キャンピングカーで放浪の旅 Ⅱ

全国を、写真と動画で探訪

大船渡市の小さな集落へ行ってきた。
被災状況を、動画に撮った。 どこもここも、大変だった。
今日は、動画が中心。

2009年4月1日にスタートした放浪の旅は、今日で2年になります。
多くの人に支えられ、旅を続けることが出来ています。
そのことが、うれしいです。


最近、大きな被災地の他に、報道で扱われない小さな集落の記録も大事かな、と考えるようになった。
それで、あっちこっち動き回っている。
YouTubeに載せて分かったことだが、自分の故郷がどうなっているか、それが知りたいと思っている人が、たくさんいることも知った。

今日は、○の中を走る。 遠く西には平泉。 そんな位置。

11年3月31日 (1)

動画で撮った場所は、7ヶ所。

地図上では細い道を走ったが、実際は、片側1車線ある走りやすい道だった。
それは、この地域の漁業を中心とした産業が盛んで、人や物の動きが活発であることを意味していた。

11年3月31日 (2)

海が近づいたら、動画を撮影しながら進んだ。

今日の目的の一つは、先日載せた、下の記事の場所に行くこと。
大船渡市三陸町綾里白浜。  ※ 綾里~りょうり

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綾里白浜に着いた。 港に、家の残骸は無かった。
撮影したこの場所は、避難所。 
実際は、ここから更に上に、そして、もっと上に避難する。

海はずっと下に見えるが、津波は、目の前まで来た。

※※ FC2の方に、何か問題があって、文を載せるのが途中になるかも知れない。

11年3月31日 (8)

浜に下りて行く道。

11年3月31日 (7)

港から撮影。 中央少し右の白い建物が、避難所。
海の近くに家は無い。 写真の一番手前の家は、物置き。

11年3月31日 (3)

防波堤は、何十㍍も左に飛ばされた。 しかし、津波の力を弱める役割は果たした。

11年3月31日 (4)

車の方向転換を考えていたら、この人がやってきた。
少し下に行ったら出来ると教えてくれた。 

どうしてみんな助かったか、それが知りたくてやって来たと言った。
詳しく説明してくれた。
今回の津波は、後ろに見える家の手前辺りで止った。

11年3月31日 (5)

上の写真の右の家。 おばあちゃんも、こっちに来た。

昭和8年の三陸津波の時、ほとんどの家が流された。
この家は、その時もあって、一番上にあったから、流されなかった。
津波の後は、避難所になった。

その後、白浜地区は、この家よりみんな上に、家を建てた。
津波から、一番学ばなければならないことを、先祖の人達は学んでいた。
70年以上経った今、そのことが、この地区の人達の命を守った。

11年3月31日 (6)

白浜地区の人は、地震があったら、避難の指示があってもなくても、すぐに避難していたという。
最初に避難した場所で様子を見る。
危険と感じたら、上に逃げる。 それでも危険と感じたら、更に上に。
今回は、そうだった。
最初の避難場所は、右に見える建物の駐車場。 建物の前と右に広くある。

おじいちゃんとおばあちゃんにお礼を言って、別れた。

下の写真は、越喜来への途中にあった、小石浜港。 ※ 近くにある駅の名前は、恋し浜。

11年3月31日 (9)

越喜来の中心街の、少し手前。 越喜来湾が見える。

11年3月31日 (10)

大きな津波が、10年に1度なら、だれでも学ぶ。
でも、100年に1度だから、学び方に差が出る。

白浜地区のように家を建てたら、たとえ地震が来なくても、安心して暮らせる。
それが、大きい。


【停泊場所】   前日に同じ、大船渡市総合福祉センター駐車場

【明日の予定】  ボランティアの後、広田半島の先に行こうかと。
         たくさん時間があったら、山田町・宮古市・久慈市方面に行ってみたい。
         吉里吉里(きりきり)から向こうは、動画を撮っていない。

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今日も、越喜来診療所の清掃をした。
床と棚や机の水洗いが中心。
乾燥させて消毒したら使える、そんな状態にまでなった。

先日、広田町の場所を間違えたので、夕方行ってきた。 
広田半島の先の部分にあった。 大きな被害だった。


越喜来診療所から海を見たら、はるか遠く、そして、下にあった。
隣に、さんりくの園老人ホームがある。


この写真は、昨日撮影のもの。 右に、老人ホームの一部が見える。
診療所の内部の、津波の水位は、1㍍程。
老人ホームは、少し低いため、1階の天井近くまで水は来た。

11年3月9日の2 (1)

津波が来たのは、11日の午後3時15分頃。 ※ 釜石や大槌町より少し遅い。

診療所の職員と患者は、下の写真の線路の下を通って、こっちに避難した。
みんな無事だった。

職員の方は、隣の老人ホームにも行った。
老人ホームのお年寄りを、全員助けることは出来なかったという。
40名程が流された。

11年3月29日 (1)

今日は、床や壁を水洗いした。
圧力の強い水流で吹き飛ばすのと、太いホースで大量の水を流した。
ブラシのようなので床を擦って、最後はワイパーで、水を外と床下に出した。

※ 水は、外に作った2㍍四方ほどのプールに貯めた水。
  それは、消防の人が川からポンプで吸い上げた。

外にあった棚や机の泥も、強い水流で落とした。
例えば、机の引き出しをきれいにする時は、一人が持って、一人が水を吹きかける。
私の仕事は、持つ役だった。 強烈な水が来るから、眼鏡も水浸し。
   ※ 顔しか出してない上着なので、体は濡れない。 不思議と、仕事は面白い。

午後の途中から、雨が降ってきたので、裏の車庫に、棚などを運んだ。
4時頃には、昨日の朝見たときには想像できなかった程、建物の内部も物もきれいになった。
昨日と同じように、ハイエースに乗って、市役所に戻った。


たくさん時間がないけど、曇って薄暗い中、陸前高田市の広田町の動画を撮りに行った。
地図の、○の方に向かった。
先日、広田町と間違って撮影した小友町は、広田町の上の方。 そこは、両側からの津波で海になった。

hirotatyoullppo00.jpg

どの道が通れるか分からないので、道を探しながら行った。 途中で、戻ったことも。
大部分は、県道38を通って。

下の写真は、地図で、鳶の巣崎辺り。 木材などが集まっていた。 

11年3月30日 (1)

動画を撮り終わって、最初に行った場所を撮影。 地図では、○の下の方。
防潮堤の前に斜面があると、津波が乗り越えやすい、ということはないのだろうか。

11年3月30日 (2)

