キャンピングカーで放浪の旅 Ⅱ

全国を、写真と動画で探訪

道の駅「阿賀の里」から、京都に近い、道の駅「ガレリアかめおか」まで、565㌔。
1日では無理か。
出発は、11時になった。 ※ ブログを書いたので。

新潟市を通らないで、国道8号線に出た。
海沿いのその道を、ずっと南下した。 何度も走った道。  

新潟トヨタ上越店に、午後3時に着いた。 
オイル交換。 これをすると、車は喜ぶ。
宮城トヨタ気仙沼店が残っていたら、そこでする予定だった。
でも、会社がどこにあったかさえ分からなかった。

1時間ほどかかって、4時過ぎに出発。
富山市、金沢市、福井市の順に通る。

夜遅くなって、大型トラックが多くなった。
それに挟まれて、怒濤のように走った。

12時過ぎて、疲れた。
道の駅「マキノ追坂峠」で、停泊。
470㌔走って、残り95㌔。

明日、亀岡の道の駅では、元の旅に戻すための、態勢の立て直し。
車の掃除。 中も外も。
それから、洗濯。 床屋も。

晩は、京都で息子と食事。 預かってもらっていた自転車を受け取る。
今日は、どこも見学できなかったので、明日は、どこかを見て写真を撮りたい。

動画を1つだけ撮ったので、載せます。
親不知海岸です。



【道の駅】  マキノ追坂峠



【明日の予定】 道の駅ガレリアかめおか で、車の掃除や洗濯。 夕方、京都にでる。

 ※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。   
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「また元の旅に戻っても、被災者に勘弁してもらえるかな」
今は、そんなふうに思っている。

自分のしたことは、多くの人達と一緒に、被災者に少しだけ手を差し伸べた、そんな感じでしょうか。
被災者の苦労はまだまだ続くので、自分の中に満足感はない。

ただ、ブログの読者を中心に、多くの人に支えられ、ボランティアを無事に終えることができた。
そのことに感謝。


最後の仕事は、海に近い農家のお家の、瓦礫の撤去。
一輪車と軽トラで、津波が置いていった土砂やゴミを運んだ。  
京都や神奈川からの若者が20人いた。 家族の人達も、総出。
作業は進み、3時過ぎには終わった。

奥さまが、あのビニルハウスが命の恩人と言った。 ※ ビニルは無く、骨組みだけ。
津波は、1㍍の深さで、突然襲ってきた。
ビニルハウスにいた人みんな、骨組みの上に登った。 助かった。

南相馬市の原町区ボランティアセンターの裏。 ここで、道具を洗ったり。
右の人達と一緒に仕事をした。
この後すぐ、新潟に向かう。

DSC00419.jpg

九州の椎葉村を出発して、どんな足取りだったのか、少しだけ整理しておきます。

○ 3月17日   椎葉村を出発。 北に向かう。
○   22日   遠野市に入る。 釜石市を紹介してもらう。
○   23日~  釜石市で、ボランティア スタート。 (荷物運び、炊き出し)
○   28日~  大船渡市  (泥出し作業 等)
○ 4月 4日~  陸前高田市 (風呂焚き、靴の仕分け)
○   11日~  南三陸町  (写真の泥落とし、物資の運搬 等)
○   21日~  亘理町   (泥出し、瓦礫の撤去 等)
○   29日~  相馬市   (遺留品の展示 道具洗い)
○ 5月2日~7日 南相馬市  (瓦礫の撤去、避難所のお手伝い)

思い出の仕事を一つ、と言われたら、陸前高田市での風呂焚きでしょうか。
社長さんの行動に感動した。
自分も家を流されたけど、みんなのために風呂を作った。

20110405002400193shuro.jpg

4月7日のブログに一部。

  ※ 最初の風呂は、3月20日の午後2時頃から作り始めた。
    従業員と共に徹夜で作り続け、次の日の朝に完成した。
    トラックにドラム缶を積んで、川の水を運んだ。(上流に家の無い所の)
    ドラム缶4本で、水を沸かした。 廃材を燃やした。
    社長さんの動きを知った農協が、水のタンクを提供してくれた。(2トンと4トン)
    地下水も使わせてくれた。

何とかまとめたいと思ったブログは、これでしょうか。
   最後まで防災無線で叫び続けた人は、2人いた。 ~南三陸町~   他   (2011/4/13)

YouTube にいい動画があったが、著作権の関係で、消えて行っている。

自分は、小さな集落を中心に130ヶ所、動画を撮った。 YouTubeに載せた。
アクセス数が多かったのは、釜石市の鵜住居(うのすまい)。
報道が入らなかったためと思う。  
釜石市に戻る時、道を間違えて入って行った。   津波被害 釜石市鵜住居(YouTube)

忘れられない写真は、これ。  関連ブログ  亘理町鳥の海  「ごめんな」~女川町の男性の写真は、読売新聞で・・・~   他  (2011/4/24)

2011042406211863csm.jpg


私は、ボランティアの場所を動いた。
だから、この1ヶ月半は、ボランティアの旅だった感じもする。

※ こんな気持ちもあった。
  私は仕事をしていない。
  このボランティアの期間は、自分も仕事をしており、みんなと同じになった。

復興には、まだまだ時間がかかる。
でも、東北の人達の強さや逞しさは、何度も見た。 ※ 泥出しの3人の女性も。
亡くなった人たちに、もう一度住んでみたいと思ってもらえる町を、きっとつくる。
その町を見に、出会った人達に会いに、また来なければならない。

こんなところでしょうか。
私は九州に戻って、山に登ります。

震災で亡くなった多くの人のご冥福を祈り、子供たちにそして被災地に、笑顔が戻ることを願っています。


【動画akkamui】
     R459。 磐梯山の麓を通って、新潟へ。


     R49。  道の駅「阿賀の里」まで、あと少し。


【道の駅】  阿賀の里(新潟県)   
        ※ 阿賀野川の畔(ほとり)にあり、新潟市まであと少し。 晩遅くに着いた。

【明日の予定】 京都に向かう。  途中で、車のオイル交換。

          
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午前中、2日間のブログを整理。
午後から、公園を散歩。
立夏の今日は、初夏のように暖かかった。
相馬市に出て、買い物も。  ※ 南相馬市は、店がちゃんと開いてない。
のんびりした一日になった。

道の駅南相馬のようす。 自衛隊の車が、よく集まる。 ここでは停泊しないが。

11年5月6日 (1)

公園に万葉集の歌碑と、歌にちなんだ植物があると言う。
南相馬市の、鹿島区にある。

この旅では、万葉集には何回か出会っただけ。 私は苦手。 高校で習った時、ちんぷんかんぷん。
最初は、ここ。  静岡市の田子の浦。
山部赤人が、下の歌を。

  田子の浦ゆ うち出でてみれば真白にそ 富士の高嶺に雪は降りける

田子の浦は、今は工場で埋まっていた。

11年5月6日 (13)

近くの日本平からの富士山。 (2009年11月に行った)

11年5月6日 (12)

福岡県の香春(かわら)町にも、歌碑がいっぱいあった。

みちのく真野万葉植物園はここ。


桜平山(さくらだやま)公園の中に、植物園がある。
どうして、ここと万葉集が関係あるのか。

11年5月6日 (2)

万葉集に、この歌があった。 
  陸奥(みちのく)の 真野(まの)の草原(かやはら) 遠けども 面影(おもかげ)にして 見ゆといふものを 

歌の中に、真野がある。 
この辺り一帯は、真野と呼ばれ、真野村だった時代もある。 真野川も流れている。

歌の解釈は、
   陸奥の真野の草原は、遠くにあっても面影となって目の前に見える、ということですのに
                         (近くにいらっしゃる貴方にはお会いできない)。
別の解釈もある
   あなたはそのように遠いけれども、面影として私にはありありと見えるのです

笠女郎(かさのいらつめ)と云う人が、大伴家持に送った歌。
詳しくは、下に。
  ※ 大伴家持は、役人として多賀城に来ていた時代がある。 多賀城は、仙台市の海側。
    だから、この歌が生まれたのかなと思う。(これについて触れてる資料は見つからない)

11年5月6日 (3)

上の歌があったために、ここに万葉植物園が作られた。
歌に関する植物があって、側に歌碑があった。

11年5月6日 (4)

まだ、花は咲いていない。

11年5月6日 (5)

右の木が、真弓(まゆみ)の木かな。

11年5月6日 (6)

   天の原 振り放け見れば 白真弓 張りて懸けたり 夜道はよけむ 
                              間人宿祢大浦(はしひとのすくねおおうら)
解釈の例
   家を出てふと空を見上げれば、月が丁度弓を引き絞ったような塩梅でしたから、夜道を歩くに差し支えありませんね。

11年5月6日 (7)

解釈はいいですね。

11年5月6日 (9)

   君が行き、日(け)長くなりぬ、山たづの、迎へを行かむ、待つには待たじ
                                 通王(そとほしのおほきみ)
解釈 あなたがいらっしゃってから、ずいぶんと日が過ぎてしまいました。
   山たづのように、あなたを迎えに行きましょう、待ってなんかいられないわ。

今のように、車でぱっぱと行けないから、歌を歌うしかないのか。

11年5月6日 (10)

次のは、いいですよ。
   夏の野の 繁みに咲ける 姫百合の 知らえぬ恋は 苦しきものそ
                          大伴坂上郎女(おおとものさかのへのいらつめ)

解釈 夏の野の草の繁みに咲いている姫百合の花は、人に知られない。
   そのように相手に知られない、心に秘めた恋は苦しいものです。
   ※ 姫百合のヒメは「秘める」と同音なので、下句につながるそう

11年5月6日 (11)

ヒメユリ
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※ 上の歌の作者の娘は、大伴家持の妻になっている。

誰にも知られずに咲いているからこそ、いっそう美しい、そうも思うかな。
「がんばるは なんて言うなよ 草の花」の句を思い出す。

公園の広場は、瓦礫置き場になっていた。

11年5月6日 (8)

恋の歌が多いですね。 そうでない歌もあるが、少したいくつ。


札幌のTさんに、下の歌の編曲をお願いした。  
その曲を流しながら、写真を紹介する。 動画のようにして、YouTubeで見る。 
写真の選択も、まかせている。

曲名は、Diem xua(ディエム・スー) 意味は、雨に消えたあなた。





この曲をブログに載せたのは、3月9日だった。 別府の近くの高崎山の時。
3月11日の震災の2日前だった。 
あの時はまだ、東北の人達みんなが、幸せに暮らしていた。

この曲で、悲しみを中心とした、言葉では表せないないものを、表現できたらいい。

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3月23日に釜石からスタートした災害ボランティアは、そろそろかなと思っています。
明日一休みして、7日の土曜日が最後でしょうか。

 ※ 明日、昨日と今日のブログを整理します。(昨晩は、夕方寝たら朝までぐっすり) 

今日は、瓦礫の撤去。
御殿のような大きな家の中に、大量の瓦礫が入りこんでいた。
※ そこのお家では、息子さんを亡くしていた。
  地震の後、東北電力の職員として、仲間の人達と見回りをしていた。
  そこに津波が来た。
  お父さんは、もし息子さんが戻ってくるなら、この家を含めて、自分の全ての財産はいらないと言った。

家の前から海側を撮影。 この場所は、手前より10㍍ほど高いが、津波は駆け上がって来た。

11年5月 5日 (1)

家の中には、土や、瓦や、壁の一部など、何でもあった。
どこから入ったんだろうと言う、大きなボイラーもあった。

津波の時家にいたのは、おばあちゃんだけ。
海側の壁は全て壊れたが、そこから少し内側の、幅1.3㍍程の壁だけ壊れなかった。
壁の陰にあった柱に、おばあちゃんはしがみついていた。 2階に逃げる時間はなかった。
そこは流れが弱かったので、助かった。

南側の風景。 自衛隊が、水田の瓦礫を、適当な間隔でまとめていた。

11年5月 5日 (2)

ボランティア9名での作業。 ほぼ終わったが、床下の泥出しの作業がまだある。

水田には、もちろん稲は植わっていない。
20㌔の外側のこの一帯は、緊急時避難準備区域。
米の作付が制限されている。 制限と云う表現だが、作付している所は無い。
保育所や、全ての学校は休校。 子供たちは、他の町の学校に。

