとなる。
      酒を飲まないで済む条件に、心の安定があるのかな。

【今日の歌】  南部牛追い歌の地に来ています。 忘れていました。
        完璧なのが、見つからない。 ほぼ良しと云うのを、3つ。
        この歌については、ちゃんと調べなければならない。







【道の駅】  にしね

【明日の予定】  どうなるのかな。

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遠野物語の268に、デンデラ野について書いてある。
それは、姥捨て山のような所。
遠野物語では、詳しくない。
捨てられたお年寄りは、捨てられた後、どうしたのか。
それが、分かった。

デンデラ野に、遠野のSさんが連れて行ってくれた。
    ※ Sさんは、去年の夏、盛岡の病院に入院していた人。
      ブログにも、書いた。

Sさんからは、必ず寄るようにと、電話が来ていた。
一緒に、ふるさと村を歩くことにした。

Sさんの車で向かった。 最初は、遠野ふるさと村。


Sさんは、昔トラックの運転手。 だから、運転は上手。
でも、体を壊してからは、そんなに運転しない。

こんな葉っぱの木がある。 目立つ。

11年7月24日 (1)

ここが入り口。 

11年7月24日 (2)

ふるさと村は、遠野の昔を再現したところ。 広い。
気温が上がってきたので、Sさんは、涼しい建物の中で待つことになった。

遠野も昔は、曲屋。 馬と一緒に住む。

11年7月24日 (4)

この動物のはく製が展示してあった。 小さなイタチのよう。
 ※ 写真では、こんな顔。 めんこい。

11年7月24日 (3)

建物は、移築したもの。 新築ではない。

11年7月24日 (5)

里山の風景でしょうか。

11年7月24日 (6)

ソバ打ちの体験が出来る建物かな。 そんなのが、色々ある。

11年7月24日 (7)

大きな曲屋。 立派だ。 
それが、ずっと不思議に思っていた。

11年7月24日 (8)

江戸時代は、名主と言われる人が、その地区をまとめていた。
だから、名主の家は立派。

明治に入ったら、農民の土地を合法的なんだが、何だかんだと取り上げて、地主になった者がいた。
地主の家が、大きな曲屋として残った。 そういうことかな。

時代は変わっても、小作人と言われる、普通の農民の生活は、楽にはならなかった。

※ 今の時代も、アメリカから小麦を輸入したことによって、農民は苦労している。
  車などを売った見返りに、買わされた。
  農民が大事にされない時代が、まだ続いている。
  江戸、明治、今と、基本的には変わっていないのか。

11年7月24日 (9)

階段があった。 上ったらダメ、とあった。 映画のセットだった。
ここは、「愛しの座敷わらし」と云う映画の、ロケ地になっていた。
水谷豊主演。 来年封切られる。

11年7月24日 (10)

建物は、見せるだけでなく、使われてるのが多い。

11年7月24日 (11)

馬がいた。 
小さな子供が、「おじさん、何してるの」って聞いてきた。
「写真だよ。 パチパチって」と言った。
「お馬さん、こわくないかい」と聞いた。 首を振った。

馬の目は、こうだった。

11年7月24日 (12)

この建物で、バス2台分の人達が、食事。 今、準備中。
上の子は退屈なので、一人で、馬を見ていた。

このように、親から離れる子が、自立が始まっており、将来が期待できるんですね。

11年7月24日 (13)

11年7月24日 (14)

いい感じです。 ここは市営かな。 ちゃんとしている。

11年7月24日 (15)

実際に燃えている。

11年7月24日 (16)

11年7月24日 (17)

河童(かっぱ)の置物が。
この後、Sさんと食事をしたが、こんなことを聞いた。
  ※ Sさんの育った家は、カッパ淵から近い。 子供の頃、泳いで遊んだ。

「子供の頃、河童は本当にいると思っていたの?」って聞いた。
そうしたら、
「河童のことなんか知らなかった」と言った。

こういうことだった。
遠野が河童で有名になったのは、遠野物語が出てからだった。
みんな、昔語り継がれていたことは、忘れていた。

11年7月24日 (18)

別の馬。

11年7月24日 (19)

馬の表情は、飼い主の表情って、いつか聞いた。

11年7月24日 (20)

馬がいても、家の中は、臭くはなかった。 

11年7月24日 (21)

トマトとナスビ。 最近、トマトを買う。 焼いたナスビは美味しい。 漬物も。

11年7月24日 (22)