※ 広田町が津波の襲われる動画がある。 上の写真の地域。 田谷地区。



こっちは、大野地区。 ○の上の部分。 田谷地区も大野地区も、夏は海水浴場として賑わうようだ。

11年3月30日 (3)

大野地区。 右が海。

11年3月30日 (4)

大野地区、谷の奥。

11年3月30日 (5)

大野地区。 向こうに戻る。

11年3月30日 (6)

広田小学校のグランド。 自衛隊のテントもあった。 小学校は、避難所のよう。

11年3月30日 (7)

小学校から見た、最初に走った、田谷地区。 左が海。 白い建物は、広田中学校でいいと思う。

11年3月30日 (8)

広田町の被災状況も、他と同じように、大変だった。
戻って来て、地図で確かめたら、半島の先にも集落があった。
ネットで調べたら、被害を受けてる所があるようだ。
行かなければならないかな、と思う。

湾があるから、そこはいい港になった。
津波は、その湾をめがけて襲ってきた。 
結果的に、人が住む所ばかり、襲う形になった。

【停泊地】      前日に同じです。

【明日の予定】    今日午後雨が降って、明日診療所の仕事がない。
           明日は、ボランティアの仕事は休もうと思う。 一休み。
           そして、診療所のある、三陸町の動画を撮る。 被害のなかった綾里地区の写真も。

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越喜来診療所の清掃を、夕方までした。  ※ 越喜来~おきらい
そこは、一昨日見ていた。
大船渡市三陸町越喜来にあった。

夕方、5時に高田市に向かった。
一昨年行っている。 海と街の間に、高田松原のある、美しい町だった。
今日行ったら、はるか遠くまで、街並みは消えていた。

一昨日、釜石から来る時、小さな湾を取材しながら来た。
その時、三陸町に寄った。
下の写真は、その時に撮った。 越喜来診療所は、線路をくぐって、直ぐ左にあった。

11年3月29日 (1)

線路の上から撮影した。 左の建物が、越喜来診療所。 これも、一昨日、撮影。
その時は、この建物が診療所とは分からない。

11年3月29日 (2)

下の写真は、作業を終わって撮影。

11年3月9日の2 (1)

作業は、ボランティア6名と職員4名の、10名程で行った。
顔だけ出る白い作業服を着た。

中の物を外に出し、泥をスコップで取る作業。
大事な書類とかは、前日、職員の方が出していた。

捨てない物もあったが、捨てるか捨てないか、職員の方には聞かない。
泥水に浸かった物は、捨てた。

大きな棚とかをやっと出したり、壊れたトイレのドアを苦労して外したりした時など、仕事に中に小さな感動が出てくる。

医療用のゴミは別で、職員の方が、前日に集め終わっていた。

震災の影響で、体調の悪い人が増えた。
診療所の復旧が急がれるので、やりがいのある仕事に感じた。
※ 今は、別の場所で、患者の診察をしている。

お昼は、別の場所で、カレーをいただいた。 事務所のような部屋だった。
向かいに座っていた診療所の女性の方が、急につぶやいた。 誰に言うとなく。
 「○○さん、だめだったんだ」 肩を落とし、深いため息をついた。

少しの間、安否情報が飛び交った。
亡くなったとか、死んだとか、遺体で発見された、とか言う表現は出なかった。
「流された」という言葉を使っていた。
このおだやかな表現は、その人達に対する、やさしさに感じた。


ここは、大船渡市役所。 朝、ここに行く。
災害支援に関わる人達が、多く集まる。
感じることがあった。 それは、
 ① 人々の交わす挨拶や、ねぎらいの言葉が、多いこと。
 ② ボランティアに対しても、多くの声がかかってくる。 感謝の意味を込めて。

支援や復興に向けた取り組みに対する、基本的な考えが、共通になっているように感じた。
その考えを示したのは、市長さんと思うが、いい形で浸透していた。
大船渡の人達のやわらかな人間性に、それがプラスされた形で。

11年3月9日の2 (2)

市役所前から、下を撮影。 右の方から津波は来て、写真の右辺りで止まった。 港から、4~5㌔。

11年3月9日の2 (3)

車に戻ったのは、5時頃だった。
高田市に行くことにした。 歩く時間はないが、動画を撮ることに。 ※ 遅い時間は、作業の邪魔にならない。

動画を撮り終わって戻ってきた。 左が海。 湾になっている。

11年3月29日 (3)

左が海で、正面辺りに高田松原があった。  赤の○が、道の駅の建物でしょうか。 
一昨年、そこから、松原を見に行った。 松原の手前に、高い防潮堤があった。

11年3月29日 (4)p

リアス式海岸で、これだけ広い平地は珍しい。 でも、その分被害は大きかった。
千人以上、まだ見つかっていない。 捜索が終わってない所もある。(今日のニュースで)

11年3月29日 (5)

大船渡市方面の山側。

11年3月29日 (6)

大船渡市のボランティア活動は、軌道に乗っているように感じます。

県外からのボランティアを募集している所が出始めました。
石巻市、塩釜市、相馬市、亘理町 など
     ※ 宿泊、ガソリン、など、全て自分で用意できるのが条件ですが。
       実際は、これができれば、ほとんどの町は、受け入れると思う。  
       釜石市も大船渡市も、受け入れるとは言ってない。 でも、受け入れていた。

     ※ 今他県から行ったら迷惑がかかると言ってた新聞社や、人々は、
       募集してる状態が出てきたら、そのことを書いているだろうか。
       もし書いてなかったら、今からでも書いてほしい。
       批判しかしない人間は、書くことに気づかないかもしれない。

【停泊場所】   前日に同じです。

【明日の予定】  明日もお願いできますか、と受付の人に言われた。 同じ所かな。
         どこかに行くことが出来るでしょうか。 被害のなかった綾里が気になりますが。


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住宅の清掃は、大変な仕事でした。

大船渡市と陸前高田市の小さな集落も、壊滅的な打撃を受けていた。
そこの動画を撮りに行ってきた。


ボランティアの人たちは、9時前に、市役所前に集まってくる。
受付をして待っていると、行く所が告げられる。

今日は、男の人12名で、2軒の家の清掃。 6名ずつ分かれて。
早く終わった方は、手伝う。
私が行ったのは、90歳を過ぎたお年寄りのお家。

下の写真の、右の平屋。
この写真は、作業が終わった後に撮影。

11年3月28日 (1)

この辺りは、150㌢程の深さになった。 家は大きく壊れていない。 死者もいない。
テレビには瓦礫の山が放映される。 それを見たら、ボランティアのすることは無いように見える。
でも実際は、床上浸水の家があって、その清掃には多くの人出を必要とする。