市街地から、6㌔程山の中に、高倉文殊堂というのがあったので、行ってみた。

下は、文殊堂の入り口前の風景。 水田にもビニルハウスのも、何の動きもない。

11年5月 5日 (3)

      ※ +をクリックすると、広がります。

ここから入って、右に少し上ったら、文殊堂はあった。

11年5月 5日 (4)

文殊菩薩が本尊なので、文殊堂。 小さいけど、いい雰囲気で建っている。

11年5月 5日 (5)

本尊の文殊菩薩像は、普段は見られない。
見られるのは、1年に2日間だけで、1月の第2土曜日・日曜日。

11年5月 5日 (6)

像は小さい。 高さ、30㌢㍍。  

monnzyubosatu786899.jpg

南相馬市のHPには、下の説明があった。
   高倉文殊菩薩像は、高倉文殊堂のご本尊で、唐獅子の上に乗っています。
   像の背後に空海作の銘があります。 
   元文(1736~40)の頃、同慶寺26世月江禅心和尚、銭20貫文を寄進し、文殊大士百合草座舟後光を作成したと伝えられています。
   この高倉文殊菩薩像は、幾世橋(浪江町)・上浦(小高区)の文殊とともに相馬三文殊と称し殊勝の霊仏とされています。 
   この文殊菩薩は、古来より頗(すこぶ)る霊異があった。
   ある時野火が発生し堂に及んだとき山守門左衛門なる者が、堂中の格子を破り、ご本尊を出そうとしたが尊像が見えず、日もすでに暮れて空しく帰った。
   文殊寺別当の是弁覚非和尚が、翌日近辺を探したところ、本尊は文殊堂の南方の枯れた大木の根元にあり、人々その霊妙を感じたと言われています。

国宝の文殊菩薩が、奈良の興福寺の東金堂にある。 昨年5月に息子と行った。

20100531002monnzyubosatu.jpg

文殊菩薩は、獅子の上に乗っかっている。

monnzyubisatu090899.jpg

※ 興福寺の説明
setumei989090.jpg

文殊と言えば、「3人寄れば、文殊の知恵」の文殊ですね。 
文殊は、文殊菩薩のことなので、意味がやっと分かった。

ここはお堂だけど、下の石碑があった。

11年5月 5日 (7)

熊野三社、とある。  ここは、神社でもあったのか。

11年5月 5日 (8)

熊野三社は、昨年5月、熊野古道を歩いた時に行った。
熊野本宮大社                              熊野速玉 大社

11年5月 5日 (11)  11年5月 5日 (13)

熊野那智大社

11年5月 5日 (12)

文殊堂の近くに、隧道があった。 水を通すトンネル。
でも、水は無く、乾いていた。 さびしい風景。

11年5月 5日 (9)

今年もこの花が咲いていた。

11年5月 5日 (10)

29日に撮影した動画です。 原町区の金沢という所。
この動画の後半の部分の、右側に、今日行った家があります。  ※ 写ってはいない。



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南相馬市原町区の、今日のボランティアの人数は、401名。
県内77名。 県外324名。
福島原発に近いけど、それでも多くの人が駆けつけている。


仕事は、避難所のお手伝い。 初めて。
場所は、小学校の避難所。 この一帯の学校はすべて休校。

食事は家庭科室でつくる。
夕食のポテトサラダに入れる、茹でたニンジンを切った。
ここでは、掃除でもなんでもした。

体育館が、避難所。
ここではお話しの相手をしたり、肩をもんだり。
寝られないために、薬を飲んでる人もいた。
家は壊れていなけど、放射能で住めないため、ここに来た人も多い。

段ボール箱で場所を仕切っている。
若い人は、昼間仕事に行っていない。
お年寄りが多い。

昼食は、お弁当が出た。 トマトやお菓子なども。
震災直後とは、全く違う。
お茶やコーヒーは、いつでも自由に飲める。

私が想像する以上に、お年寄りの誰もが、地震を怖がっていた。
一人では家に居れない、と云う人もいた。

みんなで掃除をしたり、体操をする時間もあった。


仕事の後、近くにある、桜井古墳に行ってみた。
古墳の近くまで津波は来たので、途中から歩いた。

変わった鳥がいた。 

11年4月4日 (1)

こんなのです。 キジかな。

11年4月4日 (3)

梅のように見えた。

11年4月4日 (2)

マンホールが、飛び出ていた。 こういうのは、珍しくない。
橋も、浮き上がっているのが多い。

津波は、ここまで来た。

11年4月4日 (4)

桜井古墳は、この上。

11年4月4日 (5)

正面の土手は、野馬土手。 放牧の馬が、来ないようにする。 一部が残っていた。

11年4月4日 (6)

小さな古墳。

11年4月4日 (7)

大きい。 桜井古墳と呼んでる物。
古墳は、関西や九州にあると思っていた。 東北にも会った。
4世紀後半に作られたと、説明にあった。

11年4月4日 (9)

こんな説明。
出土した物が少ないのは、盗掘にあったのでしょうね。

IMG_9327setumei.jpg

航空写真。   後ろ(右側)も四角いので、「前方後方墳」と呼ぶそう。

11年4月4日 (8)

前から後ろを撮影。  津波の跡が見える。

11年4月4日 (10)

北方面の山側。

11年4月4日 (11)


南相馬市原町区の海岸線



南相馬市 海岸線の20㎞地点



震災の動画を撮るのは、今日でお終い。


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今日の作業は、20㎞の境界線まで、600㍍の地点だった。

朝起きたら、周りは騒然。 
ある団体が、被災者に物資のプレゼントをしていた。

この町には、東京タワーが出来るまで、日本一高い無線塔があった。


今日作業したお家は、写真の左に。 
20㌔のラインは正面の低い山の手前にある川。 そこまで約600㍍。

11年5月3日 (10)

大谷(おおや)石で出来た蔵が崩壊した。 それを片づける作業。
重機も動いており、仕事は一緒に進めた。

大谷石は、火山灰や砂の固まりだそうで、軽くて柔い。
大きなハンマーで割ることが出来る。
2台の軽トラに積んで、運んだ。 ボランティアは、5人。 みんな県外。

木材も運べる大きさにして、軽トラで運んだ。
重機は、石をダンプに積んだ。

下の地図の、赤の点が、今日の場所。

11年5月3日 (12)pp

この地域には、子供はほとんどいない。
いてもかまわないが、避難しているそう。

お昼に、味噌汁を御馳走になった。 他に、お菓子なども。
東京から来たと言う、若者3人組は、会話が楽しかった。 半分ふざけて。
たとえばこんなの。

「何飲んでるのよ」 
「『お~い』だ」
「それって、何」
「お茶に決まってるべや」

お家の人や、近所の人も来て、10人程での作業になった。
全部は終わらなかった。 続きは明日も。

今年は稲の作付は出来ない。
例年なら、今の時期は、田植えが終わっている。
それを知ったら、美しく見える風景も、悲しい風景。

戻る時、相馬野馬追祭場地を通った。 毎年ここで、相馬野馬追は行われる。(先日載せた動画の場所)

11年5月3日 (11)

道の駅に停泊したんだが、7時頃目が覚めたら、外は騒然。
たくさんの人が並んで、物資をもらっていた。

11年5月3日 (1)

配ってる場所は、私のずっと右後ろ。 
列の100人の長さを調べてみた。 そうしたら、全体の人数は、1000人以上と分かった。

11年5月3日 (2)

もらえるまでには、1時間以上かかる。 
この写真は、7時半撮影。 この人達は、6時頃から並んだ。

地元の人と話した。 こう言った。
この震災で、みんな並ぶのに慣れた、だから平気、って。

11年5月3日 (3)

配ってる組織は、セカンドハーベスト・ジャパン。
この組織の活動内容は、こうだそう。(Wikipediaより)

 食品メーカーや外食産業などでは、品質には問題がないものの、包装不備などで市場での流通が困難になり、商品価値を失った食品が発生する。
 従来は廃棄されていたこうした食品の提供を原則として無償で受け、生活困窮者を支援しているNGO・NPO等の市民団体を通じて野外生活者や
 児童施設入居者などの生活困窮者に供給する、いわゆるフードバンク活動を中心に行っている。

     ※ 詳しくは、ここに。(Wikipedia)

平等に配らなければ、不満だけが残ったりする。 

11年5月3日 (8)

道の駅のそばに、こんな公園があった。 左に円いものが。

11年5月3日 (9)

花時計。

11年5月3日 (6)

無線塔跡、とある。

11年5月3日 (4)

昔、こんな塔がここにあった。 高さ、200㍍。
1921年に出来て、1933年まで無線の送信所として使われた。
関東大震災の情報は、ここから全世界に流されたと、説明にあった。

11年5月3日 (5)

そこにあった説明。

11年5月3日 (7)

昔は、船の人も、この塔を見て、港に戻った。
長い間この町のシンボルだったけど、1891年に取り壊した。

※ もっと詳しく知りたい方は、ここを。  原町無線塔物語


※ 下の動画は、先月29日に撮影したもの。






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相馬市のボランティアセンターは、人で溢れていた。
南相馬市の原町のボランティアセンターは、仕事があると分かった。
福島原発から、20数㌔の地点。

6時過ぎ、福島原発から20㌔の地点に行ってきた。
写真忘れて、動画だけ。


南相馬市では、仕事はあった。
原発に近いことが関係あるかどうかは、はっきりしない。
報道では、安全を強調するけど、警戒している人間は多い。

写真や、賞状、位牌、バッグ、置物などの展示。
多くの人が見に来た。 他人(ひと)の物は見つかるが、自分の物は見つからないと言う人もいた。

この町にいつまでいるかは、決めてない。
今週いっぱいかな、とも。
動画を撮りたい所は、あと少しだけ。 この町の海岸線。

6時過ぎ、国道6号線を南に向かった。



20㌔地点に近づくに従って、人は見かけなくなった。
家の灯りも、なかった。
人がいないと、時が止まった感じがする。


南三陸町の遠藤未希さんが発見された。
最後まで、避難を呼びかけた人。
   
   そのニュース(FNN)

※ ニュースの映像は、いずれ消えるので、文章を載せます。

東日本大震災 津波からの避難を呼びかけ続けた宮城・南三陸町の女性職員、遺体で発見(FNN) 5月2日(月)19時7分配信

間近に迫る津波を前に、最後まで町の人に避難を呼びかけていた宮城・南三陸町の女性職員が、遺体となって見つかった。
多くの住民の姿を救った1人の女性。
防災無線で町の人に避難を呼びかけ続けた宮城・南三陸町の職員・遠藤未希さん(24)が、2日までに死亡が確認された。
南三陸町の防災対策庁舎は、現在も建物は大きく壊れ、屋上には海から流れてきた「浮き」が、引っかかったままの状態となっている。
庁舎2階にあったという放送室で、遠藤さんは、迫り来る大津波を前に、最後まで冷静な声で呼びかけを続けた。
2010年夏に結婚したばかりの遠藤さん。
同僚職員は「今時の若い人には珍しいくらい、丁寧でまじめな印象ですね。彼女の放送で、大勢の方の命が助かっていると思いますので、
『ありがとう、お疲れさま』と(言いたい)」と話した。

※ 関連ブログ   最後まで防災無線で叫び続けた人は、2人いた。 ~南三陸町~ 他 (2011/4/13)

※ ニコニコ動画にもあったので載せます。 
  画面にコメントが出ます。 うるさいのでカットできます。 画面の右下隅に、クリックする所が。




今日は、夏も近づく、八十八夜。 ※ 節分の次の日の、立春の日から数えて、88日目。
6日が立夏で、夏。

3月11日は、36日目だった。 雪の舞う寒い日だった。
あれから52日が過ぎ、被災地は、夏を目の前にして、やっと暖かくなった。

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ここを入ると、中村城跡。 昔、相馬中村藩の城があった。

11年5月1日 (1)

ここは城の中だが、本丸は、右の丘の上にあった。
今は、相馬神社がある。 ※ 隣に、中村神社も。

11年5月1日 (2)