今日は、日曜日。

11年7月24日 (23)

曲がった木を使ってる。 上も、向こうの壁も。

11年7月24日 (24)

曲がった木を使う大工さんは、腕がいいとあった。

11年7月24日 (25)

涼しい日が続いていたのに、今日は暑い。 上の子が、首から水を下げている。

11年7月24日 (26)

昔の農村の風景。 普通の家は、立派ではない、小さな曲屋ですね。

11年7月24日 (27)

生産者が儲かる仕組みにはなってない。 大変。 (上とこれは、昔の写真)

11年7月24日 (28)

そばを食べた後、山道に連れて行ってくれた。
私は大好き。 昔、しょっちゅう、林道を走っていた。
      ※ 北オホーツク方面の、ほとんどの林道を走った。

11年7月24日 (29)

遠回りして、デンデラ野に向かっている。

11年7月24日 (30)

ここが、デンデラ野。 小高い山の上。 昔は、深い森の中。

11年7月24日 (31)

小さな建物。

11年7月24日 (33)

小屋の中。

11年7月24日 (32)

昔、60歳になったら、息子が親を背負って、ここに連れてきた。
何人もいた。 お年寄りは、自分の力で生きて行く。
栄養とかは十分でないから、いつかは死ぬ。
周りの山に、自分たちで埋める。

食べ物は、どうしたか。
山を下りて、畑の手伝いをした。 少しだけの食料をもらった。
それを食べて、生きた。

飢饉の時や不作の時は、十分にもらえない。 まったく、もらえない時も。
そんな年、最初に死んでいくのは、デンデラ野のお年寄り。

デンデラ野と呼ばれる所は、あっちこっちにあった。 地域ごとに。

※ 京都に、蓮台野(れんだいの)と云われる墓地がある。 火葬場もあるが。
  れんだいの、が、デンデラ野、に変わったと云われている。

Sさんが、山に連れてくる時、枝を折ったんだよな、と云った。
この事を調べてみた。

息子に背負われた親は、デンデラ野に来る途中、ずっと木の枝を折りながら来た。
息子は、それを目印に、親が家に戻るのかなと思った。
親は言った。
木の枝を折ってあるから、それを目印に迷わず帰れ、って。

親をこのようにデンデラ野に連れてくると云うことは、次は、自分が来ることになる。 次は、自分の番か。
息子は、そのことを知る。
  ※ 自分の親の葬式の時、次は自分の番だな、と思うのと似ている。

人生50年の時代、60まで生きたら、もう十分なのか。
働かない者は、食うべからず、なのか。

生まれた子を間引きした時代だから、親を山に捨てると云うのは、そんなに悲しまずにできたのか。
飢饉がやって来たら、家族の多くが死んで、人の肉だって食べた時代。

たった100年前まで、想像できない生活があった。

橋の欄干。

11年7月24日 (34)


【道の駅】   にしね  ※ 岩手山の麓   
             ※ 関連ブログ  コマクサの大群落 岩手山 ~上は、強風と雨~  明日、八幡平へ  他  (2010/7/27)
                      焼走り熔岩流  他  (2009/07/08)

【明日の予定】  鹿角(かづの)市のどこかかな。

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陸前高田市は、すっかり変わっていた。
復興が進んでいた。
瓦礫が片付き、決められた場所に集められていた。

お風呂をつくった社長さんは、新たな取り組みを考えていた。


仙台の近くの道の駅 おおさとから、高田市に向けて出発。
最短のルートで走り出したが、通行止めに出会って、予定より時間がかかった。

目的地は、お風呂をつくった社長さんがいる、共和建設。
ここで、何日かボランティアをした。 お風呂にも入って。 ビールを御馳走になって。
       ※ その時の写真。 写真①  写真②

陸前高田市には、山側の道から入った。 3時半頃。



会社の事務所には、社長さんがいた。
2人のボランティアの人が、お礼の手紙の封筒のあて名書きをしていた。
私は知らなかったが、NHKでお風呂のことが放送されたそう。
その中で、石鹸が足りないと話した。

励ましの手紙といっしょに、たくさんの石鹸が贈られてきた。
そのお礼。

お風呂は、新しく作った方のがまだ続いていた。
  ※ 新しいお風呂をつくってる時の写真 写真①  写真② (4月8日)

