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キャンピングカーで放浪の旅 Ⅱ

全国を、写真と動画で探訪

武佐衛門は、瑞林寺に葬られた。
今は寺はないが、武佐衛門大いちょうがあった。 460年経つと言う、大木だった。

山の中に、おまん姫の墓があると言う。
正確な場所は分からなかったが、何とかなると、行ってみた。


武佐衛門の大いちょうも、おまんの墓も、それを見に行くことによって、畑の道を、山の中を歩くことが出来る。
花があり、鳥がいて、人に出会うかもしれない。
目的があると、そういう面でいい。

道の駅から、南に向かって歩いている。

11年2月19日 (1)

菜の花の、花も葉っぱも、やわらかな色。 春に似合う。
 ※ 思い出したことがある。 朧月夜の歌の中に、「かわずの鳴くねも、鐘の音も」という歌詞がある。
    この鐘は、信州、中野市の真宝寺の鐘の音です。 行ったのは、一昨年。

11年2月19日 (2)

ここです。


大きなイチョウの木が見えた。 葉っぱはまだ。

11年2月19日 (3)

今年初めて、タンポポに気付いた。 茎がない。

11年2月19日 (4)

今は、寺はない。 ここは、見晴らしがいい。 ビールの箱があるので、大きさが分かる。
周りの長さ、6㍍。 高さ、35㍍。

武左衛門がこの木を見た時も、200年を過ぎた大木だった。

11年2月19日 (5)

死を覚悟していないと、一揆の指導は出来ないですね。

11年2月19日 (6)

夜見たら、きっと恐ろしいですよ。

11年2月19日 (7)

山の上に城跡があるんだが、道が分からなかった。

山の中に、黄緑がありますね。 これは、竹。  いつ頃からこんな色か、思い出せない。

11年2月19日 (8)

おまん姫の墓の場所は、ネットで調べて、大体分かった。 国道から歩いたとしても、数㌔。
山奥に向かった。 石碑があったので、見てみた。

ここは、トンネルの手前。 越えたら土佐。 御番所があったとある。
  ※ 番所~交通の要所に設けて、通行人を見張り、積み荷の検査や税の徴収などを行った所。(辞書)

11年2月19日 (10)

おまん姫の墓がある。 祠の跡も。 これでは、どこだか分からない。
土佐、伊予大海街道の道沿いにあることが分かる。

11年2月19日 (11)

トンネルの入り口横に、番所の跡が。

11年2月19日 (12)

ここの家に、聞きに行った。 目的があると、こういうことが出来る。 これがいい。

11年2月19日 (15)

おばあちゃんが、一人で暮らしていた。 おじいちゃんは、なくなった。
子供たちが近くだと言う。 

おまん姫の墓は、林道を上がって行って、途中から歩く。
山を眺めて教えてもらい、だいたいの場所が分かった。

落花生と、卵の殻。 殻は肥料にする。

11年2月19日 (13)    11年2月19日 (27)

大根を少し干して、切干大根を作る。 干さないと、切った時折れるそう。
出来たのは、道の駅で売る。
※ 道の駅の役割が、こんなところにもあった。 売るのは、生きがい。

11年2月19日 (14)

15分ほど話した。 子供たちのこと。
中学校は、道の駅のあった所。 昔は旧道だから、曲がりくねってていて10㌔以上あった。
自転車で通ったそう。 冬は雪が降るから通えない。 寄宿舎のような所に泊まった。
ここに嫁いで、50年になると言った。

ここは、一番の山奥。 私は、「おばあちゃん、ここから出たらだめだよ」って言って別れた。

目的地は、真ん中より右の方の山の上。

11年2月19日 (16)

トンネルの手前で、左の道に入った。 道は、曲がりながら、一気に上った。
動画にあるように、おばあちゃんの言った場所に着いた。 墓まで、250㍍とあった。

11年2月19日 (18)

おまん姫の説明。 平資盛と言う人を追って、ここに来たと言う。 でも、源氏の追っ手に殺された。

11年2月19日 (17)

