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キャンピングカーで放浪の旅 Ⅱ

全国を、写真と動画で探訪

間人の読みは、難しい。
伝説に基づいた当て字だから、どうしようもない。

丹後半島の北部は、変化に富んだ地形だった。
雨の予報が続いているが、雨は毎日少しだけ。
薄日が差して、日本海の波は穏やか。

浦嶋神社と浦島公園が、下の場所にあった。 伊根町の、本庄という所。


浦嶋神社。

11年6月20日 (1)

宇良神社とある。 古くなっても、木そのままは、感じがいい。

11年6月20日 (3)

義経と弁慶。 5条大橋。   ※ 5条大橋は、国道1と9号線が通っている。 いつも通る。

11年6月20日 (2)

神社の建物は、何とかなっていたが、そばの浦島公園は、建物を含めて写真に撮る状態ではなかった。
ここには、丹後風土記にある、浦嶋物語が残っている。
話しの特徴は、子供が亀をいじめていない。 日下部研究というHPに下のようにあった。

urasimadennsetu789908.jpg

浦島太郎の物語の原形は、どこにあるのか。
どうして玉手箱なのか。
知りたいことが、いくつかありますね。   ※ 香川県三豊町にあった、浦島太郎の像

経ヶ岬に向かった。 丹後半島の突端。
 


岬は、標高200㍍程の小さな山。 駐車場から登ってきた。

11年6月20日 (4)

見えてきた。 真っ白の灯台。 美しい。
この後、この灯台を少し離れての写真は、撮れなかった。 

11年6月20日 (5)

塀が邪魔。 この塀は、こっち側を囲んでいる。 昔は、管理する人が住んでいた。

11年6月20日 (7)

ここは、水上勉の小説、「五番町夕霧楼」の舞台。
主人公は、金閣寺を燃やす。 夕子という女の子は、丹後の出身。 若いころ読んだ。

  経ケ崎の燈台は、やがて、蒲入のトンネルを出ると、私の眼にとびこんできたが、私は、海抜二〇五メートルといわれる高所の経ケ崎燈台が、
  明治三〇年代、ここにあって光をなげてきた過去を考えさせられた。

また、「新・喜びも悲しみも幾年月」の舞台にもなったという。

  昭和48年。若狭湾の経ケ岬灯台では石廓崎灯台への転勤を控えた藤田夫妻(加藤剛・大原麗子)とその子供たちを迎えて、
  独身職員の長尾(田中健)と大門(中井貴一)によって送別会が開かれようとしていた。

※ 石廊崎灯台は、千葉の房総半島の先っぽ。  灯台からの風景

丹後半島は、この風景が続く。 越前海岸にも似ている。 

11年6月20日 (6)

下に降りる道は、きっとある。 あの洞窟にもぐってみたい。

11年6月20日 (9)

沖を、船がこれを引っ張っていた。 フェリーの一部に見える。

11年6月20日 (8)

キアゲハ。 先日、アゲハが、私にとまろうとした。

11年6月20日 (10)

11年6月20日 (11)

山の頂上の見晴らし台に向かう途中、こんな場所が。
向こうに、コンクリートの何か。 こっちには、井戸の残骸。 戦時中のものかなと思った。

11年6月20日 (12)

展望台。 花があると、アゲハ蝶がいっぱい。

11年6月20日 (13)

周りは木が育っていて、見えたのは、ここだけ。
海沿いに、小さな集落が続く。

11年6月20日 (14)

戻る時撮影。

11年6月20日 (15)

丹後松島、と言われている。 小さな松原は、時々見た。

11年6月20日 (16)

屏風岩。 登る道があれば、面白い。  昔の人は、小さな祠を、上にきっと作りたいと思った。

11年6月20日 (17)

道の駅があるので、今日はここ。  京丹後市間人(たいざ)。

uiyu7899889.jpg

ここの町には、古墳が多い。
古代の里と云う所に、再現した昔の家があった。

11年6月20日 (18)

何に幸せを感じたんだろうと、想像した。 生活できることが、幸せなのかなとも。

11年6月20日 (19)

この奥に、竹野神社がある。
この神社の踊りに、「竹野テンキテンキ」がある。 それで、道の駅の名前は、てんきてんき丹後。
※ どんな踊りか知りたいが、YuoTubeにはない。

11年6月20日 (20)

近くに、神明山古墳があった。 ここを登ったら、頂上。 長さ、180㍍。

11年6月20日 (21)

頂上からの写真だが、ここが高いことが、この写真では分からない。(失敗)

11年6月20日 (22)

海の方に、この岩が見えた。 立岩。  後で行く。

11年6月20日 (23)

向こうに見える小さな山も古墳。 
山に穴を掘って、そこに色々埋めても古墳とは言わないのか。
その山の土は、人間が積み上げたと、どうして分かるんだろう。

全ての古墳は盗掘されているが、盗掘って面白そうだ。 何が出てくるか、ドキドキする。
※ 天皇陵では、中を確認してない古墳もある。 ずっとそのままなのか。 発掘したら、何か不都合があるのか。

11年6月20日 (24)

この話が面白い。
歌は、「大浜の 里にむかしを とどめてし 間人村と 世々につたへん」

11年6月20日 (25)

Wikipediaには、こうある。

  聖徳太子の生母・間人(はしうど)皇后が、蘇我氏と物部氏との争乱を避けて、丹後[の当地に身を寄せた。
  後に当地を去るに当たって、自らの名をこの地に贈った。
  しかし、住民は「はしうど」と呼び捨てにすることを畏れ多く思い、皇后が退座(たいざ)したのに因み、
  間人を「たいざ」と読み替えた、との伝承が残る。

  但し間人皇后が丹後に避難したとする記述は記紀に無く、由来には他にも諸説がある。
          ※ 記紀とは、古事記と日本書紀のことか。

伝承の根拠となる古文書は、あるのでしょうか。

立岩に向かった。

11年6月20日 (26)

間人皇后の像。 小さい方は、聖徳太子か。

11年6月20日 (28)

表情をはっきりさせるのは、難しいのか。

11年6月20日 (27)

聖徳太子の弟、麻呂子親王が、この岩に鬼を封じ込めたとの伝承が残っているそう。

釣り人。 ルアーで。

11年6月20日 (29)

静かな夕暮れ。

11年6月20日 (30)

砂がこのように、乗っかってる。

11年6月20日 (31)

この地域では、死者を大陸に向けて埋葬する風習が残っていた。
間人は、古代から、近畿と朝鮮を行き来するルートの一つだった。
帰化人が多かったのは、きっと事実。

間人(たいざ)の伝説が本当かどうかは別にして、自分たちの住む地域が、皇室と関係があるというのは、
人々の願いにあったんでしょうね。
小町の古里であればいい、と願うのに似ています。
願いがあるから、伝説は生まれる。

【道の駅】   てんきてんき丹後

【明日の予定】  南に向かう  小町に関する何かがある。

 ※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。   
                                                    (2008年4月~2010年9月までの記事)

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akkamui212

Author:akkamui212
2009年4月に放浪の旅をスタートし、11回目の日本1周に入っています。
「キャンピングカーで放浪の旅」に続き、パートⅡです。
よろしく。


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