黒い津波が家に侵入し、去った後には、汚泥のような黒い土が、床上に数㌢積る。
家の中の物は、すべて動かされる。 泥にまみれて、積み重なっていた。

強いにおいがするが、それには慣れてくる。
気温が低いから、まだ弱い。

家の中の物は、全て外に出した。
水を吸った畳は重い。 もう一度使える物は、ほとんどない。
私は、汚泥をスコップですくって外に出した。 これも、切りなく続く仕事。
写真や仏壇は、丁寧に扱った。

水は出ないから、家の中を水洗いできるまでにする。
最後に、少しの家具を中に入れた。

仕事は、午前で終わった。 仕事の内容がきびしいので、午前だけにしたのかもしれない。
おにぎりを2つ頂いて帰った。

私の作業の時の服装は、登山の時のにしている。 
よごれても、拭けば取れるし、軽く動きやすい。 

車に入る時は、帽子、上着、長靴の全てを脱いで、車の後ろのゴミ箱に仕舞う。

時間が生まれたので、1時間ほど寝て、南の小さな湾を見に行くことにした。
下の地図が、行った場所。 この辺りは、一昨年に通った。

11年3月28日 (10)p

   ※ 碁石海岸(碁石浜)   高田松原①    大理石海岸

大船渡市末崎。 後で、車で走る。

11年3月28日 (2)

谷の、中の方。 学校は、もっと左の高台に。

11年3月28日 (3)

陸前高田、小友町。 この場所からは、むこうに行けなかった。 少し歩いた。
車を停める場所とか、地元の人が教えてくれた。

※ 車には、ボランティアに参加してることを、標示してある。
  これに、助けられる。
  読まなくても、何かが標示してあると、震災に関わってる車と思ってもらえる。

11年3月28日 (4)

この家は、床上浸水。

11年3月28日 (5)

右方向。

11年3月28日 (6)

山の向こうは海。

11年3月28日 (7)

左側。

11年3月28日 (8)

上の写真の家。 これまでにできたら、水で洗える。 ここまでが、大変。

11年3月28日 (9)

すべて歩く時間は無かったので、他の場所は動画です。
今日歩いた場所から陸前高田市まで、直線で10㌔ありません。
明日行けたら行きます。

ガソリンが入ってきたら、機械が一斉に動くでしょうか。
まだ、作業の車や機械は少ないです。

【停泊場所】  大船渡市総合福祉センター駐車場

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釜石市から大船渡市まで、小さな集落の写真を撮った。
被害はどこもあったが、住宅地をどこに作るかによって、被害に差があった。

大船戸市役所にある、災害ボランティアセンターに行った。
明日から、仕事をすることになった。 内容は、何でもいいと伝えた。

釜石市から大船渡市までの地図。
※ 平田地区は、動画に。

ppllopoo0989999.jpg

釜石市唐丹町。 向こうの方が、湾の奥だったでしょうか。
防波堤は壊れたけど、津波の力は、少し弱い感じがします。

11年3月27日 (1)

11年3月27日 (2)

上の写真から、少し行った所。 上の写真の、向こうに見えた所。

唐丹小。 子供たちは、大丈夫だったでしょうか。
学校に残っていた子は、一旦グランドに避難し、その後、裏山の高台に避難したと思われます。

11年3月27日 (3)

上の写真から、2㌔ほど進んでいる。 同じ、唐丹町。
津波は、橋の下をくぐって、右に進んだ。

11年3月27日 (4)

鉄橋が壊れていた。  ※ 三陸鉄道南リアス線

11年3月27日 (5)

上の写真を撮る時、車は、閉店しているガソリンスタンドの駐車場に停めた。
スタンドに女の人がいたので話した。 釜石市役所に勤務している人だった。 ※ 体調が悪くて家に。
地震当日は、石応寺の方に車で逃げたと言う。 石応寺は、先日炊き出しをした寺。 市役所は、近くに。

釜石も被害は大きかったのに、報道されるのは、遅かったと言った。
この話で、被災地の人は、地元がどう報道されるかに、関心が強いことが分かった。

その人が、鉄橋が壊れていることを、教えてくれた。

下は、大船渡市に入って、三陸町の吉浜と思う。
ここの地域は、家は高台にあった。 下の方は、何かが流された跡はあったが。

11年3月27日 (6)

後で知ったが、近くに、被害ゼロの地域があった。 綾里白浜地区。 地図の青い○の所。
今日の河北新聞にあった記事。昔の教訓を活かした所はあった。

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ここは、大船渡市三陸町。
想定区域が、ぴったり。 ※ ただ、今日この後、ピッタリでない所に出会う。

11年3月27日 (7)

片づけ始めていた。

11年3月27日 (8)

何か探しているんですか、と聞いた。
散歩していると言った。 動けなくなって、迷惑をかけたら申し訳ないから、と。
2人とも、駅裏の避難所にいる。

11年3月27日 (9)

車のエンジンだけ。

11年3月27日 (10)

大船渡市に入った。 駐車場を探した。 大船渡市総合福祉センター駐車場に。 了解は得てある。
車は、左に見える。

11年3月27日 (11)

まっすぐ市役所に向かった。
市役所は、丘の上。 ボランティアの受け付けは、テントの中にあった。
明日から、活動することになった。

港に向かって歩いた。
瓦礫をトラックに積んでいた。 このような姿は、そんなにまだ無い。

11年3月27日 (12)

自分の会社の片づけでしょうか。 鉄を焼き切る、バーナーを手にしている。

11年3月27日 (13)

この標示場所は、失敗。

11年3月27日 (14)

中央に海が少し見える。

11年3月27日 (15)

家族でしょうか。 この人達は、ここから離れなかった。 何かが見つかったら、集まって見ていた。

11年3月27日 (16)

合板を作る会社です。 きれいに片付いた部分もあった。 動きが早いと感じた。

11年3月27日 (17)

用水路に沈んだ車は、引き上げられてはいない。 人がいる可能性もある。

11年3月27日 (18)

消防の人達。 10人くらいで動いていた。 行方不明者を探している。
少し話を聞くことが出来た。 1日に見つかる人数は、4~5名と言う。

11年3月27日 (19)

これほど足取りの重い人に出会ったことは無い。 そんな印象を持った。
何かを迷っているように、何度も行き来した。

11年3月27日 (20)

右の柱が倒れそう。 こういうのがあるから、気を付けなければならない。

11年3月27日 (21)

車が走れるように、地面を均(なら)していた。

11年3月27日 (22)