ここで、「相馬野馬追」は生まれた。
今は大きな祭りになっていて、東北6大祭りの一つとも。 東北の夏祭りの先駆け。   ※ 相馬野馬追(Wikipedia)



水仙と?。

11年5月1日 (3)

本丸跡に向かった。 岩に穴があって、コンクリで埋めてあった。 防空壕かな。

11年5月1日 (4)

橋を渡って行く。  橋の手前右に、下の像があった。

11年5月1日 (5)

二宮尊徳の像。

11年5月1日 (7)

天明とかの飢饉の時、「御仕法」と云う方法で、農村を立て直した。
二宮尊徳の「御仕法」は、この藩で最も顕著にあらわれた。 そういうことのよう。
※ 御仕法は、具体的な方法より、精神的な部分の改革が大きいように感じる。

11年5月1日 (6)

登りきった所が、本丸跡。 桜が見えた。

11年5月1日 (8)

濃いピンク。 遅い時期に満開。

11年5月1日 (9)

八重桜だった。 そう言えば、八重桜は咲く時期が遅い。

11年5月1日 (10)

地元の人に名前を聞いたら、「牡丹桜」と言った。 調べてみたら、同じだった。

11年5月1日 (13)

花が、かたまって咲いている。

11年5月1日 (14)

まだ、満開ではない。 

11年5月1日 (15)

相馬神社。

11年5月1日 (11)

神楽殿があった。 この神社の神楽は、五穀豊穣を願う内容だそう。 飢饉が多いからか。

11年5月1日 (12)

城跡の一角が、野球場になっている。 今日も、少し見た。

11年5月1日 (16)

今日の仕事は、午後の2時半から。 道具を洗う。
4時で終わった。 その後は、ボタンティアセンターの人がする。 今日も、高圧洗浄機で洗った。

11年5月1日 (17)

街外れに、百尺観音があった。 地震で、手が落ちた。 岩も崩れて。
一人の人が上から彫り始めた。 世代を継いで彫っているが、まだ完成していない。 

ここの岩は、風化しやすい。 コンクリートで、塗り固めたが、それが剥がれ始めている。

11年5月1日 (18)

千葉県の鋸山(のこぎりやま)で見た、百尺観音。

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寄ってくるので、逃げた。 なかなかな人相(猫相)。

11年5月1日 (19)

南相馬市に、「味の時計台」があった。 久しぶりなので食べた。 味噌ラーメン。
ここは、宿泊もできる。
お風呂入って行ったらと、言ってくれた。 無料で。 岩風呂だった。
奥さまは、北海道の岩見沢の出身だった。

ジンギスカンもあったので、今度食べに行く。

11年5月1日 (20)

記事を一つ。

運命の2時46分発 駅で交差した「生と死」 JR仙石線野蒜駅
産経新聞 5月1日(日)20時12分配信

  東日本大震災が発生した3月11日午後2時46分、宮城県東松島市のJR仙石(せんせき)線「野蒜(のびる)駅」を出発した
  上下2本の電車があった。
  ともに一時行方不明と報じられたが、下り電車は丘の上で停止、地元住民のアドバイスに従って乗客は車内にとどまり無事だった。
  上り電車はJR東日本の内規に従って誘導された指定避難所が津波に襲われ、数人が命を落とした。
  乗客の証言などをもとに、小さな駅で交差した生と死を追った。(梶原紀尚)

 ■上り・皮肉な結末

  仙台方面の「あおば通」行き普通電車(4両編成)は午後2時46分、野蒜駅を出発した。
  直後に激しい揺れに襲われ、運転室に緊急停止を告げる無線が入った。
  停車したのは駅から約700メートル進んだところだった。
  JR東日本には、災害時に緊急停止した場合、乗務員は最寄りの指定避難所などに乗客を誘導する内規がある。

  指定避難所は、電車が停止した場所から北東約300メートルにある野蒜小学校の体育館。
  車掌らは内規通りに乗客約40人を誘導。
  ところが、直後に体育館を津波が襲い、数人が亡くなった。
  電車も津波で流され、脱線していた。

 ■下り・乗客の機転

  下りの「石巻」行きの快速電車(4両編成)も野蒜駅を発車直後、突き上げられるような衝撃が襲った。
  電車は小高い丘で停止。
  車掌らが乗客約50人を3両目に集め、避難誘導しようとしたが、野蒜地区に住む男性乗客の1人が制止した。

  「ここは高台だから車内にいた方が安全だ」

  皆、その言葉に従った。

  しばらくして轟音(ごうおん)とともに津波が襲来。
  あっという間に家や車をのみこんだ。
  家の屋根につかまりながら流される70代の男性を車掌らが救出。
  津波は線路の直前で止まった。
  冠水しなかったのは、電車が止まっていた丘の上だけ。
  乗客の東松島市のパート、渋谷節子さん(61)は「少し前に進んでいても後ろでも、津波に巻き込まれていた」と振り返る。

  津波は避けられたものの無線も携帯もつながらず救助も求められない。
  夜になると吹雪になった。
  乗客が持っていたお土産のかりんとうやまんじゅうを食べ、真っ暗な車内で、寒さと恐怖に耐えた。
  一夜明け、全員が救助された。


相馬市磯部、蒲庭




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いつの間にか、4月が終わる。 はやい。
今日の仕事は、瓦礫の撤去。 初めて。

相馬市の街外れに、小さな新沼観音堂があり、そこに、天明餓死供養碑というのがあった。
東北は寒いから、飢饉の時は、他よりも被害が大きい。 1回の飢饉で、死者数万人。
昔も今も、東北の人達は、辛い思いをする。


ボランティアセンターの受け付けは、9時から。
昨日遅れて行ったら、仕事が午後からになったので、8時半過ぎに行ってみた。
下のように、人が並んでいた。
私は、並ばない。

11年4月30日 (4)

車で休んでたら、9時20分頃、列は消えた。
仕事は無いかもしれないと思ったが、受付に行った。

ボランティアの人は、20人ほどいた。
一つだけ仕事が、貼り出してあった。
内容は、「力仕事、瓦礫の撤去」とあった。
5人必要だが、2人しか希望していない。 みんな敬遠したために、残っていた。

私は、すぐそれに申し込んだ。 
集合時間は12時過ぎで、場所は下の地図の、松川浦。 北隣に相馬港がある。


たくさんの船が打ち上げられていた。 船の向こうは海。

11年4月30日 (1)

上の写真の船の方から撮影。 右手前の家が、仕事場。
家の周りの瓦礫を、写真の左手前に運んだ。 一輪車を使って。 大きな物は、何人かで。
※ 釘を踏まないようにだけ、注意を払っていた。

11年4月30日 (2)

瓦礫は、流れてきた物と、家の中から出した物。

家の中では、業者が床下の泥出しの準備をしていた。
発電機で電動の工具を使い、切ったりして、要領よく床板を剥がしていた。
床下の水と泥は、吸い取ると言った。  ※ バキュームカーのように。

3時頃には終わった。
お茶やお菓子を御馳走になった。
みんな記念写真を撮り出したので、私も1枚。 女性の方が、ここにお家の人。
オレンジのジャケットの人は、迎えに来た人。
黄色のジャケットの人は、まとめ役。

11年4月30日 (3)

3時半過ぎには戻ったので、天明餓死供養碑を見に行くことに。
この碑については、相馬市の歴史を調べていたら、たまたま見つけた。

 ※ 話はそれるが、私の母方の苗字は相馬。 
   先祖はこの町かなと思って、母に聞いてみたら違った。
   母の母方の先祖は、盛岡市。 母の父方の先祖は、栃木県だった。

その碑は、新沼観音堂の入り口にあった。


説明の下にある、小さな石碑が、天明餓死供養碑。

11年4月30日 (5)

これが、供養碑。 なんて書いてあるか、全部読めない。 ※ ネットにもない。
餓死と、男女が読める。 右に、寛永二とあるのかな。

11年4月30日 (7)

説明は、こう。  200年とちょっと前の話し。

11年4月30日 (6)

天明の大飢饉が、一番大変だったが、江戸時代どんな飢饉があったのか。

① 寛永の大飢饉 寛永19年(1642年)~寛永20年(1643年)
② 享保の大飢饉 享保17年(1732年)
③ 天明の大飢饉 天明2年 (1782年)~天明7年(1787年)
④ 天保の大飢饉 天保4年 (1833年)~天保10年(1839年)   

※ ここまでの4つが、4大飢饉。 他に、

⑤ 元禄の飢饉(元禄年間 1691年~1695年)
⑥ 延宝の飢饉(延宝年間 1674年~1675年)
⑦ 天和の飢饉(天和年間 1682年~1683年)
⑧ 宝暦の飢饉(宝暦年間 1753年~1757年)

上の中で、半分の、③④⑤⑧は、東北地方が特にひどかった。 
  ※ 他は、東北だけでなく、全国的に。 東北は、いつも大変。

死者については、下のように。  ※ 数字は、Wikipedia と 相馬の歴史講座と相馬郷土史研究のHP より。
                ※ 相馬市は、昔は相馬中村藩。
○ 元禄の大飢饉   東北全体で、50000人。
○ 宝暦の大飢饉   東北全体で、60000人。
○ 天明の大飢饉  相馬中村藩で、16000人。  ※ 弘前藩だけで、10万人、
           東北全体で、80万人とも。 松平定信の記録は、全国で140万人。
○ 天保の大飢饉     全国で、20~30万人。

下の絵は、江戸期の出版物「卯辰飢饉物語」にあるもの。   詳しくは、ここのHPに
人が馬の肉を食べている。 犬が人の肉も。
       ※ 人が人を食べてる文や絵もある。

tennmeinodaikikinnkkouo.jpg

東北は、今の時期も、海からの風は冷たい。
夏になっても吹く、その風は「やませ」と呼ばれる。 冷害が飢饉を引き起こす。
天明の飢饉の時は、岩木山が噴火している。 火山灰を降らせ、空を曇らせた。 これも、冷害の要因の一つ。

東北では、醤油の原料の大豆を作らされた所もある。 大豆は冷害に弱かった。 あわやひえは、強い。

新沼観音堂は、少し行って、左に登った所にあった。

11年4月30日 (10)

新沼観音堂。

11年4月30日 (8)

石塔が、雑多にならんでいた。 ・・三夜と読めるのがあった。 二十三夜塔かな。
庚申塔もあった。    庚申塔(Wikipedia)

11年4月30日 (9)

東北の人々は、今回の津波や放射能で、辛い思いをした。 また、今もしている。
天明餓死供養碑を知った時、もしかしたら、他と比較して、昔から大変な思いをして来たのでは、と思ったので、調べてみた。
東北の人達の厳しい生活は、少なくとも、江戸時代から続いていた。

復興を果たした時の東北の姿は、
「もう津波の心配はなく、涼しさが米作りに有利で、豊かな漁場を抱え、そして、誰もが幸せに生きられる所」
そんなイメージでしょうか。 そうなったらいい。

※ なお、松尾芭蕉の「奥の細道」の旅は、「寛永の大飢饉」と「元禄の飢饉」の間に行っている。
  1689年のこと。
  飢饉の時には行かないから、きっと、落ち着いてる時に行った。

※ キム・ヨナは負けました。
  昨日、不安を1つだけ書いた。
  コーチと並んだ時、二人の間に一体感が感じられなかった。
  コーチが、ヨナの心のコントロールを助けることは出来なかった。
  オーサーコーチとの違いだ。

  負けたけど、キム・ヨナの魅力が少しも減ったわけではない。
  オリンピックで勝つことは、歴史に歴然と残る。
  それほど大きなことで、それによって、心も何もかも、すり減らした。  
  だから、次の1年くらいダメだって、どうってことない。

  フィギュアスケートの女子は、キム・ヨナを中心にまわっていることには変わりない。
  次のシーズンを気分よく勝ってやめるか、次のオリンピックを勝ってやめるか、どちらでもいいと思う。
  勝負の世界は、誰かが泣く。 きびしい。

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相馬市のボランティアの人数は、普段は60人くらい。
でも、連休に入ったので、今日は100人を越えた。
駐車場を探して、少し遅れて行ったら、直ぐの仕事はなかった。
2時半から、道具洗いをした。