おばあちゃんの家やこの辺りは、明治の頃までは、日向谷村(ひゅうがいむら)だった。
                        ※ 後に、合併して日吉村、さらに鬼北町。
おまん姫の話は、この地域に語り伝えられてきたが、伝説の内容は、下記のようにもまとまっている。
                                     (こたろう博物学研究所より)
  ・むかし、源平の合戦に負けた平家の娘におまん姫というとても美しい姫がいた。
   姫は源氏の追手を逃れ、四国に落ちのびた。
   そして西へと逃げ、日吉村の高研山(たかとぎやま)までやってきた。

  ・姫は疲れた足を休めようと道端の石に腰掛けた。
   側に流れる川の水面に木屑が流れているのを見て、上流に人が住んでいるに違いないと川上へと上っていった。
  ・すると、途中で木こりに出会う。
   姫は木こりに金を渡して「私が通った事をくれぐれも人に言わぬよう」と頼み、更に上流への上っていった。
  
  ・だが、追手の源氏がやってきて木こりに金を握らせると、木こりは姫の逃げていった方向を教えてしまった。
  ・追手の武士は姫が寝泊まりしていた茅葺きの家にのりこみ、首を討ち取ってしまった。
  ・姫の死を哀れんで、村人は姫が腰掛けた石を墓石として、高研山の中腹に祀った。
  
250㍍だから、雪があろうが何だろうが、行ける。 ※ 実際は、倍とは言わないが、もっとあった。

11年2月19日 (19)

宇和島と土佐を結ぶ道が、この道。   大洲と土佐を結ぶ道は、ほぼ先日歩いた、龍馬の脱藩の道
伊予の西側と土佐を結ぶ道は、この二つだけ。
多くの人が行き来したが、どんな目的で、1日何人くらい歩いたのか、そんなのが知れたら面白い。

突き当たりに、おまん姫の墓は見えてきた。

11年2月19日 (20)

ここは、峠の頂上でもあった。 名前は、高研峠(たかとぎとうげ)。 街道は、左に降りて行く。
真っ直ぐ登って行ったら、高研山。 その途中に、おまん姫の祠がある。

11年2月19日 (21)



日向谷の人達で作ったと、さっきのおばあちゃんが教えてくれた。
※ おばあちゃんの話では、上の祠は墓とは別にあるように、言った。
  上にあるのを、ここに持って来たのではないと言うこと。

11年2月19日 (22)

一つの石で出来た、五輪塔。(一石五輪塔)
4つしか見えないが、一番上に、少しだけ、後一つある。

「おまん姫塔」とある。 風化している。 左に、月日は書いてあったが、年号はなかった。
伝説通りだと、平安末期の物になる。  ※ 作り直すこともあるかな。

11年2月19日 (23)

登山道は、少し荒れていた。 高研山は1055㍍。 ここから直線で、1.5㌔程。
おまん姫の祠は、その途中だから、1時間は歩かないで着く。

11年2月19日 (24)

向こうが伊予。 谷の下に、日向谷地区がある。

11年2月19日 (25)

山を下りた所に、お墓と建物の跡があった。 きっと、お寺の跡。
おまん姫が住んだ所は、伊予のこれ以上はないと言う、山奥だった。

11年2月19日 (26)

平資盛(たいらのすけもり)と言う人は、歴史上の人物。
おまん姫、と言う名前は、ここの伝説の中にだけ出てくる。

この伝説は、この内容に近いことが実際にあって、連綿と伝えられてきた。
もしくは、山の中腹に古い墓があって、そこから伝説は生まれた。
どちらかでしょうね。

また、Wikipediaで高研峠を調べたら、おまん姫の話が載っています。
いろんなHPでも紹介されています。
けっこう知られた伝説のようです。

もし、壇ノ浦から逃げるとすれば、九州か山深い四国が一番です。
この伊予にも、どれだけ多くの平家が逃げて来たか分かりません。
伊予の最奥への道がこの道です。

この伝説が生まれるような、何かがきっとあった。
おまん姫の墓を見て、そうも思いました。

※ 峠を下りている時、ある霊のようなのを感じました。
  細い道の最後に、来た道を振り返りました。
  おまん姫が、どこかにいるのでは、と感じて。
  その時、目の前の道端に、溶け残った雪がありました。

  それは、女の人が何かに乗って、座っている姿でした。 
  私は、おまん姫がここまで、見送ってくれたと感じました。
  それを見て、今度来たら上の祠まで行くからね、と伝えました。