港にも、いっぱいゴミが沈んでいる。
大船渡市は港町。 まず、船の出入りが出来るようにする。

11年3月27日 (23)

大船渡駅。 茫然と立ち尽くす、それを見た。

11年3月27日 (24)

ここに、瓦礫が集められていた。

11年3月27日 (25)

駅を降りたら、こうやって迎えてくれていた。

11年3月27日 (26)

この人の家は、土台しか残っていなかった。 それでも、片づけていた。

11年3月27日 (27)

吹雪いてきたので、戻った。 寒さが、追い打ちをかける。
水の配給。

11年3月27日 (28)

新聞を、無料でいただいた。

11年3月27日 (29)

大船渡市には、復興に向かっての確かな足音が、聞こえ始めた。


【停泊場所】  大船渡市総合福祉センター駐車場
          ※ 警察のとなり。 これ以上、治安のいい所は無い。


【明日の予定】 ボランティアに行きます。

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釜石市は、復旧に加速が付いた。
電気、水、お店などが、元に戻りつつあり、地元のボランティアが増えた。
今日は、仕事が午前中で終わった。

岩手県の社会福祉協議会に相談した。
大船渡市に行ってほしいと言われた。

大船渡市は、まだ電話がつながらない。
釜石市のボランティアの人数は、1日300人近いが、大船渡市は100人に満たない。

明日行って、県の社会福祉協議会からの紹介で来たと言う。
行って、どうななるかは分からない。 行ってからの話し。
 ※ 私はいつも、楽観的。 それで失敗も多いが。

大船渡市には、一昨年行った。
ここは、碁石海岸。  見える岩は、穴通磯(あなとおしいそ)。

大船渡市街地が、遠くに見える。

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大船渡市街地は、こんな風に津波にあった。



知られてない被災地があるのでは、と思っています。 そこの取材もしたい。

何が出来るか、行ってから考えます。


【停泊地】 昨晩に同じです。

【明日の予定】 大船渡市に行きます。 ※ 釜石市との契約は、その日その日なので、問題ありません。

          
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釜石市は、電気・水道の復旧が進んだ。 ボランティアに参加できる人が増えた。
ボランティアセンターで、今日は休んでもらってもいい、と言われた。(仕事が来るのを待っててもいい)
休ませてもらった。

午前中寝て、午後、町民の半分ほどが行方不明という、大槌(おおつち)町に向かった。
今日行った所は、下の地図に。

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通行止めになっていたので、車を停めて、写真を撮った。
港までは近いので、歩くつもりだった。

11年3月25日 (1)

交通整理の人がいた。 行ってもいいって、行かしてくれた。

11年3月25日 (2)

上の人は、3月11日の3時頃、仕事の帰りだった。 大槌町での話。
同僚をその人の家の近くで降ろした。 少しして津波は来た。 同僚の家は、津波に飲み込まれた。
自分は、津波との競争になった。 最後は、海水の中を走っていた。

トラックの後ろの方が、よごれてる。 津波のせい。
津波は黒かったという話もある。

息子さんは、両石の浜に坂道を下りてきた。 坂の途中で停まった。 目の前に津波が来ていた。
車を置いて、釜石まで暗闇の中、線路の上を歩いて帰ったという。

津波は、防波堤を越えて、最初の写真の所を襲った。

11年3月25日 (3)

両石の港。 中央奥に、市街地は伸びている。(最後に、その道を下りてくる。動画に)

11年3月25日 (4)

津波の高さが、見当つく。

11年3月25日 (5)

津波は、向こうから来た。

11年3月25日 (6)

ここは、鵜住居(うのすまい)。 国道から撮影。

11年3月25日 (7)

上の写真は、下の写真の人のいる所から撮影。
みんな、釜石行来のバスを待っている。 寒い中待っている。
年配のご夫婦と話した。

荷台が幌のトラックが通り過ぎた。
男の人が、知らないトラックに向かって、乗せてってくれたっていいべやな、って言った。

家は、ここ鵜住居にあって、それを見に来た。
今は、釜石小に避難している。 (昨日行った所)

大槌は、地震・津波・火事の3つ、踏んだり蹴ったりだ、と言った。

みんな波を見ながら逃げた。 波におったてられながら。(男の人の表現)

誰かが、線路の向こうには、60人は眠っていると言った。
別の人が、いや、100人は、瓦礫の下だといった。
正確な数字は、地元の人だって分からない。

大槌では、無数に入っていると言った。(がれきの下に)

ある人が、こう言ったそう。
この家の中には、2人が間違いなくいる。 自分達で片づけるから、壊さないでくれって。

おじいちゃんの手を引きながら、逃げた人がいたという。
途中で、お前先に逃げれって、おじいちゃんは、無理やり手を振りほどいた。
おじいちゃんは、波に消えた。

防波堤は、第一波で壊された。 それでも、津波の勢いを少しは遅らせたと言う。
その少しの時間で助かった人もいた。
津波に乗り越えられた防波堤も、全くの無駄ではなかった。(初めて知った)

11年3月25日 (8)

バスに乗って行った。

11年3月25日 (9)

吉里吉里(きりきり)まで行って、戻ってきた。
ここは、大槌。 国道沿いに車を停めた。 

大槌川にかかる、バイパスの橋から、上流を撮影。

11年3月25日 (10)

海は右に。 大槌港まで、2㌔程。 市街地は、右手前に広がっている。

11年3月25日 (11)

自衛隊が、道を作っている。

11年3月25日 (12)

大槌川上流方向。

11年3月25日 (13)

橋を歩きながら、この男の人と話した。 千葉の大学から、戻ってきた。
友達3人が亡くなった。 空手を一緒にやった仲間だと言った。
城山体育館に向かった。 そこは、避難所のよう。

11年3月25日 (14)

中心街に向かって歩いた。 左奥が港。

11年3月25日 (15)

写真の真ん中に、人がいた。

11年3月25日 (17)

戻ってきたんですか、と聞いた。  ※ 一目、大学生に見えたので。
関西から戻ったと、女の人が言った。
家はもっと港の方だという。 ※ ここより港の方で、ちゃんと残った家は無い。
たくさん歩いたので、休憩している。
友人の安否確認もしたそう。

家族や友人の安否については、2人の表情を見て、聞けなかった。
ここ大槌町は、1000人単位の人が、つめたい瓦礫の下に、まだ眠ってる。

11年3月25日 (18)

もう少し行った所が、中心街でしょうか。 正面に駅。 左に港。 右にずっと行ったら、そっちからも国道に出る。

11年3月25日 (19)

津波に流されて、戻されて、元々ここにあったものは、ない。

11年3月25日 (20)