夕方、海岸線をあっちこっち見ながら、南相馬市まで行って来た。
放射能で騒がれているが、自然の美しい町だった。


相馬市は市だが、ボランティアの人数は、亘理町の3分の1。(今日は少し多かったが)
福島県だからでしょうか。 
原発にもっと近い南相馬市は、どうなっているのでしょう。

ここが、ボランティアセンター。
2時半から、ここで、スコップや一輪車を洗った。 1時間半。
私は、カッパ(登山の上下)を着てたので、濡れても大丈夫と云うことで、高圧で水が出るのを使った。
戻って来た人の、長靴の底や、カッパも洗った。

11年4月29日 (1)

4時半過ぎ、南相馬市の海岸線に向かった。
この時間になると、工事とかがあっても終わるため、走りやすい。
迷惑をかけないですむ。

亘理町までが仙台平野で、その南は、低い山が海に近づいていた。
下の写真は、南相馬市の北部の海岸線。 鹿島区北屋形。

11年4月29日 (2)

水の引いた後に、下の様に、数㌢の厚さで汚泥を残している。
床下と同じように、その部分ははがれそう。
※ ものすごい数のボランティアがいたら、取り除けるかも知れない。

11年4月29日 (3)

海岸線は通行止めになってる所があり、迂回したり、国道に戻ることもあった。
下の場所は、上の写真の所より、少し南。
海に近い所の家は、みんな流されていた。



南相馬市の道の駅まで行って、戻って来た。




【その他】

相馬市内では、車は城跡の駐車場に停めた。
午前中、そばの野球場で、高校生の練習試合を、30分ほど見た。
温かい日差しの中で、のんびり。 いいもんだ。
その後、2時まで寝た。

DSC0039778uioopko.jpg

夜、世界選手権の女子のショートプログラムが始まった。

キム・ヨナは、冒頭の3回転・3回転を失敗した。
それでも1位だったので、このことが大きいと考えるしかない。

いい動画がない。

気付いたことを少し。
① 3回転3回転を失敗することは、この所、ずっとなかった。
  アメリカのある選手が、ヨナは3回転を2回転を跳ぶように跳んでいる、と言った。
  ジャンプは、難しい。
② 新しいコーチは、ヨナの心のコントロールをどうやってるのか。
  そこが少し心配。
③ 1度ミスしても、引きずらないのは、いつもの通りだった。
  それが出来たので、演技の後は、まあいいか仕方ない、っていう表情をした。
④ ステップでは、片足で滑る部分が多かった。 特に最後の部分は、圧巻と云ってもいい。
⑤ 点数を見てほっとした。 胸に手をやった。
⑥ 全体は、見ていて退屈しない内容だったでしょうか。
  レベルアップが図られているように感じた。
⑦ フリーでは、1回転んで、他に小さなミスがいくつかあっても、勝てる。


相馬市のある所に、「餓死供養塔」というのがある。 そのことが分かった。
今回の地震、そして津波。 さらに、原発の被害。
東北は、昔から・・・、と思い始めてる。

上のことについて整理してみたい、また考えてみたいと思っている。
供養塔も見に行って。

スケートは、今晩、フリープログラムがあります。


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福島県の、相馬市に移動することにした。

亘理町に1週間いたが、この町での仕事は、南三陸町や陸前高田市での仕事とは、少し違った。
三陸での仕事は、被災者の今の生活に密着していた。
風呂焚きや、支援物資の分配、衣類や靴の仕分け、避難住宅として利用するための集合住宅の泥出し、そんなのだった。
亘理町のは少し違って、泥出しや家の周りの清掃が中心なため、復興に向けての被災者の支援の感じだった。

亘理町のボランティアセンターの南に、前沼と云う小さな池があり、公園になっていた。
そこの駐車場に、停泊していた。 私以外の車はなかった。

11年4月28日 (1)

すぐ側は、墓地になっていた。 下の写真の右上の方。 池は、右下に。
夜、薄気味悪いとか思うことはなかった。 墓地のことは、忘れていた。


色んな花が咲き始めていた。 時々散歩した。

11年4月28日 (2)  11年4月28日 (3)

国道6号線を南に向かった。 国道から、時々被災している所が見えた。

相馬市に入って、適当な道を海に向かった。
後で調べたら、磯部という地域だった。


仙台から南は平野が多いので、津波は広くどこまでも内陸に入り込んだ。

11年4月28日 (4)

見渡す限りと云うより、地平線までこの状態、という感じ。

11年4月28日 (5)

穀倉地帯が、こうなってしまった。



明日から、大型連休が始まる。
ボランティアの人たちが、たくさん来る。
人が多すぎて、仕事が足りないかもしれない。

※ 大川小学校の保護者は、まだ見つからない子供たちを毎日探している。 あと、6名。
  もし手伝わさせてもらえるなら、何日でも構わない。 そう思う。
  でも、この仕事は、保護者以外では、消防と警察の仕事かな、とも思う。


世界選手権の男子のフリーが終わった。
小塚が、4回転を跳んで成功した。 他のジャンプも安定していた。 2位。



4回転を安定して跳べなければ、優勝は難しい。
パトリック・チャンは、難しそうに跳んでいない。 そこが、すごいのか。
全体的な滑りは、個人的には、プルシェンコの方が、見てて退屈しない。 ※ 彼は今、出場停止。



いよいよ明日、女子のショートプログラムが始まる。

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今日も、床下の泥出し。
でも、泥の状態が違った。 床を剥がした部分は、取りやすかった。
3人の女性が、一緒だった。 3人とも、泥と格闘した。

ボランティアセンターでの打ち合わせで、フローリングの床は剥がさないことを、確認した。

今日の場所は、国道6号線の外側。 
どこの家も、1.5㍍の程の床上浸水。
ところが、無傷の新しい家があった。 ガラスも割れてない。
  ※ 家の周りの土は、一部持って行かれたが。
荷物を出した様子はないと、作業した家の人が教えてくれた。

きっと、強化ガラスを使っていると思った。
  ※ スコップでたたいても、簡単に割れない強さ。

依頼された家の作業は、畳の下の板剥がしから、始まった。 
板は、再度使うと言うことで、釘を抜いた。 午前中では、終わらなかった。

下の写真は、昼休みに撮影。  (撮る時は、家の人に話してから)
泥の下は砂利だった。
水が抜けたため、泥は粘土のようになっていて、剥がして取った。 泥の厚さは、5㌢程。 楽な作業。 

泥の中から、死んだヘビが出てきた。 一番多いのは、魚。

11年4月27日 (2)

広くはないが、フローリングの部分があった。
その部分の泥はどうしようか、男の人達で話していた。
  ※ 今日は、本部の人が、たまたま午前中だけ手伝いに来た。 その人を中心に相談。
そうしたら、女の人達がもぐって、ぱっぱと取り始めた。
暗いから、懐中電灯を持って。

下の写真が、その3人。 白石など、近くの町から来た。 両側の人はお友達。
3人とも明るく、そして、たくましかった。
津軽の岩木山で出会った女の人達に似ている、と感じた。(山の一番下から登って来ていた)
                             ※ 関連ブログ  岩木山に登りました。~山頂の風は 爽やかでした~
11年4月27日 (1)
                         ※ 上の写真、ブログに載せることは、話してある。
板を剥がしての泥出しは、3時半までには、全部終わった。
あるボランティアの人が言った。
「奥さまの表情が変わったね」って。

下の写真の真ん中の人が、その人。
家の中をどうしようか、途方に暮れていた。 これで、少し見通しが付いた。
※ 奥さまは、11日は車で逃げた。 2日間、車の中で暮らしたと話してくれた。

この後、本部に戻る。

11年4月27日 (3)

本部から来た人に、下のことを話しておいた。
フローリングは剥がさないと依頼者に話したら、潜って泥を取ってほしいと、要求される場合も出てくる。
その時、どの程度までなら作業するのか、決めておいた方がいいと。

床下の泥出し作業を望む家は、全ての家。 
でも、ボランティアが対応してるのは、ほんの一部。 
ボランティアがやってくれるとは、ほとんどの家は知らない。
  ※ 対応しきれないということもあって、積極的な宣伝はしないボランティアセンターが多い。
 
亘理町災害ボランティアセンターの正面。  ※ 普段は、武道館だったかな。

11年4月27日 (6)

中の一部。

11年4月27日 (5)

県外からが、圧倒的に多い。 
その日作業する人の3分の1は、新しく来た人。
5月に入ったら、県外の人を新規に受け付けるのは、やめるそう。
ボランティアの活動の規模を、縮小していくと思われる。

11年4月27日 (4)

東北の女性は、爽やかで、たくましい。 その姿を再び見た。
今日は、そんな一日だった。

明日は、福島県の最北の町、相馬市に移動します。 ※ 正確には、最北に近いかな。

【その他】 4月27日、モスクワで開催されているフィギュアスケート世界選手権の開会式で、
      東日本大震災の犠牲者を追悼するため、リンク上に日の丸が映し出された。(2011年 ロイター/Denis Sinyakov)

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真央ちゃん達も、公開練習をした。 キム・ヨナの、インタビューもある。



キム・ヨナのフリーの曲は、「アリラン」。 ショートプログラムは、29日です。



パトリック・チャンです。 最初のジャンプが4回転・3回転。 中間にトリプルアクセルが。 解説はルーマニア語。
    Patrick Chan SP - 2011 Worlds (World Record 93.02 pts)


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究極の災害ボランティアの仕事は何でしょう。
それは、床下の泥出しかもしれません。

最近、福島県知事の怒り方は、パフォーマンスかなと思っています。
自分に火の粉がかかるのを防ぐために。


ここの場所は、国道6号線の海側。 
だから、家の痛み方が大きい。 流されてる家もある。

今日は、この家の床下の泥出し。

11年4月26日 (1)

床を剥がして、泥の上の水をすくい取った所。 水は、泥の上10㌢くらいあった。
右隣は、床がフローリングだったので、剥がすのは大変だった。 道具は、バールだけ。
泥と言っても何でも混ざっている。 トイレは、水洗とは限らない。

11年4月26日 (3)

スコップでバケツに入れるんだが、はねる。 頭や顔にも飛んでくる。
8人くらいでの作業。 女の人が2人。 みんな泥だらけ。

床下の泥出し作業は、ボランティアの仕事にはしてない市町もある。
そのくらい、少し大変。
亘理町は、他と違って、ボランティアセンターの人は、責任者として現場の作業には来ない。
もし来てたら、道具は何が必要なのか、事前に水抜きしてたら作業がしやすいなど、分かる。
            ※ 水抜きは、コンクリートに穴を開ける。 これは、業者。
何だかんだ云いながら、上の写真の部分の8割は、泥出しが終わった。
※ でも、向こうとこっちに、戸は無いので、雨が降ったら、また水が入る。

ボランティアの人は、与えられた条件で仕事はするが、仕事をし易くすることが必要かなと感じた。
  ※ 中身を整理して、意見として伝える予定。

水道の配管工事をしていた。 
橋の上の隅っこに、配管があった。 とりあえずここに、ということで。

11年4月26日 (2)


福島原発が津波による電源喪失の可能性を指摘された時、福島県知事は特別な対策をせず、原発の稼働を認めた。
前の知事は許可しなかったけど、佐藤知事はプルサーマルを許可した。
交付金60億円が、福島県に入った。

徹底的に東電を攻撃するのは、自分が攻撃されるのを防ぐためのように見える。
福島原発の事故の、福島県民に対する責任は、佐藤知事にもある。
また、知事は、茨城県・宮城県・栃木県・山形県にも謝らなければならない。

国にも責任はあるから、東電・国・福島県知事は、同じ穴のムジナ、ということかな。
佐藤知事は、いつまでも、被害者の顔はできない。

【その他 1】 一昨日、地元の人に聞いた話。
       たくさんの家が、泥棒に入られた。 2~3回入られた家もいっぱいある。
       日本は、そんなにほめられた国ではない。