社長さんは、温泉を掘るのを考えていた。
費用をどうするか。 ここが大変。
個人の力では出来ない。 多くの人の協力がいる。
アイディアの一端を聞かせてもらったが、社長さんは何とかすると思った。

大工の学校と云うのも、考えていた。
ただ、これを思いつくのが遅かったかなとも、話してくれた。

会社の事務所には、若い人は皆、現場に出ていなかった。
事務を担当する女性の方が残っていた。
この人は、ドラム缶でお湯を沸かす時も、たくましく動いていた人。

社長さんは、昔の高田の写真が欲しいといった。
一昨年の私のブログにあるのを、みんなで見た。
ブログには、私がここでボランティアした時の記録があることも、伝えた。
   ※ 私は、伝えていなかった。

1時間程、これからのことなどを話して、お別れした。
最後に、写真をお願いして。    
  ※ 写真は、写真をクリックしたら、大きくなります。 再び写真をクリックしたら、元に戻ります。

11年7月23日 (1)

※ 以前のブログに、震災があった3月11日の夜のことを書いた。 第一中の体育館の様子。
  これは、社長さんから聞いたのを、まとめたもの。
※ 津波直後と11日夜の避難所の様子。 他 (2011/4/8)

会社の前から、下の方を撮影。 瓦礫の高い山は消えていた。

11年7月23日 (2)

陸前高田市の、大船渡市方面への出口辺り。
瓦礫一部は、ここに集められていた。 高い山になって。

11年7月23日 (3)

全ては埋めないで、資源として使える物は、そうすると思う。

11年7月23日 (4)

陸前高田市の市街地の様子。



※ 3月29日に撮影した、陸前高田市の様子。 動画です。 少し長いですが。
※ この頃、動画を撮るのは報道に任せろって、ある人からのを中心にクレームが来た。
  その対応に、時間を割いた。 でも、多くの人に助けられ、切りぬけることが出来た。
※ 今考えてみると、相手にしない方法もあった。 その人のコメントを、受け付けないように設定できる。

大船渡市の市街地を、少しだけ走った。



下の写真は、大船渡市越喜来(おきらい)。

11年7月23日 (5)

左の建物が、ボランティアで泥出し作業をした、診療所。
その右の建物は、診療所より少し低い。 天井まで津波が来た。 多くの人がなくなった。
  ※ 診療所でボランティアをした時のブログ。1日目

11年7月23日 (6)

被災後は、こうだった。 線路の上から撮影。 大船渡市でボランティアをする前の日に撮影。

11年7月23日 (7)

釜石市。



音楽付き写真集の最終版です。
メロディは、札幌の友人Tさん。(北の岬を作曲) 動画の作成も。
写真は、約50枚。 半分は私が撮影。 半分は、アメリカメディアのボストンコムのHP。

私は、このメロディは、震災の悲しみなどを、表現していると思っています。
ある写真を見て、曲をイメージしてほしいと、お願いしました。
  ※ その写真は出てきます。 3歳の息子さんを亡くしたお母さんが立ちあがれなく、左に子供を抱いた人がいます。

最初の写真は、南三陸町の防災対策庁舎。 
遠藤未希さんと上司の三浦毅さんが、最後まで防災無線で、避難を呼びかけた。
2人とも、助からなかった。

2枚目の写真は、その建物にあった花。 私は、三浦さんの奥さまと話すことが出来た。 
    ※ そのブログ。  最後まで防災無線で叫び続けた人は、2人いた。 ~南三陸町~ 他 (2011/4/13)

※ 今見える写真は、大船渡市の駅前。 重機が動いていました。



今回、南三陸町や南相馬市に寄らなかった。 心残りがする。
秋に下る時、行けたら行きたい。
女川町も気になる。 ※ ボランティアセンターが動けてないよう。

社長さんのような人達の動きが、復興の大きな力になって行く。
ふたたび、そう感じました。

※ 書き忘れました。

  九州の豊後大野の方が、社長さんに米を送りたいと言ってることを、伝えた。 
  受け取ってもらえることを、確認した。


【道の駅】   遠野風の丘

【明日の予定】  遠野市のSさんと、どこかを歩く。

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車を、岩手トヨタの水沢店に持って行った。 ※ 水沢は奥州市の中にある。
対応してくれた人は、私の車に詳しかった。
そのことは、少し話して分かった。