墓地の手前の建物は、お寺。 避難場所になっていた。 助かったかどうかは、分からない。

※ ある町では、避難場所では危険と考え、更に高い所に逃げて助かった人もいる。
※ どこの町か確認してないが、船越小学校の話。(旭川の姉がメールで教えてくれた)
    
    日頃の避難訓練は、校庭だった。 用務員の田代さん、海面が膨れ上がっているのに気付く。
    佐々木校長に告げた。  山に逃げた方が良いと、 裏山に避難。 176名全員無事だった。
    卒業式で児童が、 ありがとうと田代さんに駆け寄った。

11年3月25日 (21)

大槌町の震災の特徴は、大規模な火災が起きたこと。 ガスボンベからガスが噴き出し、火が付いた。

11年3月25日 (22)

※ 火災の様子(YouTube)

外国の報道が入っていた。

11年3月25日 (23)

人が、2人いる。 物を探しているのではなく、人を探している。

11年3月25日 (24)

ここに、大槌駅があった。

11年3月25日 (25)

駅の構内。 右奥に、防潮堤の水門。 最後に、あの向こうに行く。

11年3月25日 (26)

家族を探している。

11年3月25日 (27)

女の人が、一人で立っていた。 上の写真の人と、一緒に来た。

11年3月25日 (28)

女の人の前には、娘さんの旦那の親の家があった。 その日、おばあちゃんがいた。
娘さんの息子さんは高校生。 女の人の孫。
地震の時、息子さんは、駅の近くにいた。 自転車でいた。
真っ直ぐ高台に向かえば、余裕で助かった。 お墓のあった所でいい。

でも、おばあちゃんを助けに来た。 おばあちゃんは、体が不自由だった。
そうこうしているうちに、津波は来てしまった。

女の人は、そのお孫さんを探していた。
女の人は、こう言った。
おばあちゃんは、お孫さんが来てくれてうれしかったと思う。
それが、せめてもの救いだと言った。

お孫さんは、背が高く、素直な子だったとも。
娘さんの旦那さんもいなくなった。 まだ、3人とも見つからない。

少し上の写真に、高校生の母である娘さんと、女の人の長男が写っている。

(亡くなったことが確認できたわけでないが)
見つからない3人が生きてるなんて、大きすぎる望みだと言った。

今から見たら、チリ地震も何地震も、たいしたこと無かったと、話してくれた。

今は、大槌高校の避難所にいるが、食事の世話から掃除まで、生徒がやってくれると言う。 (生徒への指導は、先生)
「手伝わせてくれない」という表現で、生徒たちをほめた。
有り難くて、びっくりするとも。

夜は、トイレの入り口に、朝まで高校生の誰かがいる。
流す水がなくなったら、補充する。 (水道は来ていない)

私は、お孫さんが生きていたら、そこに一緒にいたね、って話した。

そして最後に、こう伝えて別れた。
「その生徒さん達が、この町を、もう一度作るね」って。

別の2人の女性がいた。
2人とも、家はこの近くにあった。 2人とも、旦那さんが行方不明。

11年3月25日 (29)

アルバムを見ていた。 知人のだったら、届ける。

11年3月25日 (30)

この辺りも、火事はひどい。 向こうには行かなかったが、ずっと行くと国道に出る。

11年3月25日 (31)

ここにも、人が。

11年3月25日 (32)

瓦礫は、このようにある。

11年3月25日 (33)

中央に見える、2人の人とも話した。
少し前の3月3日に、町全体の避難訓練をしたと、教えてくれた。

※ この日は、昭和8年に、昭和三陸地震のあった日。 5000人が亡くなった。

11年3月25日 (34)

港に向かった。 お寺の避難所の案内。

11年3月25日 (35)

津波は、左奥から襲ってきた。

11年3月25日 (36)

ここを越えた。 一部は、破壊した。

11年3月25日 (37)

防波堤のとなりの橋。 防波堤の、水門のところから撮影。

11年3月25日 (38)

子供の靴。

11年3月25日 (39)

バレーボールか。

11年3月25日 (40)

固いはずの鉄が。

11年3月25日 (41)

何かの書類が見つかったようだった。

11年3月25日 (42)

韓国映画のDVD。

11年3月25日 (43) 

こんな映画(YouTube)

大槌町には、復興に向けての、未来に向けての、希望と光が見えた。
今の若い者は、なんて、大槌高校の生徒に向かって、決して言えない。
近い将来、この高校生たちが更に成長して、新しい大槌町を作ってくれる。

目指す町の姿として、こんなのは、どうでしょう。

「なくなった人達が、もう一度生まれて来たら、その人達に、住みたいと思ってもらえる町」


【停泊場所】   ケーズデンキ駐車場

【明日の予定】  ボランティアに行くが、内容は未定。
         釜石市のボランティアが、人数的的に不足してないので、別の所への移動も検討している。
         遠野市のボランティアセンターに、探してもらっている。


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炊き出しの調理場では、400食を作っていた。
私は、シイタケやゴボウを切った。

夕方薄暗くなって人がいなくなった頃、被災地に車で入った。
どこもここも全て、瓦礫の山だった。


右の白い大きな建物が、物の集配場。 左隣にボランティアセンターが。

11年3月24日 (1)

今日は、炊き出しの手伝い。 場所は、石応寺(しゃくおうじ)。  港に向かって、左の山の麓にある。

天気がいいので、人を多く見かけた。

11年3月24日 (2)

向こうに、石応寺が見えた。 
少しずつ片づけてる人がいた。  片づけると言っても、気の遠くなる作業。

11年3月24日 (3)

変わった雰囲気の寺。 右に、おしゃれな多宝塔も見える。
津波は、寺の手前まで来た。

11年3月24日 (4)

場所はここ。 予定の8時半より、少し前に着いた。


門を背に、撮影。 仏像が、悲しんでるように見えてくる。

11年3月24日 (5)

火を焚いて、暖をとってる人がいた。
炊き出しの場所は、右に30㍍ほどの所にあった。

11年3月24日 (6)

下宿屋さんの、調理場を使っていた。 津波は、玄関前まで来たと聞いた。
ここで、野菜や肉を切ったり。
作業は、7人くらいで。 左の2人は、昨日一緒だった大学生。

400食を作る。(少し多めに)  
食べていただく時刻は、午前10時と、午後6時。 ※ 後で聞いたことだが、午後6時に並ぶのは、寒いと云う声も。

11年3月24日 (26)

釜石市内には、20カ所の避難所があるが、そのうちの4ヶ所の食事を作っている。
  (ここの寺の他に、裁判所、集会所、別のお寺)