【道の駅】    ゆすはら

【明日の予定】  この町を。 龍馬関係。 そばに、棚田もある。

【動画akkamui】
     おまん姫の墓の入り口へ


     トンネルを抜けて、高知県へ


 ※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。   
                                                    (2008年4月~2010年9月までの記事)

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ここは、四国西部の山の中。
愛媛県だけど、四万十川の支流の上流域にある。
川は、西の宇和島の方に向かって流れたが、岩の山にはね返されて、高知の四万十川に合流した。

昔は、日吉村だった。 村から外に出る、車が通れる道が出来たのは、大正2年だそう。
それまで、陸の孤島。 ここは、そんな山の中。 


武佐衛門一揆記念館に向かった。 真っ直ぐ行ったら、大洲に。 途中、先日行った肱川を通る。
右に曲がったら、檮原(ゆすはら)に。 峠を越えたら高知。

11年2月18日 (1)

この地域の地図はない。 ※ 町のHPにも見つからない。
人に聞きながら歩いた。

11年2月18日 (2)

中央が、武佐衛門一揆記念館。 右に、日吉住民センターがあり、そこで受付。

11年2月18日 (13)

ちょうど、講演会の受付中だった。
その流れに乗った感じで、私も聞いてしまった。 1時間半。

演題は、「文化財を活かした まちづくり」。 話された方は、高知県教育委員会の方。

11年2月18日 (3)

たまに人の話を聞くのもいい。

話の中身は、古い家並みなどを、観光としてどう活かすか。
観光客が来て、お金を使ってもらうためには、どんな方法があるか。

この近辺では、内子が成功していると押さえていた。
雨切瓦の室戸市吉良川の町並みも、何度か登場した。

「観光地として成功するためには、どうすればいい」については、私も考えはあるつもり。
でも、私との違いは、考えが整理されていたことだった。 プロだと感じた。

私は、数えきれないほどの、町並みや観光地の取り組みを見てきた。
アイディアだったら、負けないかもしれない。 そうは思ったけどね。

一揆の像があった。

11年2月18日 (8)

騒動というのは「多人数が騒ぎたてて秩序が乱れること」と辞書にはある。
つまり、藩側から見た時、騒動となる。 農民側から見たら、一揆になる。

では、ある程度、客観的に見たら、これはどっちなのかということになる。
百科事典や辞書は、武左衛門一揆としている。

ところが、宇和島市のHPでは、吉田騒動になっている。(吉田ふれあい 国安の郷 の説明で)
こうも書いてある。 商家の「法花津屋」について。
「紙の専売制の強化などにより、農民の怒りの対象とされ、寛政5年に吉田騒動(武左衛門一揆)が起こりました」

武佐衛門一揆の責任は、藩にではなく、法花津屋にあるようになっている。
法花津屋が勝手にやったのなら、指導力がなかった藩に大きな責任があるのに。

言葉の使い方で、どんな視点で見ているかが、見えてくる。

今日の動画の中で、私は、この一揆を吉田騒動と言ったが、間違いですね。

11年2月18日 (9)

どんな一揆かというと。こうです。 (三省堂 大辞林)

 【武左衛門一揆】 ぶざえもんいっき
   1973年、伊予国吉田藩で藩の紙専売制に反対して起きた大規模な百姓一揆。
   百姓武左衛門を指導者として、一揆は全藩領に広がり、農民側の勝利に終わったが、武左衛門は処刑された。

11年2月18日 (4)

もう少し詳しいのは、こう。  武左衛門について。 (朝日日本歴史人物事典)
   生年: 生年不詳
   没年: 寛政6 (1794)
   江戸中期の義民。
   寛政5(1793)年伊予国(愛媛県)吉田藩に通称吉田騒動と呼ばれる百姓一揆が発生した。
   吉田藩は特権商人と結託し,特産物である紙の専売化を計画し,紙生産者である小百姓に税を賦課し始めた。
   百姓たちは,吉田藩の本家である宇和島藩への越訴を実行した。
   このとき,一揆勢およそ9600人を指揮し,宇和島藩との交渉に当たった頭取が武左衛門である。
   その結果百姓側の要求は全面的に受け入れられた。
   しかし,吉田藩は頭取の追及を開始し,武左衛門は捕縛され,斬首のうえ獄門とされた。
   後世,武左衛門に対する義民伝承が生まれた。
   また大正8(1919)年には,顕彰碑も建立されている。 <参考文献>横山十四男『義民』