【その他 2】 今週末には、福島県に入ります。
        どこにするか、調べています。 駐車場の関係を中心に。

        南相馬市は、テントや車での宿泊は、禁止にしているようだ。
        放射能の関係と思う。

        相馬市になるのかな。

キム・ヨナの公開練習の動画が見つかった。
ショートプログラムの雰囲気が、やっと分かった。



真央ちゃんの状態は、どうなんでしょう。
2人で、勝ったり負けたりが、一番面白いのかも知れない。



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ブログを元に戻します。
事情があって、1日遅れでした。 また、震災の動画も直接載せてませんでした。
※ 停泊場所については、もう少ししてからにします。

亘理町の災害ボランティアセンターの特徴は、道具が大量に置いてあること。
長靴やゴム手袋もある。

ボランティアに参加する人は、本来自分で用意しなければならない物は、たくさんある。
ボランティアセンターで用意しているということは、ボランティアの人たちに対する親切と考えていいですね。
亘理町が、どんな気持ちでボランティアの人たちを迎えているのか、気持ちが伝わってきます。

今日は、ここのお家。 手前に積まさっているようなゴミが、家の周りにいっぱいある。
それを、道路脇に出す作業。

11年4月25日 (1)

ここの場所をやった。 一輪車に積んで、こっちに運ぶ。

11年4月25日 (6)

家の人は、水田を元に戻すには、5年はかかると言った。

この家は、床上浸水したが、家は流されなかった。
その理由が分かった。

少し海側に、国道6号線が走っている。 堤防のように高い所に道はある。
津波は、国道を乗り越えてはいなかった。 橋の下などの、隙間を通って来た。
勢いが弱まっていた。
三陸の方の、斜面を上る津波ではなかった。

昼は、家の中で食事をした。
この小さなストーブで、ほんのりと温かくなる。 電気は、いらない。

11年4月25日 (2)

午後から雷が鳴って、雨が降って来た。 仕事は、本部の判断で中止になった。

今後どんな町づくりをするのか。
その案が、宮城県から発表された。

これをたたき台にして、完成させていけばいい。
津波の研究者の声は、参考程度に聞けばいい。 被災者の知恵を集めれば、それで十分。
子供がいる住宅は、どれも、高台になっている。   

11年4月25日 (3)

※ 詳しくは下に(読売新聞)

hukkouannkoui8789.jpg

大川小は、まだ9名が見つかっていない。 保護者はあきらめきれない。 こうやって、田んぼで探す。

11年4月25日 (5)

動画akkamui「大川小への道」



29日からかな。 世界選手権が始まりますね。 

11年4月25日 (4)

読売新聞の記事です。 仕上がりは、順調のようです。

  キム・ヨナ1年1か月ぶり登場、完璧な演技披露   読売新聞 4月25日(月)9時58分配信

【モスクワ=若水浩】
   25日に開幕するフィギュアスケートの世界選手権を前に、公式練習が24日行われ、
   バンクーバー五輪女子金メダリストの金妍児(キムヨナ)(韓国)が、昨季の世界選手権以来、
   約1年1か月ぶりに競技会に登場した。

   曲をかけた演技では、完璧な内容を披露し、ブランクを全く感じさせなかった。

   練習序盤は、ダブルアクセル(2回転半ジャンプ)などジャンプの失敗が目立った金妍児だったが、
   徐々に調子を上げた。ショートプログラム(SP)で使用するバレエ曲「ジゼル」をかけた演技では、
   得意とする高さとスピードのある3回転―3回転の連続ジャンプを冒頭に決めた。
   その後も二つのジャンプを見事に成功させ、スピンやステップでも高い表現力を発揮した。

上の動画はない。 下のは、3月22日のもの。 ショートプログラム、ジゼルの練習。
新しい動きが、あります。              



【その他】 スーちゃん「最後の肉声」「被災者のお役に・・・」(11/04/25)(YoyTube)

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亘理町は床上浸水の家が多い。
家の中も外も、泥で埋まった。
今日は、庭の泥を取り除く作業だった。

毎日新聞のネットの記事に、笑顔の写真があった。
よく撮ったと思う。 少し紹介。

今日の作業は、下の写真の近くの家。
家の周りの泥を出して、庭にたくさんあった木を全部切った。

実は、後で分かったことだが、そこの家は取り壊すことになっていた。
ボランティア外の仕事だった。
※ チェックを通りぬけて、たまにこういう仕事もやってくる。

11年4月24日 (1)

上の写真の、正面の家の旦那さんが昼休みに、やって来た。 震災のことを話した。
この辺りでも、人は亡くなっていた。
水は、1階の途中まで来た。

地震後の行動は、人それぞれで、大きな差があったそう。
少し時間が過ぎても、いつもと違うと考えた人は、みな助かった。
ビニルハウスを見に行ったり、忘れものを取りに戻った人達は、流された。 ※ イチゴ作りがさかん。
知らない家の2階に逃げて助かった人も、たくさんいたと言う。

旦那さんも、自分の家の2階に逃げた。 おじいちゃんと一緒に。
夜は、ロウソクがなかったから、真っ暗。

雪交じりの夜だったから、寒かった。
おじいちゃんが、「電気毛布持ってこい」と言ったそうだ。
今は、それが、笑い話になっていると言った。
私は、これから、おじいちゃんが寒いと言った時は、「電気毛布持ってくるかい」と言えばいいね、と言った。

午前の作業で、一輪車やフォークが不足していた。
旦那さんは、好きなだけ使っていいと、貸してくれた。

※ 上の写真の手前が片付いているが、ここは重機できれいにした。
  費用は、50万円かかったと言った。

町の中には、小さな公園がある。 ここの桜は、散り始めた。 それでも、桜はいい。

11年4月24日 (2)

木によっては、まだ満開でないのもある。

11年4月24日 (3)

梅かな。  お地蔵さんは、海に向いている。

11年4月24日 (4)

毎日新聞のネットの記事です。  ※ 全体は、ここにあります。(いつかは、リンク切れに)

11歳。 岩手県山田町。 行方不明の祖母が、誕生日に買ってくれた、バスケットシューズ。 
お父さんが、水の中から取って来てくれた。 

11年4月24日 (9)

8歳。 岩手県大槌町。 昨年親戚からいただいた。 自宅の裏に流されてるのを、自分で見つけた。

11年4月24日 (8)

9歳~11歳。 岩手県大槌町。 ゲーム機とカード。 泥で汚れたのもある。

11年4月24日 (5)

12歳。 宮古市。 友達と一緒に写したプリクラ。

11年4月24日 (7)

74歳。 宮古市。 何もなくなった今、宝物は孫だけ、と。

11年4月24日 (6)

子供たちの笑顔には、力強さ、たくましさを感じます。
いい写真ですね。

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亘理町は、海際にある小さな町。
この町の観光地と呼べる貴重な所が、鳥の海。 そこを見て来た。

先日、アメリカのメディアの写真を載せた。
その中に、女川町の男の人の写真があった。 写真の説明には、息子さんを亡くしたとあった。
その後、この写真は、読売新聞で大きく取り扱われていたことを知った。(姉からのメールで)

今日のボランティアは、雨のため休み。 無くなった。 ※ 明日も。
夕方まで、のんびり過ごした。

鳥の海と阿武隈川河口。



亘理温泉、鳥の海。
近くには、海水浴場や公園もあった。

11年4月22日 (1)

鳥の海は、海水と真水が混ざっている。
向こうが海。

11年4月22日 (3)

内陸方面。

11年4月22日 (2)

4月と5月には、潮干狩りが行われる。
津波がなかったら、今頃は、家族みんなで楽しんでいる。 

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先日載せた、女川町の男の人の写真。
この写真について、詳しくは分からなかった。
姉からのメールで、調べてみたら、4月17日の読売新聞の夕刊で紹介されていた。

11年4月22日 (4)

(読売新聞記事)

   母と妻眠る道路脇「ごめんな」   ※ 息子さんも見つかっていない。

  母と妻の遺体が道路脇に放置されている。
  行政に収容を要請すると、「手が足りない」と断られた。
  東日本巨大地震で壊滅的な被害を受けた宮城県女川町。
  同町女川浜の無職平塚義勝さん(66)は、愛する人の亡がらを目前に、
  ただ手を合わせるしかない。

  地震が発生した11日午後、平塚さんは近所の知人宅にいた。
  慌てて自宅に戻ると、足の悪い母みのりさん(93)が、
  近くに住む妹に助け出され、自宅前の路上で椅子に座っていた。
  傍らには妻ヒロ子さん(61)がいた。「どうやって逃げようか」。
  そう考えていたところ、巨大な津波が襲ってきた。

  大量のがれきとともに、あっという間に約10メートル流された。
  しっかりとみのりさんの腕を脇に抱えていた。2人とも胸まで水につかり、
  がれきに体を挟まれた。
  「苦しい、苦しい」
  みのりさんはそううめき、しばらくして息を引き取った。

  「おばあさん、ごめんな」
  がれきの間から何とか脱出した平塚さんは、
  泣く泣くその場を離れ、町立病院に向かった。
  ヒロ子さんは見失っていた。

  翌日、現場に戻ると、
  がれきの下敷きになっているヒロ子さんを見つけた。
  がれきをノコギリで切り、遺体を引き出すと、
  地面に横たえて毛布を掛けた。
  みのりさんの遺体は、がれきのすき間から見えるが、外に出せない。
 
  平塚さんは今、身を寄せている町総合体育館から
  毎朝約15分歩いて現場に向かう。
  2人の遺体に手を合わせるためだ。
 
  「寒いだろう。冷たいだろう。
  きょうも出してあげられなくてごめんな。もう初七日なのに・・・」

  一緒に暮らしていた長男の勝さん(38)とは、まだ連絡がついていない。

こんなことが、現実にあった。
行政は、時にこういうことはあるんですね。
自分たちのやってる仕事が、被災者にどう評価されるより、別の所からの評価に重さを置く。

災害ボランティアセンターの動きを見ても、それを感じることはあった。
このことを指摘している報道機関はあった。

この写真を撮った記者は、この記事を書く位ですから、行政に対応を訴えていますね。


【今日の歌】  キャンディーズ 「わな」  軽快な所がいいですね。



【その他】  軍の関与認める判決確定 「沖縄ノート」訴訟

 

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亘理(わたり)町での1日目。
仕事は、アルバムの泥を落として、それなりの状態にする作業。

ここに、ボランティアセンターがある。 中央の黒い建物。  消防や警察や役場が近くに。

11年4月21日 (2)

仮設住宅の準備。 向こうの建物は、亘理高校。

11年4月21日 (3)

写真の作業は、少し南の、浜吉田と云う所の体育館。 今日は、寒い。

11年4月21日 (1)

南三陸での写真の作業と違って、アルバムの外と中の、泥を落とすだけ。
大量にあるので、それ以上のことは、無理。

県外からの人が多かった。
東京から電車とバスで来た人。
富山から軽自動車で来た人。 車の中で寝てる。
ワゴン車で、新潟から来た人。

短い人は、今日だけ。 長い人は、1週間。

ブラシやタオルで、泥を落とす。
もう1ヶ月以上経ってるので、濡れた写真は、だめになったのが多い。

そんな中で、古い白黒の写真は、しぶとかった。
多少の水では、やられていなかった。 

南三陸で聞いた話だけど、ある作家がこう言ったそう。(星新一だったかな)

写真や文章が、今の世の中に膨大にあるけど、1万年後そして10万年後には何が残るんだろうと。
写真が残ることはない。 印刷物も、インクが変質するので読めない。
CDやDVDの記録もだめなよう。 コンピューターを利用したのは、残らない。

残る物は、こうだそうですね。
風雨のない洞窟の中に描いた絵や、彫ったもの。
地面を掘った時は、上の物は、何が何だか分からなくて、下から出てくる焼き物など。

今の文化が作り上げた物は、何時かは、みんな消えてしまうのかな。


みんな仲良く仕事をして、終わった。 ※ 終了時刻は、3時半。

仕事は、責任者の云う方法でやる。
今日は、仕事の中身が複雑でないので、責任者は来なかった。

仲間で仕事をする時、意見がある時は、こうしたらどうですかと提案したら、うまく行く。
中には、こうして下さいと言う人がいる。
提案しないで、自分の正しさを熱心に説明する。

こういう人は、たまにいて、そんなのを見たら、「みんなに提案したら」と私はその人に云う。
提案の形を取らない限り、全体は気持ちよく動けない。
私がその人に従うことも、決してない。
一度だけ、あなたは責任者ですか、と言ったことがある。