大鍋2つ分をつくる。 
この人が作っていた。  聞かなかったが、どこかの調理場とかで働いていないと、出来ない。

11年3月24日 (7)

ここは、電気・水道とも復旧している。 (電気は、4・5日前から。 水道は、2・3日前)
ただ、水道の水は、洗いものだけに。 今は、大きなタンクにたまっていた水が出ている。

午前10時のは、味噌汁とおにぎり1個。
白菜、あぶらげ、シイタケなどを切る作業は終わって、夕食の準備をしている。

11年3月24日 (8)

ご飯は、自衛隊の人が運んでくれる。
この人は、飲食店を経営していた。 でも、みんな流された。
いつかみんなに世話になる時が来るかもしれないと、ここでボランティアで仕事をしていた。
  ※ いっぱんのボランティアとは違って、ずっとここで仕事。

11年3月24日 (9)

ここの、肉や野菜などの多くは、石応寺の関係の寺から送られている。 
     ※ 石応寺は禅寺。 ネットを使って、仲間の寺を中心に呼びかけた。

おにぎりは作り終わった。 私は、サランラップを切る仕事。

11年3月24日 (10)

10時になって、並び始めた。 係りの人が、手を洗ってから並んでくださいね、とお願いしていた。

ここの避難所は現在100名くらいに減ったが、最初は1000名だった。
最初の3日間は、米は寺の備蓄米を使った。
野菜や肉などは、近くの家の人が、寄付した。 ※ 冷蔵庫が使えないこともあって。

ずっと座ってる人がいた。
話してみたいと思っていた。 この30分後に、たくさんのことを聞くことが出来た。

最初に並んだ人たちは、避難所の人ではなく、近所の人達。
誰が来てもいい。
ここは、中心街に近いから、昔からある住宅地。 お年寄りが多い。
買い物には行けない。 
車で、物を売りに来てくれたらいいねって話した。 
  ※ 全体の避難所に関わる責任者(話の内容からその感じ)の人と話した。 

誰が、どんな悲しみを背負っているかは、想像できない。

NHKが責任者にインタビューしていた。 
被災者の声も聞けばいいのに、と思った。 何を聞きだしたいか、考えておいて。
※ 事前にお願いして、聞く内容を伝えて、了解をもらってからになるが。
  1回目のインタビューが、被災者の緊張でうまくいかなかったら、今のはリハーサルでもう一度ってお願いすればいい。
  昔、「ダーツの旅」が学校にやってきた。 そんな撮影だった。

少し前まで、ここにたくさんの人がいた。 私も30分ほどいた。
何人かの人と話せた。

11年3月24日 (15)pp

ある女性の方が来て、あらおじさん生きてたの、って喜んだ。
こんな姿は、釜石に来て、何度も見た。

お風呂は、11日ぶりに入ったと云う人もいた。
今は、3日に1度は入れるそう。

時計屋さんがいた。 家は流され、家族とはまだ会えていない。

津波に家を壊された、と云う表現をした人がいた。

ここの人達は、そんなに苛立っていなかった。
きっと、お寺や食事を作る人達の気持ちが伝わっているからと思った。
※ 上の責任者の人が、ここの避難所は、他よりは環境や条件がいい、と言っていた。

上の写真の男の人は、こう言った。 (一人で座ってた人)
誰が悪いわけではない。 地震に文句言ってもしょうがない。 自然には勝てない、って。
支援全体が遅れていることには、不満を持っていた。 でも、こう言った。

「生きてるだけでいいと思った時は、不満は小さくなる」って。

きっと、こんな気持ちがあるから、今まで耐えてきた。
強くなれたかもしれない。

家はあるけど、じっとしてはいられないと、知人を探している人もいた。
大槌町は、とにかくひどいと言った。 町がなくなったと。
行ってみたらいいって、言われた。 ※ 野次馬には見られない、大丈夫とも、言ってくれた。

ネクタイをして、被災地を見に来た人間を見たら、腹が立つと言った。
首相でもだれでも、見に来い、とも。

戻る途中、片づけてる人がいた。 中を撮らせてくれた。

11年3月24日 (16)

野外で、炊き出しをしていた。 誰でもが食べられる所が、いっぱいあるといい。

11年3月24日 (17)

今日は暖かいから、人が多い。

11年3月24日 (18)

お寺で話した人がいた。

11年3月24日 (19)

釜石小に人を探しに行くと云う。 連れて行ってもらった。  ※ 一人で急には行けない。
赤い輪があるが、津波でこうなった。 ここの家の人と、後で話した。 庭を片づけていた。

11年3月24日 (25)

この旦那の格好、決まっていた。

11年3月24日 (20)

体育館が、避難所。 校舎の玄関に受付があり、そこで知り合いがここにいることが分かった。

11年3月24日 (23)

連絡などが、貼ってあった。 

11年3月24日 (21) 

花を楽しむ余裕が、早く来るといい。

11年3月24日 (24)

戻って来て、車を停めてる駐車場の隣にある、大きなスーパーに入った。
品物は、90%あった。 肉も魚も野菜も。
ここまでになったら、あとはどうすればいいのか。

店で売ってるのに、それでも、ひもじい思いが続いたら、何かおかしい。

灯油は、どのくらい入って来てるかは、分からない。
並んで買ってる人はいたが。

私は、買い物はしない。

ボランティアの活動が軌道に乗ると、復興の足音は、早くなる。
避難所の人たちの生活は、急ピッチでよくなっていく。

釜石のボランティアセンターの窓口は、役割分担もはっきりしていて、若い人を含め、みんなテキパキと動く。
来る人たちに、感謝の気持ちを込めて、対応している。

岩手県内で、最初に立ち上げたのが、ここのボランティア。
なぜそうできたのかを含め、今後のために、活動を記録しておいたらいいと思う。
また、他県のボランティア関係者も、ここの動きを一度見に来たらいい。

救援の取り組みの伝わって来ない部分が、いい形でみんなに知ってもらえたらいい。
※ 私のブログの力は、小さい。

※ 追記 写真は現場の人に断わって撮ったが、全体写真は断わっていない。
     クレームが来て、ボランティアセンターから、撮らないように言われた。
     今後、活動場面を載せる場合は、報道のを紹介します。

     記録は、市の広報の人がしているでしょうか。
     人々の悲しみ、復興に向けての希望、釜石の人々の強さ・優しさ、底辺を支える人達、
     自衛隊の人の動き、ボランティアセンターとボランティアの人々の活動、人々の生活の変化、
     そんなのを、写真と動画で記録したらいいと思う。