9600人を動かした。 

赤い所が、吉田藩。 武左衛門のいた、日吉村は、一番右側。

11年2月18日 (5)

浄瑠璃(じょうるり)語りになりすまし、信頼できる人物を探し歩いたそう。
24人の同志が集まった。 途中で密告されたらお終い。 信頼されていた、ということですね。

記念館で、映画の形のビデオを見た。 
同士の一人が、法花津屋をつぶすと言った。
武左衛門は、一揆の目的を再度確認した。 生活をよくすることだと。
宇和島藩に、助けを求めることになる。

11年2月18日 (6)

武佐衛門の魅力は、上に書いた部分でしょうね。

武佐衛門の夢は何だったのか、武佐衛門の言葉で知れたらよかったかな。
また、一揆の後、何が変わったのか。 その辺も知りたかった。
                 ※ どこかにあったかも知れないが、見つけられなかった。
要求を認めたのは宇和島藩、吉田藩は分家とはいえ、どうもおかしい。

島原の乱は、こうだった。 

  「戦うしか生きる道はない」と考え、戦った。

     生きるとは、人間らしく生きること。
     現実には、高いレベルのものではなかったと思う。
     でも、クリスチャンであったから、理想の世界も知っていた。

   わらび座の「天草四郎」は、「理想の世界の夢」を遠くに見て戦ったとした。
   その夢は、自由、平和、平等、愛 だった。

   実際に乱の後、この天草・島原の地に住む人たちの生活は改善された。
   戦いは、後の世に、活きた。

こんな感じの内容ですね、知りたかったことは。

  ミュージカル天草四郎PV(ショートバージョン)


  ※ ブログ  明日を信じた人々の戦い「島原の乱」 他(5月7日) 

この人の、人間的な魅力は、大きかったでしょうね。
目つきが、今の時代の目かな。 昔もこうなんだろうか。

11年2月18日 (7)

こんな武器。 鉄砲はどのようにして、手に入れたのか。

11年2月18日 (10)

江戸時代の一揆の数は、3200だそう。  野垂れ死にするなら、戦う。 そういうことか。

11年2月18日 (11)

記念館の外から撮影。 向こうに行って、峠を越えたら、高知県の檮原。

11年2月18日 (12)

神社が見えたので、行ってみた。

11年2月18日 (14)

川は、向こうに流れる。 向こうから来た。

11年2月18日 (15)

明星草庵とあった。

11年2月18日 (16)

武佐衛門堂。

11年2月18日 (17)

中はこう。

11年2月18日 (18)

武佐衛門及び同志者碑。

11年2月18日 (19)

古い家並みが残っている。

11年2月18日 (20)

清流四万十川の支流の、上流。  四万十川に対する考えは、高知県の人と、違いはあるのか。

11年2月18日 (21)

北方面。

11年2月18日 (22)

武佐衛門一揆の大きな特徴は、宇和島藩がすべて聞き入れてくれたこと。
処罰しないことも、決まっていた。
でも、吉田藩は守らなかった。

人をまとめる力って、何でしょうね。
今の時代、どこの政党も大変。 まとめられないから、喧嘩ばっかり。

司馬遼太郎は、この一揆ついて、「街道をゆく」に書いたそう。
読んでみたいですね。
もし、司馬遼太郎が、武左衛門を小説にしたら、どんな内容にしたでしょう。
叶わぬ、夢。 

   ※ 武佐衛門一揆について、詳しくは、このHPに載っています

【道の駅】    日吉夢産地

【明日の予定】  この町を歩いてみます。 

【動画akkamui】 道の駅 日吉夢産地へ



 ※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。   
                                                    (2008年4月~2010年9月までの記事)

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akkamui212

Author:akkamui212
2009年4月に放浪の旅をスタートし、十数回目の日本1周に入っています。
「キャンピングカーで放浪の旅」に続き、パートⅡです。
明日は、どこの空の下にいるのかな。


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