車の問題は、排気ガスのすすが、ある部分に詰まってしまうこと。
今回は、以前とは違う所のすすを燃やして取った。
作業はパッパとやって、1時間程で終わった。

もしかしたら、しばらく走れるかもしれない。

※ この状態が続いたら、部品の取り換えになる。
  5年以内、10万㌔までなら、無料で行える。

走れることになって、一安心。

オリンパスの新しいカメラを、ケーズデンキに見に行った。
店にはなかった。
電話して、キタムラなど、あちこち聞いたが、どこにもなかった。
盛岡市にもない。

オリンパスは、予約を熱心に取っていたのに、親切ではない。
出し惜しみの感じだ。 もったいぶってると云うか。

※ 最終的に、このカメラを買わなかったのは、このことも影響した。

さらに調べたら、仙台駅のそばにある、ヨドバシカメラに置いてあることが分かった。
仙台まで、100㌔。

車を、利府駅の近くに置いて、電車で行くことにした。 ※ 運賃が230円の距離。

どうして利府駅になったか。
駅の近くに、大きなショッピングセンターがあったから。
車を置ける。

利府駅。 
東北本線から、盲腸のように出た、利府線の終点。 

11年7月22日 (1)

10分も車で走れば、被災地に着く。 そんな所。


2002年にサッカーのワールドカップで、宮城スタジアムが使われた。
今は、赤字で大変。

11年7月22日 (2)

盲腸の部分の長さは、4.2㌔。 途中から、東北本線になる。 向こうに行く。
※ 他の町と比べたら、道や階段に座ってる女子高生が多い。 そんな印象。

11年7月22日 (3)

仙台駅を出たら、すぐ、ヨドバシカメラの入り口があった。
5時半に入って、7時近くまで、見た。

詳しそうな人を探して、声をかけた。 説明は丁寧にしてくれた。
魅力的なカメラも、いろいろ紹介してくれた。

リコーの良さを、ここでも言ってきた。
フジフィルのカメラについても、説明してくれた。

考えがまとまって来て、決めた。
飽きるまで、2年くらいかかりそうなのを、買うことにした。
フジフィルムの、FinePix X100。
 
  ※ ズームはない、手ぶれ防止はない、その他の機能はいっぱい。
    見た目、古い感じ。
    ファインダーをのぞいた時、その明るさに驚いた。
    他のコンパクトデジカメと違って、中身は、普通の一眼レフと同じ性能。 それ以上の部分も。

上のカメラの、望遠とマクロを補う意味で、ずっと小さい、リコーのCX5というのも、一緒に買った。
これは、先日、カメラのキタムラで勧めてきたもの。 
たくさんのシーンごとの設定がある。 打ち上げ花火とかも。
※ 蛍を撮る設定があればいいなと思った。 なかった。

ペンタックスのカメラは、X100 を見た後に見たら、おもちゃっぽく見えた。
それだけで、やめにした。 最初に書いたこともあったし。

新しいカメラを買ったけど、今までのカメラも、これから使う。
3つのカメラは、住み分けが出来そう。

仙台駅。 7時34分の電車が、間もなく入ってくる。

11年7月22日 (4)

こんな道を歩いて。   利府球場は、楽天の2軍が練習する球場の一つ。 宮城スタジアムの近くかな。

11年7月22日 (5)

これが、それ。  ※ 横の長さ13㌢。

11年7月22日 (6)

走って、走って、少し疲れました。

カメラについては、機能をマスターしたい。
今までにない写真を撮れたら、うれしい。
少しお金をつかったので、しばらくは、質素な生活。

明日は、久しぶりに、被災地に入る。

【その他】  一ノ関市を調べていたら、藤圭子の生まれた町とあった。
       両親は芸人で、旅をしていた。
       育った町は、旭川市。
       神居中学校を卒業。 昔、ここを卒業した友人が、いたよって教えてくれた。
       ※ 玉置浩二も同じ中学校。

    若い時の彼女は、宇多田ヒカルに似てるかな、どうかな。
    ドスのきいた歌い方。



【道の駅】  おおさと

【明日の予定】   陸前高田に
            お風呂を作った社長さんの所に。

 ※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。   
                                                    (2008年4月~2010年9月までの記事)

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6月の26日に、平泉は、世界遺産に登録された。
中尊寺や毛越寺などが、「平泉の文化遺産」として。 ※ 同じ日、小笠原諸島も。
震災後の明るいニュース。