いつもは、和気あいあいと仕事をする。
今日のような作業だと、おしゃべりをしながら。


水田は、どこも大変。 状況によって、元に戻す方法は違うようだ。

11年4月21日 (4)

① 汚泥がいっぱい入った時は、取り除かなければならない。
  混ざった部分も取るから、足りなくなった分、客土することになる。
                         (土木をしている人の話)
② 塩分の除き方は、こうだそう。(ネットの情報)
  水田に真水を入れて、代かきをする。 つまり、土を混ぜるのかな。
  その水を流す。 それを繰り返す。

地盤沈下も起こしている。
何年後に、再び米を作ることができるのでしょう。

※ 下の文は、オルタナ という組織の文です。 この組織については、詳しく分かっていません。
  参考になる部分があるので、載せます。

11年4月21日 (5)

【今日の歌】  キャンディーズ 「年下の男の子」  出だしのメロディーが好きです。



【2011.4.20 巨人脇谷の落球が誤審でアウトに 】  腹立つな~。(原監督は好きだけど、私は昔からアンチ巨人)
     試合後のインタビューで、「捕りましたよ。自分の中ではス­レスレのところでやってますから­。
     テレビの映りが悪い­んじゃないですか」と言った。 審判に従ったと言えばいいとこを。
     この誤審で、阪神の1勝は、巨人の1勝に変わった。



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動きました。
仙台市の南にある、亘理町です。
阿武隈川の河口にある町です。 ※ 東北では、2番目に長い川。 1番は、北上川。

御用文化人・学者のことを忘れないために、動画を一つ載せます。


釜石市、大船渡市、陸前高田市、南三陸町、そして、亘理町。
1週間の予定。
福島県だけ行かないのは・・・、と思うので、最後は相馬市。(福島原発から40㌔。20㌔圏内が「警戒区域」)
亘理町は、ここ。


前日、登米市で水や食料を買った。 晩は、少し南の、道の駅米山に停泊。
国道4号線を下った。 
     ※ 東松島市や塩釜の被災地は、市街地が続くので行かなかった。

桜が咲いていたので、手仕事屋きち兵衛さんの、「風の桜衣(はなごろも)」を聞きながら走った。
     ※ 動画で話す、諏訪湖のそばにある城は、高島城。 対岸にある観音堂は、小坂観音です。



今回、亘理町にしたのは、駐車場が用意されていたから。
亘理町の被害は、下に。 航空写真。

watarityoukkooio0980.jpg

被害の特徴は、広く津波が平地に侵入している。
壊れた家の他に、床上浸水の家が多い。
ボランティアの仕事は、泥出し作業が多いと思う。

被災地の動画は、ここに。

【動画akkamui】  東日本大震災 亘理町(1)(YouTube)
             東日本大震災 亘理町(2)(YouTube)  出てくる川は、阿武隈川です。 知らなかった。

亘理町は、桜が満開だった。 被災地の人達に、桜を楽しむ心の余裕はない。

sakura56378huikpp.jpg

青木と言う人は、こう言っています。
 ○ この人達の、化けの皮を剥(は)いで置かないと、また同じ不幸が起きる。
 ○ 御用文化人、御用学者、御用メディアを追放しなければならない。

全く同じように思います。



【徒然】  日ハムの斎藤が1勝した。 
      中田翔は、なかなか打てない。
      斉藤のところに行って、挨拶し、そして握手した。
      戻って来て、「吸い取りました」と、コーチか誰かに話した。
      次の日から、当たり出した。
      斉藤は、人に与えるくらい、何かを持っている。
      今年の日ハムは、いっそう爽やかなチームになってきた。

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仕事は、衣類の仕分け。
南三陸町は、今日が最後。

BOSTON.COM というサイトに、震災の写真があった。
アメリカのメディアが撮った写真が中心。 (日本人が撮ったのも、中にはある)
日本人の視点とは、少し違う感じがする。
※ 小さな被災地の写真は無い。

衣類の仕分けの場所は、志津川高校の体育館の2階。 1階は避難所。
陸前高田で行った、靴の仕分けと同じ。
大きさ別、男女別、上下に分ける。 明日、被災者がここに来て選ぶ。

DSC00347m234432445

BOSTON.COM に、震災の写真があることは、「エムズの片割れ」と云うサイトで知った。 ここのサイトは、よく見る。

ここに紹介したのは、BOSTON.COM の一部だが、人間が写ってる写真が多いように感じた。
何かを伝えたい、見る人の心に何かを訴えたい、そんな写真にも感じた。

日にちと場所がばらばらなので、それを紹介。

3月11日、名取市。                           3月12日、気仙沼市。
11年4月19日 (1)  11年4月19日 (2)

3月12日、宮城県。                           3月14日、陸前高田市。
11年4月19日 (3)  11年4月19日 (4)

3月12日、名取市。                           3月17日、女川町。 息子さんを亡くした。
11年4月19日 (5)  11年4月19日 (6)

震災後1ヶ月、石巻市。                          3月11日、名取市。
11年4月19日 (7)  11年4月19日 (8)

3月12日、南三陸町。                          3月12日、名取市。
11年4月19日 (9)  11年4月19日 (10)

3月12日、陸前高田市。                         3月15日。
11年4月19日 (11)  11年4月19日 (12)

3月14日、大槌町。                           3月13日、仙台上空でしょうか。
11年4月19日 (13)  11年4月19日 (14)

3月15日、石巻市。                           3月15日、大船渡市。
11年4月19日 (15)  11年4月19日 (16)

3月15日、南三陸町。                           3月16日、気仙沼市。
11年4月19日 (17)  11年4月19日 (18)

3月15日、大槌町。                           3月16日、南三陸町。 見つかったのかな。
11年4月19日 (19)  11年4月19日 (20)

3月13日、石巻市。                           3月17日、南三陸町。
11年4月19日 (21)  11年4月19日 (22)

3月14日、亘理町。                           3月16日、陸前高田市。
11年4月19日 (23)  11年4月19日 (24)

震災後1ヶ月、東松島市。                         3月16日、大槌町。
11年4月19日 (25)  11年4月19日 (26)

3月17日、釜石市。                           3月14日、石巻市。
11年4月19日 (27)  11年4月19日 (28)

3月11日、いわき市。                          3月18日、大船渡市。
11年4月19日 (29)  11年4月19日 (30)

3月17日、陸前高田市。                         いわき市。         
11年4月19日 (31)  11年4月19日 (32)

3月15日、陸前高田。                          3月11日、福島
11年4月19日 (33)  11年4月19日 (34)

3月14日、宮古市。お母さんと息子さんを亡くしたよう。          3月14日、南三陸町。
11年4月19日 (35)  11年4月19日 (36)

3月12日、仙台市。                           3月12日、宮城県。
11年4月19日 (37)  11年4月19日 (38)

3月14日、大槌町。                           3月18日、宮城県。
11年4月19日 (39)  11年4月19日 (40)

3月14日、陸前高田市。                         3月18日、陸前高田市。 この町の被害は、想像を絶する。
11年4月19日 (41)  11年4月19日 (42)

3月12日、南三陸町。                          3月13日、郡山市。
11年4月19日 (43)  11年4月19日 (44)

3月12日、気仙沼市。                          3月14日、南三陸町。
11年4月19日 (45)  11年4月19日 (46)

3月11日、名取市。                           3月15日、大船渡市。
11年4月19日 (47)  11年4月19日 (48)

3月14日、女川町。
11年4月19日 (49)

言葉でも、動画でも伝えられないものが、写真で伝わってきますね。
これが、写真の力でしょうか。

女川町の男の人や、立ち上がれない女の人の立場に自分がなったら、どう生きて行けばいいか、分からない。
4月20日現在、死者と行方不明者の数は、27817人。
今回の震災は、これだけの人が亡くなった一つの災害ではない。
人が津波に流されて起きた悲惨な事故等が、27817の数だけある。
東日本大震災は、そういう災害だったでしょうか。

女川町の写真の男の人と、いつか話せるときがあったら、話してみたい。
※ その人の名前は分かっています。

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午前中は、物資の運搬。
5月から授業が始まるので、そのために物を移動。

午後は、地域の人に、食料を中心とした物を渡す仕事。
たくさん話を聞くことができた。

私はテレビを見てないので知らなかったが、3月25日の朝生の番組を、YouTubeで見た。
知ってる人が多いと思うが、載せます。
評論家や学者にはひどいのがいると思っていた。 ブログにも書いて来た。
そいつらの、本当の姿が、分かりやすく出ている。 呆(あき)れた。
 

下の写真は、物資が届いた所。  ※ 荷物の動きが遅くなった時、撮らせてもらった。

11年4月18日 (1)

この後、各避難所の人や地域の人が、食料を中心に、受け取りに来た。
※ 歌津町は、電気も水もまだ。
※ 地域の名前は、動画を撮りに行っていたので、知っていた。

みんな軽トラなどの車で来る。 必要な物を紙に書いて、係りに渡す。
係りの人が、それを一つ一つ言っていく。
物は、「コロ」のような上を転がってこっちに来る。 中にもたくさん人がいる。
私は最後の場所にいて、車の荷台にいる人に物を渡した。
避難所の人も手伝っていた。 ※ 家の流されなかった人も。

受け取りに来た人が、言ったこと。

○ 今日は、野菜が多いね。
  ※ 野菜は、以前は少なかった。 野菜があると、美味しいもの作れるねと、私は言った。

○ 酒あるのか?
  ※ 私が、ここには酒はないんだろうか、って言った時に、飛びつくように男の人が叫んだ。
  ※ 酒は無かった。 地震の後、ずっと飲んでないと言った。

○ ストーブがもらえて、うれしい。
  ※ 薪を燃やす、鉄板で出来たストーブを受け取った。 煙突も。
  ※ 薪は、裏山にいくらでもあると言った。 被災地の瓦礫の木を燃やす発想ではない。
  ※ カセットコンロを使ってる人が多い。 ストーブは、火力がある。

○ おやつだ。 子供喜ぶ。
  ※ チョコレートなどの子どものおやつは、十分にはない。

○ 男の人には、分からないべな。
  ※ 紙に書いた品物の中には、そういうのもある。
    聞く方は、何とか理解して、品物を探していた。

こんな話をしながら、仕事は続いた。
電気と水が復旧するまで、品物は配給されても、生活は大変。

下のニュースがあった。
これは、陸前高田市気仙町の話し。

11年4月18日 (2)

陸前高田市で、下の話をした人が、気仙町の人だった。
花見をすると言っていた。
みんなに会えるから、楽しみだとも。

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下の動画が、3月25日の朝生。
原発を擁護する人間を、よくこれだけ集めた。 
11日から2週間過ぎた時点で、どんな目的で、この番組を作ったのか。
出席者の中で、4人は特にひどい。 

後半に入って、青木 理(おさむ)と云う人が、解説をしている。



参加者は12名程で、特に下記の4人が、よくしゃべっている。  (この動画は、全体でなく一部)

勝間和代(経済評論家)
池田信夫(経済学者、NHK報道局出身、上武大学大学院教授)
藤城俊夫(元日本原子力研究所大洗研究所長)
堀江貴文(元ライブドア社長)

主な発言  
○ 勝間和代
   「放射性物質が、実際よりかなり怖いと思われていることに、問題があるのではないか」
   「チェルノブイリの事故で小児甲状腺ガンは顕著に10倍ぐらい増えたが、それ以外の病気はクリアに見えてこない」
   「今回の原子力についても、じゃ、死者が出ましたかということについて、津波の死者に比べて全然、
    これ較べていいのかどうか分かりませんけれども、やはりそのなんというんでしょう、報道のされ具合
    と死者の多さというのが、バランスが悪いと考えています」
   「自然界にかなり放射性物質が普通にあって、それがちょっと増える話なのに、それが元々普通にあること
    さえ、みんな知らない。」 

  ※ 甲状腺癌は、多くの大人にもあった。 それは、資料が発表されている。
  ※ プロジェクトX 挑戦者たち チェルノブイリの傷 奇跡のメス(YouTube)  
                  最初は、CM。 以前載せています。 長いです。 いい話。  