     それを市民に伝え、お互いのことを知ることが、相手を理解し、相手に感謝することにつながり、
     復興に向けての大きな力になるでしょう。
     
     今日のブログの写真は、今後さらになにかあったら、削除することになります。
     その時は、文章で、細かく伝えます。
     釜石の人達の、支えられる人、支える人の、両方の人達の素晴らしさを中心に。

【停泊場所】   昨晩に同じ  ケーズデンキ駐車場

【明日の予定】  荷物の運搬のよう  終わってから、大槌町に行って来る。


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市のボランティアセンターに行くと、活動の中身は、聞いていたのとは、違っていた。
それには、事情もあった。

初日の今日は、避難所には行かなかったが、地元の多くの人と話すことが出来た。
知らなかったことが、たくさんあった。 考えさせられることも。

釜石市の、はっきりしている行方不明者は、620名。
瓦礫の下に、どれだけの人が眠っているのか。
昨日の動画の撮影場所まで、行ってきた。 

今日は、雪がちらついた。 寒い一日。 四国の真冬。


朝起きたら、遠野の道の駅は、真っ白。 舗装の上だけ黒い。 部分的に、凍っている。
太陽が雲から出るのを待った。

7時半に出発。 路面の確認をしながら、走った。
釜石市は、遠野の海側。


津波は、駅まで来た。  ボランティアセンター辺りは、数十㌢の深さ。

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ここが、ボランティアセンター。 荷物を下ろすトラックが、待っている。 

11年3月23日 (6)

ボランティアセンターには、要望が来ている。
どこどこの清掃に、何名欲しいとか。

待ってたら、ここに行ってもらえますかと、言って来る。
決まったら、要望の用紙に、名前が張らさる。

11年3月23日 (7)

集配所で、荷物の積み下ろしをすることになった。
後で知ったが、ニーズ調査は、もう終わっていた。
そればかりやってたら、聞いてばかりいないで、持ってこい、と言われる。
 
基本は、9時から4時まで。
毎朝受付。 その日休んでも、午前中でやめてもいい。

11年3月23日 (8)

釜石市内の人が、ボランティアのほとんど。
他に、遠野市が、バスで送り出している。
その他は、私だけ。    ※ 石や看護師などは、他県から来ている。

ボランティアセンターのとなりが、集配所だった。
トラックに積む物が伝えられる。 そうしたら、一斉に動いて積む。

11年3月23日 (2)

野菜と肉以外は、山ほどある。 
大型トラックが、次から次と、荷物を積んでやってくる。 遠くからも。
その割に、各避難所へ積んでいく車が少ない。

私の後ろにも、品物はいっぱい。

11年3月23日 (1)

トラックの荷物を降ろしている。  後ろの方に、次のトラックが待っている。

11年3月23日 (5)

自衛隊の人達は疲れた。 マイナスの気温の中、テントで寝ている。
ご苦労様と言いたい。

11年3月23日 (9)

運ぶ仕事をしていたら、ボランティアセンターの人が、掃除の仕事が出たので、お願いしたいと言ってきた。
いいですよと、言った。
運ぶ方の責任者は、怒った。 こっちが足りなくなるって。
ボランティアの数は、足りていなかった。

掃除に行く前に、昼食をどうぞって、言われた。
カップめんやパンがあった。 私は弁当を持っていたが、パンを食べた。
私は、色んな人に話しかけた。 みんな、釜石の人。

11年3月23日 (3)

上の写真の、中央奥の2人は、盛岡県立大の3年生。 間もなく、4年生。 社会福祉学科。 
左の子は、今回の津波でお父さんを亡くした。 宮古市に単身赴任で行ってたという。
それでも、ボランティアに参加している。 考えさせられますね。 強いと言っていいのか。

一番右の女の人は、その左の人と、一緒に来た。 
 (男の人は、かげに。 ジーパンは、下がっていた。人間、見た目では、その人の本質は決して分からない)
こう言った。 おばあちゃんが、見つかったって。
上に書いた大学生が、よかったねって言った。

行方不明になったら、みんな覚悟している。
だから、「死んで見つかって、何がよかったのさ」なんて、言わない。

バスで、清掃の現場に向かった。

11年3月23日 (10)

道だけ、瓦礫は無かった。

11年3月23日 (11)

この住宅には、ほとんど人は入っていない。 これを、避難住宅にする。
同じ建物が2つあり、はき掃除を全部した。 100戸くらいか。

11年3月23日 (4)

高校生もいた。 高一3名。 釜石商工と言っていた。  休憩時間になったら、すぐ遊ぶ。
一人で来た大学生もいた。 左から、4番目。 しゃがんでいる。 この人とも、たくさん話した。

11年3月23日 (12)

終わって、バスが来る所まで、歩いた。 この辺りは、水道は復旧していない。
おばあちゃんが、とつぜん寄って来た。
ある所に、困ってる人たちがいる。 助けてほしいと。
それを聞いて、ボランティアセンターに伝えた。

ガソリンを大事にするから、走ってる車は少ない。

11年3月23日 (13)

バスの一番前に乗った。

11年3月23日 (14)

震災の後、治安の良さを、外国から褒められている。
でも、昨晩、釜石市で、100台以上の車がガラスを割られ、盗難にあった。

また、人間性も褒められた。
清掃の時のチーフの人に、避難所の人に会ってみたいと言った。
止めた方がいいと言われた。

全部とは言わないが、みんな苛立っているという。
毛布を奪い合いになった避難所もある。
支援が、順調に進んでいないのが、大きな原因。

放送局は、いい所だけ放送している。 おかしなことを放送したら、文句を言われるから。
避難所の実態は、正確には伝わっていない。 避難者が悪いわけではない。 限界の生活をしている。

前を走ってる車は、水のタンクを引っ張っている。

11年3月23日 (15)

避難所での生活はきびしい。 だから、子供はほとんどいないと言う。 親戚や知人の所に行った。
   ※ 追記 子供は一ヶ所に集まっているよう。 釜石中と聞いた。

他人の車から、ガソリンを抜き取る人が出てきた。 盗難になる。

11年3月23日 (16)

ボランティアセンターで、報道の人に会った。 ※ 多くの報道が入っている。 中継する車も。
話が出来た。
岩手県内では、釜石市が一番、ボランティア活動が整っていると云う。
※ 釜石市のボランティアセンターは、先週の月曜日に立ちあげ、水曜日に軌道に乗っていた。

11年3月23日 (17)