毛越寺への途中、旧佐野社宅に寄った。
近くに、細倉鉱山があって、その社宅。
映画「東京タワー」のロケ地。

行ったら、震災で壊れたため、見学はできなかった。
※ ここは、近代化産業遺産、というのにもなっている。

11年7月21日 (1)



中尊寺は、上の方に。


毛越寺の見所は、庭園のよう。

11年7月21日 (2)

正面に本堂。

11年7月21日 (3)

桔梗(ききょう)の花。

11年7月21日 (4)

この歌を思い出す。 作詞は、五木寛之。
  ※ この人が歌うのを、目の前で聞いたことがあります。 根室時代に。 暗い雰囲気だった。



芭蕉の句碑。 「夏草や 兵どもが 夢の跡」
英語で、こうあった。 訳したのは、新渡戸稲造。

   The summer grass
   'Tis all that's left
   Of ancient warriors' dreams.

侘び寂びが、表現されているのか。

11年7月21日 (5)

「夏草や・・・」の句は、この写真の左部分をながめて、芭蕉はつくった。 川は、衣川。 衣川の合戦があった。

本堂。  

11年7月21日 (6)

本尊は、薬師如来像。 平安時代のもの。
薬師如来は、今の時代を健康(幸せ)にと願ってつくった。

11年7月21日 (7)

毛越寺は、もうつうじ、と読む。
もうおつじ、と呼んでいたのが、そうなった。

11年7月21日 (8)

開山堂が見える。 

11年7月21日 (9)

大きなハスの花が、あった。

11年7月21日 (10)

開山堂。 開山は、慈覚大師。

11年7月21日 (11)

このユリの花も、大きい。

11年7月21日 (12)    11年7月21日 (13)

このような建物の跡が、いくつかあった。
復元するためには、たいへんな費用がかかる。

11年7月21日 (14)

鐘楼跡。 本堂が見える。

11年7月21日 (15)

死んだらお終い、どこにも行かない、と私は思うけど、
あの世に浄土があると思ったら、心安らかに死ねるかな。

開山堂。

11年7月21日 (16)

藤原清衡から泰衡まで、4代100年、平泉は栄えた。
泰衡は、頼朝にだまされた。 そして、義経を殺した。 最後は、自分もやられた。

本堂。 世界遺産効果か、人が多い。

11年7月21日 (17)

ここは、拝観料500円。 駐車料300円。 いいとこか。

アヤメがいっぱいあったが、花の時期は過ぎていた。
見える花は、キキョウ。

11年7月21日 (18)

常行堂。 1732年の建物。

11年7月21日 (19)

阿弥陀如来。

11年7月21日 (20)

小さな鐘楼。

11年7月21日 (21)

常行堂前から、池を。 この人達の写真を、少し前撮った。 頼まれて。

11年7月21日 (22)

別の方向から、常行堂。 ○の中に・・・。

11年7月21日 (23)

おじいさんが、やさしい目つきで、すわっていた。

11年7月21日 (24)

生きているうちに、あの世の浄土に住んでみたい、そう思って毛越寺はつくられたのか。

11年7月21日 (25)

平泉は、栄えた時代があったんですね。
たった100年だけど、中央が手を出せなかった程、力があった。


【車】  排気ガスの関係の警告ランプが点いた。
     1ヶ月持たなかった。
     今日、岩手トヨタで見てもらう。
     部品の交換になると、10日は動けない。
     どうなるか。

【カメラ】  明日、オリンパスから新しいカメラが出る。
       見てくる。 
       ミラーレスと言われる物で、一番いいが。
       東風さんに、リコーがいいよと教えてもらった。
       調べてみたら、確かにそのよう。
       レンズが違うのか。 人気抜群。
       2年前に発表されたのがあって、まだ売れてる。

       カメラは、買って何年も満足できるものはない。
       せいぜい1年。 だから、上のは驚き。       

【道の駅】  みずさわ  ※ 平泉の少し北。

【明日の予定】  陸前高田に向かう予定だったが、変更。
         車は、たくさん走れない。
         自転車で、黒石寺か。 蘇民祭(裸踊り)で知られている。 ここから、数㌔。

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akkamui212

Author:akkamui212
2009年4月に放浪の旅をスタートし、7回目の日本1周に入っています。
「キャンピングカーで放浪の旅」に続き、パートⅡです。
よろしく。


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