○ 池田信夫   リスクゼロの部分、他。
○ 藤城俊夫   これをいい教訓にの部分、他。
○ 堀江貴文   いつも、尻馬に乗って発言。

勝間和代は、中部電力のCM に出ている。(震災後、CM は消えた)
池田信夫は、原発業界の御用学者。
藤代俊夫と云う人は、現在の原子力施設の安全規制や防災対策に係わる基準・指針等を作った、中心人物。

どうして、こういう人間が生まれるのか。
理由は、下のようです。
  ※ 出典は、「金と権力で隠される東電の闇――マスコミ支配の実態と御用メディア&文化人の大罪」(『別冊宝島』1752号) 新しいです。

 「原子力・電力業界がメディアに流している金は、年間2,000億円に迫る。
  現在、広告出稿量第1位のパナソニックが771億円、強大な広告圧力でメディアから恐れられているトヨタが
  507億円だから、この金額がいかに大きいものであるかがよくわかるだろう」

お金は、億単位で大学にも流れる。
ただし、原発擁護の学者がいなければ、お金は行かない。
池田信夫のような学者は、お金を外から持ってくる者として、大学から重宝される。

雑誌とかに、原発擁護の文を載せれば、原稿料は100万単位。
東電の給与は、40歳で約758万。  ※ 日本人の40歳の平均は、500万に届かない。 
原発の利権に群がる、特殊法人の団体は、原子力安全委員会など20以上ある。 役所の幹部は、ここに天下り。

原子力発電は、どれだけ儲かるのか、予想が付かない。
儲けた金は、自分たちの懐に入った。
でも、事故処理には、どれだけ税金が使われるか分からない。

朝生に出た人達は、福島県の人達の辛い思いは、全く理解していない。
勝間和代は、反省文を発表した。
読んでみたが、本人の本心は、何も変わっていない。

今回の福島原発の事故の責任は、東電と一緒に儲け、東電を甘やかせた、上のバカ共らにもある。

3月25日の朝生の顔ぶれは、忘れないようにします。

            (上の文の出典は全て書いていませんが、ネットで調べた資料の情報です) 

【その他】 南三陸町でのボランティアは、明日(19日)で終わります。
      明後日の20日に、仙台市の南にある、亘理(わたり)町に行きます。
      そこに1週間ほどいて、最後は、福島県の相馬市です。

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南三陸町に来たのは、歌津を知っていたから。
一昨年の10月16日、歌津にある魚竜館を見た。 そして、安くて美味しい刺身定食を食べた。

下の3枚の写真は、一昨年撮影。
右に、歌津の港がある。 豊かな海に見える。

20091006211653a9dm.jpg

魚竜館。 うたつ魚竜の化石が発見された。

20091006211832377m.jpg

お代わり自由で、500円。 地元の人も食べに来ていた。

20091006211746c06k.jpg


仕事は、歌津中学校で。 ※ そこは、避難所になっている。
左下に小学校。

11年4月17日 (8)

小学校。 グランドに津波は来た。 此処に避難した人は、中学校のグランドに逃げた。

11年4月17日 (9)

小学校のグランドから下を見た。 45号線の道は、落ちている。
魚竜館は、左の方にあって、見えない。

11年4月17日 (5)

※ 上の写真の下を走ってる動画(YouTube)

桜が咲き始めている。

11年4月17日 (6)

仕事は荷物の運搬。 この箱には、毛布が10枚。
最初手で運んでいたが、途中から、軽トラで運んだ。 通りかかった車に頼んで。
リヤカーや台車も使った。 私は台車で。  ボランティアの人は、20人以上いた。

リヤカーや台車は、仕事を見てた人が、どこからか持ってきた。
軽トラは、もう1台増えた。 箱は、200か300はあった。

11年4月17日 (3)

魚竜の湯。 男女、1日交代。

11年4月17日 (2)

これで、お湯を沸かしていた。 燃やしている物は、バイオマスとか言っていた。

11年4月17日 (7)

どこの被災地にも、放送局が来ている。
  ※ 外国のメディアも、時々見る。 
    先日、2人が最後まで避難を叫んだ防災対策庁舎で、ドイツのラジオ局のインタビューを受けた。
    さっきの女の人と何を話していたんですか、と聞かれた。
    途中まで話したら、もう一度お願いしますと、最初から録音を始めた。 ブログに書いたことを話した。

11年4月17日 (4)

【その他】

ボランティアセンターの様子。 マッサージのボランティア。 
いつも話しかけていた。 ある女の人は、眠れないと言った。
  ※ 私は、いつでも、どこでも、どんなにうるさくても寝れる。 もしお酒を飲んだら、あっと言う間に。
    最近は、晩に少し寝ないと、ブログは書けない。 少しと思って、ずっと寝ることも。
    早朝、起きてることが多い。
 終わった人は、みんな笑顔で帰った。

11年4月17日 (1)

ここで数日前まで行われていた、写真の作業のニュース。 

11年4月17日 (10)

学校の開始は、5月から。
昼間、グランドでは、子供たちが遊んでいる。 いい風景。

学校は、ここのように、高台に建てるのがいい。 万が一の時は、避難所になる。  

【本吉町・南三陸町・女川町・石巻市の、動画を撮った地域】
○ 本吉町
   大谷   赤牛   蔵内   小浜   陸前小泉 
○ 南三陸町 
   市街地   平磯   戸倉(1)  戸倉(2)  歌津清水(しず)浜    歌津市街地(1)   歌津市街地(2)
   歌津板橋   歌津大沼辺り  歌津田の浦  歌津馬場  歌津石浜  歌津北の浜  歌津田茂川  歌津陸前港
   歌津(市街地から田の浦へ)  戸倉三戸辺   戸倉津の家    戸倉長清水(しず) 
○ 女川町
   指が浜   御前浜   御前浜(続き)  市街地   市街地続き    高浜1   高浜2   横浦   野々浜  道の様子
   飯子浜 
○ 石巻市
   北上町十三浜小指(こざし)   北上町十三浜 相川(?)   市北上町十三浜 大室    北上町十三浜白浜  
   北上町十三浜長塩谷(ながしおや)   北上町十三浜月浜    北上町北上中近く    北上町女川二丁谷地 
   大川小学校へ  釜谷    雄勝町(おがつちょう)1   雄勝町2    雄勝町雄勝呉壺唐桑    雄勝町水浜
   守磯浜   前網浜  小積浜(こづみはま)  小網倉浜    大原浜・給分浜 辺り   八成浜(くぐなりはま)
   鮎川浜1   鮎川浜2   荻浜    桃浦1    桃浦2   渡波 佐須   市街地(R398を東から。少しだけ)

動画を見てくれてる人は、いる。
釜石市の鵜住居(うのすまい)の動画は特に多く、アクセス数が、27000を越えていた。

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牡鹿(おしか)半島を走った。 先に、金華山があった。  ※ おじか、と読んでもよさそう。
動画を撮るために行った。
       ※ YouTubeに載せ終わっています。

女川発電所のある場所は、半島の右上の方の、塚浜と書いてある所です。



女川町に入ると、道の痛みが激しくなった。
  ※ 下の動画の後半の部分は、原因は、津波かもしれない。 はっきりしない。



道は傷んでいても、半島の中は、どこも片側一車線。 発電所があるためと思う。

ここは、半島の先の方にあった、展望台。 大きな地割れが、いたる所にあった。

11年4月 16日 (1)

公園があったが閉鎖。
今日は土曜で天気もいいから、もし地震がなかったら、きっと賑わっていた。

11年4月 16日 (2)

半島の左の、2つの島が見える。 右に、鮎川港がある。 
海全体は、石巻湾。 湾の向こうには、松島や仙台がある。
牡鹿半島は、リアス式海岸の最南端でしょうか。 風景がいい。

11年4月 16日 (3)

手前の湾の右奥に、鮎川港。

11年4月 16日 (4)

※ 東日本大震災 鮎川浜(動画)

先日も見たホバークラフトが、爆音を轟かせて、港を出て行った。

11年4月 16日 (5)

金華山。 
島全体が、黄金山神社の神域。 恐山出羽三山と並ぶ「奥州三霊場」だそう。  ※ 出羽三山の写真は、湯殿山。
「三年続けてお参りすれば一生お金に困ることはない」という言い伝えがあるので、いつか行ってみたい。

11年4月 16日 (6)

地震があってから、お寺や神社に行ってないが、どこも大変でしょうね。

11年4月 16日 (7)

一ノ鳥居というのが、あった。
昔は、この近くの浜から、金華山に行った。 女の人は、ここでお終い。

11年4月 16日 (10)

11年4月 16日 (9)

金華山に行くのは、現在は鮎川港からフェリーで。 今度来た時は、渡って、山に上りますね。

南三陸町から出て女川町に行き、そして牡鹿半島へ、最後は塩釜市。
40数ヶ所で、動画を撮った。
動画をまとめて撮るのは、終わりました。 
今後は、宮城県の南の方を少し撮る予定です。

ドイツは、動きが速い。

11年4月 16日 (8)

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学校は、説明会を持ちました。
でも、保護者にとっては、多くの疑問と不満が残る内容でした。

橋がありますが、左の方は無くなっています。 橋の向こうに、大川小はありました。
北上川は、右が上流。 そっちの方へずっと走って、遠回りして向こうに。

11年4月15日 (1)

左の隅に、北上川が少し見える。

11年4月15日 (2)

大川小の位置。





子供たちと先生は、左の道に出ようとしたのかな。
後ろの方にいた子と先生が、右の山に逃げることができたので、学校からそんなに離れていないのではと思う。

11年4月15日 (3)

危険と判断し、行かなかった裏山。 

11年4月15日 (4)

20㍍ほど登れば、助かった。 子供にとって、この斜面は無理なのか。

11年4月15日 (5)

写真を撮ってる場所は、橋のたもと。 ここに、避難しようとした。

見つかったものが置いてあった。

11年4月15日 (6)

カバンも。

11年4月15日 (7)

4月9日に行われた、保護者説明会。 (産経ニュース)
ookawasyousetumeikai0908.jpg


校長の言葉には、矛盾点がいっぱいある。 
そのために保護者は、説明に満足できないし、学校に不信感を持つことになる。

今日は、下のことについて考えてみます。

① 多くの子どもが亡くなったのに、校長は想定外と考えているため、人ごとのように話している。
  でも、この大きさを想定していたことは、校長の言葉から分かる。

 校長は、裏山への道を作ることを、PTAに相談していた。 
 裏山への道が必要と考えていた。 でも、すぐには作っていない。

② 自分がいても変わりなかった、と言った。
  これは、変ですよ。

 誰がいても、津波が大きかったから助からなかった。 そう言いたげ。
 責任の回避が、うかがえる。

 この人は校長だから、校長としての責任ははっきりしなければならない、そう思う。
 校長は、一校を任されている。
 子供の命を守ることは、経営の基盤にあって、すべての教育活動は、その上に成り立っている。

 この校長には、そのことが頭にないため、言わなくてもいいことを言っている。
 また、思いつきで言ってることも多い。

③ こう言っている。
  震災前、大川小では津波に備え「高いところ」に逃げることになっていた。
  校舎2階か裏手にある山かどちらかに逃げればと考えていた。
  居た先生たちも悩んだはず。しかし、どちらも津波が襲った。  

 高い所と最後の部分、これも変ですよ。
 高い所への避難訓練は、していなかった。 そうとしか思えない。
 もししていたら、迷わず動けたはず。

 最後の部分については、裏山の低い所は、津波に襲われた、と云うことです。
 考えが、浅いと言うか、物事を整理して考えていない。 校長の資質として、問題を感じる。

④ 全員集まって行動するのは、とても時間がかかる。
  緊急時は各人の本能で、とはいっても難しいだろうし。

 釜石市の「津波はてんでんこ」を意識して言っている。
 これも、?