ボランティアセンターに戻って、名札を戻して、今日の作業は終わったことを伝えた。

市内を、歩くことにした。
想定したように、津波は、ここまで来た。 左向こうに、駅が見える。

11年3月23日 (18)

避難所を運営するのは、基本的に役場。
少し北の、大槌町は、役場の機能が失われた。 町長も亡くなっている。

大槌町の避難所には、仕切る人がいなかった。
避難所の運営は、大変だったと聞いた。

港に向かっている。 そして、左の高台に行く。

11年3月23日 (19)

小さな集落の中には、そこまでの道が、まだ出来ていない所があるという。
現実は、まだ、そうだった。 

やっと、歩道が。

11年3月23日 (20)

大槌町は、火事でも亡くなった人がいると云う。
ガスボンベが押し流され、火が付いた。 津波の被害は受けていないのに、火に襲われた。

この辺りで、津波の高さは、1階の上辺り。 1階を水が通り抜けた所も。

11年3月23日 (21)

大槌町は、外部から人が入って、ボランティアセンターを立ち上げようとしている。

小さな高台があったので、登ってみた。

11年3月23日 (22)

鉄筋コンクリートの建物は、残った。

11年3月23日 (23)

どこの被災地も、最初に捜索に入った時は、瓦礫から、手や足が見えたと云う。
寒いからか、人は少ない。

11年3月23日 (24)

ここの場所は、右に行ったら港。 
だから、この辺にいた人は、向こうの高台に逃げた。 数分あれば、着く。

※ 建物の上に逃げて、助かった人もいる。 家が流される不安は、大きな恐怖だったと思う。

11年3月23日 (25)pp

避難の方法は、4種類あった。
海に向かって、左右の高台。 
駅の方が高いから、こっちに逃げる。(これは、バスの運転手さんが教えてくれた。
それと、丈夫な建物の上。

民家のような家は、津波に弱い。

11年3月23日 (26)

家族が、友人が、同僚が、津波に消えて行ったのを見た人は、たくさんいる。
手をつないで逃げたのに、津波が来て、手が離れたり。

11年3月23日 (27)

港に近づくと、津波の高さは、高い。

11年3月23日 (28)

津波の前でしょうか。 海の水が引いた。 
その時。数㍍の深さの海底が見えたと云う。 (バスの運転手さんの話)

高台に来た。 先日の動画の撮影場所は、ここより、少し左。 港の、左の方。

11年3月23日 (29)

津波が牙をむいて、ここから襲ってきた。

11年3月23日 (30)

釜石大観音は、全てを見た。 でも、見ているしか出来なかった。

11年3月23日 (31)

津波の後、全国の人達は、毎日テレビで、津波の様子を見た。
釜石の人達は、電気が停まったので、その様子は、テレビで見てない。

11年3月23日 (32)

向こうが駅。

11年3月23日 (33)

津波の高さが分かる。

11年3月23日 (34)

※ 象潟のKさんの友人も、津波に襲われた。(どこの町かは忘れたが)
  後ろから来た。 競争になった。 膝までの高さになった時、転んだ。
  やっとの思いで立ちあがって、逃げた。 助かった。
  もし立ち上がれなかったら、助からなかったという。

持主は、助かっているだろうか。

11年3月23日 (35)

11年3月23日 (36)

11年3月23日 (37)

ここに、います。

11年3月23日 (38)

釜石に来て知ったことが、いっぱいあった。

今晩も、寒い。 被災者のためにも、暖かくなってほしい。

【停泊場所】   ケーズデンキ駐車場

【明日の予定】  午前中、石応寺の避難所で、炊き出しの手伝い。
         



 ※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。   
                                                    (2008年4月~2010年9月までの記事)

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先日載せた動画に、女の子が「おにいちゃんが」って言うのがあった。
あの動画のスタートは、釜石市だった。 今日分かった。
その動画。 ※ 津波が押し寄せ来るが、人の表情も撮った。(こういう動画は少ない)



午後2時過ぎ、遠野の道の駅に着いた。 遠かった。
  ※ 椎葉村を出て、6日目だった。 (走ったっ距離は1800㌔くらいか)



直ぐに社会福祉協議会に行って、今後のことを決めた。
行き先は、釜石市となった。
 ※ 大槌町や陸前高田市は、役場の組織も壊滅状態のため、まだ、ボランティアを募る状況にない。
  
釜石市の支援本部は、駅の近くにある。 ※ 津波は、駅まで来た。
そこに、明日9時に行く。  仕事は、4時まで。
中身は、避難所にいる方のニーズ調査や世話、と伝えられた。

どちらでもいいし、両方やってみたい。
電話は、まともに通じないので、個人の携帯でやり取りしていた。
  ※ 今はまだ、県外からは募集はしていない。 担当者同士、話をつけたよう。
釜石市までは、40㌔くらいあるので、停泊地は、自分で明日、適当に見つける。

地震があって、最初に津波が来たのは、釜石市や少し上の大槌町だった。
釜石市には、津波は、下のように来た。



はっきりしている部分は、こう。(20日現在)
死者、493名。  行方不明者、620人。

※ 行方不明者の中には、行方不明と気づいてもらえない人も、多くいる。


朝、7時過ぎに起きたら、ガソリンスタンドに車が並んでいた。
私も、直ぐに行った。

向こうに、スタンドがある。

11年3月22日 (1)

こっちまで。 始まったら、20分くらいで、順番は来ると教えてくれた。

11年3月22日 (2)

8時前に給油が始まった。 一人、3000円まで。
私の車は、ほぼ満タンになった。

この後、途中で再度入れて、完璧な満タンにした。

下の写真は、高速のパーキング 湯田。 自衛隊の人達が、たくさんいた。 
この道の駅にスタンドがあって、再度満タンにした。 
軽油を入れることが出来たのは、この店が最後だった。

11年3月22日 (3)

社会福祉協議会をでて、自衛隊の基地を見に行った。
遠野運動公園。 自衛隊の人達は、ここを基地にしている。

11年3月22日 (5)

11年3月22日 (4)

別の場所。  サッカー場。

11年3月22日 (6)

ボランティアが、明日から始まります。
してあげるではない。
よく耳にする、させてもらう、でもない。
ただするだけ。

【余震】     余震が、今晩、10回くらいありました。



【道の駅】    遠野風の丘

【明日の予定】  釜石市の避難所へ

【動画akkamui】 遠野市へ



 ※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。   
                                                    (2008年4月~2010年9月までの記事)

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akkamui212

Author:akkamui212
2009年4月に放浪の旅をスタートし、7回目の日本1周に入っています。
「キャンピングカーで放浪の旅」に続き、パートⅡです。
よろしく。


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