 何を言いたいんでしょうね。
 釜石市の方法は、一つの方法です。
 避難時における緻密な指導は、必ずあると思います。
 そうでなければ、子供は、自信を持って動けない。

④ 校長は、休暇を取って娘さんの卒業式に出席していた。
  仕方ないと言えば、仕方ない。
  ※ ただ、出席したくても出席できないのが、ほとんどの校長。 出席を見送る校長が多い。 それが、現実。
    卒業式は、午前中に終わる。 もし出席しても、学校が心配だから、すぐ戻ってくる。

大きな事故になった原因は何なのか、責任はどこにあるのか。
なぜ、防げなかったのか。
保護者の知りたいことは、そこだと思う。

ある保護者が、「ただ謝ってるだけ」と不満を言った。

将来に役立つ教訓を残すためにも、責任はどこにあるのか、それをはっきりさせなければならない。
そうしないと、再び、同じことが起きる。
また、なくなった子供達や先生方が、いっそうかわいそうだ。
保護者も、納得できない。

子供の命を守ることの方策が、今回、十分でなかった。
この校長の、交通安全や水の事故への対応にも、不安を感じる。
それでも、4月からも校長を続けている。

保護者は、安心して子供を通わせることの出来る学校を、望んでいるだけ。

※ 教育委員会は、校長に対して、職務上の上司にあたります。
  ですから、指導しなかった責任は、重いと言えます。

※ 今回の件については、裁判になりますね。 (保護者が、教育委員会と学校を訴える形)
  最終的には、そこで責任の所在が明確になります。

【その他】

IMG_0487.jpg

女川町で。 この人達は、北海道の恵庭から来ていた。 戻る日は決まってないと言った。

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私が話を聞けたのは、一人の女性だった。
防災無線のあった防災庁舎の周りで、何かを探していた。
「この庁舎で、どなたか亡くなったんですか」と聞いた。

この庁舎で、旦那様が、防災無線で避難を呼びかけたと言った。
奥様は、その声を歌津で聞いた。
旦那様は、まだ見つかっていない。

何があったか、詳しく教えてくれた。
それは、自分がネットで知ったこととは、違っていた。

※ 次の14日、私は地元と歌津の人達十数人に、当日の放送について聞いた。
  また、地元の新聞を中心に、調べてみた。(地元の人が、載ってることを教えてくれた)
  その結果、奥さまが話してくれたことの確認ができた。


南三陸町の防災無線で、地震直後から、津波に飲み込まれるまで、避難を呼びかけた女性がいた。
遠藤未来さん。 命をかけた放送だった。
テレビ、新聞、ネット上で大きな話題になっている。

新しい情報が入ったので、正確には何があったのか、それを調べてみた。

下の記事は、産経新聞。
安藤未希産経新聞


2安藤未希 産経新聞 

毎日新聞。
anndoumikikkoop09800.jpg

防災無線は、役場の別館で、防災対策庁舎。 北側にある。 
  ※ 右の荒沢神社の近くに車を置いて、海沿いを通って、中心街に向かった。 4時半頃、スタート。
  ※ 途中で、防災対策庁舎の場所を聞いた。 その人は、車で連れて行ってくれた。
    運転しながら、色々話してくれた。
    当日、車で逃げた。 もう少しと云う時、車がふわっと浮いたと言う。 でも、なんとか脱出した。


この建物が、防災対策庁舎。 防災無線の放送室は2階。 役場の庁舎は隣にあったが、なくなった。

11年4月13日 (10)

話してくれた人の旦那様は、南三陸町危機管理課課長補佐 三浦 毅さん。
防災無線の責任者。 遠藤未希さんの上司になる。

話してくれたことは、

 ○ 何か見つかるかと思って、いつも探しに来ている。
 ○ 別の場所で旦那さんの車が見つかった。(今日ではなく)
   今日は旦那様の誕生日。 
   車の所に、お酒と大好きなつまみを置いて来た。 手紙も。
 ○ 合併する前は、歌津町の役場にいた。 合併して、職場がここになった。
 ○ 新庁舎は丘の上に建つ話もあったが、結局この場所になった。
 ○ 奥さまは、遠藤未希さんと、一緒に踊りを習っていた。
 ○ 未来さんが流されて、もし上司の夫が生きていたら、それはそれで辛い。
 ○ 未来さんは、昨年4月にこの職場に来た。
   少し前休んでいて、先月の28日に復帰した。
 
防災無線の放送については、こう話してくれた。(助かった人から、聞いていた)

 ○ 津波が迫って来た最後の最後、未希さんを屋上に避難させた。(他にも少しの人がいて、その人達も)
 ○ 非常階段は、2階だけ部屋の中を通っている。
   下から来た屋上に避難する人が、三浦さんに避難を呼びかけた。
   三浦さんは、「あと1回」と言った。
 ○ 未希さんは、何人かと手をつないで、屋上でしゃがんでいたそう。(少し、はっきりしない部分も)
 ○ 1回目の波は直ぐにやって来た。
   屋上の多くの人が流された。 
   助かったの、非常階段を上がった所の踊り場にいた人達と、流されてそこに引っ掛かった人。(下に写真が)
   屋上の柵は壊れたが、階段の柵は丈夫だった。
    (後で知ったことだが、屋上には30人ほどがいて、流されなかったのは10人)
   未希さんは、10人の中にいなかった。
 ○ 奥さまは、放送は歌津で聞いていたが、途中で「ガガッ」って切れた。


上のことを確認するため、地元の人に話を聞いた。
 
 ・市街地側(志津川)は、未希さんの声を多く聞いている。
 ・歌津側の人は、三浦さんの声を多く聞いていた。 未希さんの声を聞いたと言う人も。
 ※ 防災無線の最初のうちは、市街地が未希さん、歌津は三浦さん、と分担していたと言う情報がある。 
 ・必死で避難したので、細かく記憶してない人が多かった。
 ・歌津で、ある人が、数日前の「河北新報」に書いてあると教えてくれた。

河北新報他、もう一度ネットで調べてみた。 下のようなのが見つかった。
三浦さんの記事は少ないが、あった。

河北新報(4月12日)
  「大津波警報が発令されました。高台に避難してください」
  防災無線の呼び掛けが、多くの命を救った。だが、声の主の行方は震災から1カ月たった今も知れない。

  3月11日午後2時46分、宮城県南三陸町の防災対策庁舎2階にある危機管理課。
  町職員遠藤未希さん(24)は放送室に駆け込み、防災無線のマイクを握った。
 「6メートルの津波が予想されます」「異常な潮の引き方です」「逃げてください」

  防災無線が30分も続いたころ、津波は庁舎に迫りつつあった。
 「もう駄目だ。避難しよう」。
  上司の指示で遠藤さんたちは、一斉に席を離れた。

  同僚は、遠藤さんが放送室から飛び出す姿を見ている。
  屋上へ逃げたはずだった。 
  が、津波の後、屋上で生存が確認された10人の中に遠藤さんはいなかった。

  南三陸町の住民約1万7700人のうち、半数近くが避難して命拾いした。
  遠藤さんは、多くの同僚とともに果たすべき職責を全うした。

※ 河北新報の全文
kahokusinnbunn  1   kahokusinnbunn 2

日経新聞(3月28日)
  「6㍍強の津波が予想されます。早く逃げてください」。
  地震直後、同町危機管理課課長補佐の三浦毅さん(51)は
  後輩に代わって防災無線のマイクに向かい、声を張り上げた。
 「もう逃げろ」と同僚が袖を引っ張ったが、
  毅さんは「あと1回だけ」と放送室を離れず、その後見えなくなった。

  ※ 上の文の「地震直後」は、「津波が来る直前」が正確ですね。
  
※ 日経新聞の全文

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これで、三浦さんの奥さまが話されたことは、間違いない。

未希さんは、津波が目の前に迫る中、マイクを放さなかった。
もし、三浦さんの指示がなかったら、動かなかったと思う。
未希さんの行動は、「最後まで避難を呼びかけた」の表現で、何も問題ない。

三浦さんは、未希さんが屋上に逃げる時間を、上司として与えた。
三浦さん自身も、津波が建物を壊し始めた時は、屋上に向かおうとしたかも知れない。
でも、もう間に合わなかった。 ぎりぎりまで、避難を呼びかけた。
1回でも多く呼びかければ、助かる人が増えることを、知っていた。

防災庁舎。

11年4月13日 (13)

お花があった。 多くの人が来て、手を合わせている。

11年4月13日 (12)

放送室は、2階。  屋上の柵は、壊れた。

11年4月13日 (11)

非常階段の屋上の踊り場。 この柵が、10名の命を救った。

11年4月13日 (14)

屋上で助かった、町長さんの話し。(産経ニュース 3月15日)

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別方向から。 手前に、役場の建物の基礎が見える。

11年4月13日 (15)

奥さまからお話しを聞いた後、車まで送ると言っていただいたが、写真を撮りながら帰ります、と云って別れた。

これで、最後まで防災無線で叫び続けた人は、2人いたことが分かった。
南三陸町の人達は、いつまでも、2人のことを忘れることはないでしょうね。

防災対策庁舎は、広島の原爆ドームのように、保存する計画があるそうです。
どんな意味を持たせたらいいでしょう。
辛い思いはしたけど、助け合って復興を果たす。 それを願う、また祈念する。
こんなのも、ありますね。

この件に関しては、終わりです。

 
【今日の歌】 一人の手 (本田路津子)

       宮城県の山元町に、200人が避難している坂本中学校がある。
       その中に12名の中浜小学校の子供達がいる。
       本間裕子先生のアコーディオン伴奏で、 毎朝唄ってる。 (姉が教えてくれた)
 ※ 画面をクリックしたら、YouTubeに行きます。(貼り付けられない)

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【その他】  

夕方、こんな道を、中心街に向かった。 
被災した場所を写さなかったら、どこもこんな風景。  三陸は、美しい。

11年4月13日 (1)

津波のことを、油断していたわけではなかった。

11年4月13日 (2)

港には、たくさんの船が沈んでいる。

11年4月13日 (3)

養殖の生簀(いけす)が、からまっている。

11年4月13日 (4)

様似は、北海道の日高にあります。 サケが入っていたのか。

11年4月13日 (5)

誰かが、こうした。

11年4月13日 (6)

やっと温かくなってきた。 明日も晴れそうです。

11年4月13日 (7)

津波は、山の高さで襲ってきた。

11年4月13日 (8)

海と共に生きてきた。

11年4月13日 (9)

チリ地震津波水位の標識。 どこかから、流れてきた。

11年4月13日 (16)

11年4月13日 (17)

日が沈みかける中、戻った。

11年4月13日 (18)

※ 今日のボランティアも写真でした。

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○「6メートルの津波がきます。避難してください」 
    この町のこと。
    11日、宮城県南三陸町の防災放送担当の職員、遠藤未希さん(24)は、津波にのまれるまで、
    防災対策庁舎2階で訴え続けた。 最後は声が震えていた。 (産経新聞)

昨日書いた記事。
上のことは、テレビ・新聞・ネット等で、大きく取り扱われている。
情報の出所は、産経新聞。 だから、膨大にあるネットの情報は、みな同じ。

ところが、私が地元で聞いた話しは、少し違った。
それで、調べている。
  ※ どんなことがあっても、未希さんの名誉は、大丈夫。 そのことは、分かっている。

防災放送を、もう一人の人もしていた。
その人が、どこでしていたかが、はっきりしない。
それが確認できれば、すべて解決します。

産経新聞が言ってる通りの可能性は、半分でしょうか。
地元の人に、もう少し確認する必要があります。

※ 被災地を歩いていて、ある人にお会いしました。 そして、話を聞くことができました。
  未希さんを、とてもよく知ってる人でした。
  誰かは、言わない方が、楽しみが残りますね。


ボランティアの仕事は、アルバムから写真を取り出す作業。
アルバムは、泥だらけ。
1枚1枚 外して、干す。 この後、土を取るなどもある。
  ※ 写真の内容については、口外出来ない。
写真を1枚1枚見ていたら、その人の人生が、見えてくる。 
写真が本人に渡れば、その人は生きていたことになる。 それを、誰もが願って作業した。

津波は、思い出もみんな流した。 流された思い出を、取り戻す作業。
アルバムは、被災地で、「思い出を探し隊」の人達が、見つけてくる。
  ※ 重機で作業している人も、集めてくれている。

11年4月12日 (2)


道の駅津山の話をすることになっていましたね。
メモを取ってないし、酒も飲んだので、大分忘れた。 こんな感じです。

津波の後、停電になった。 海の方から十数人、行く所がなくて、やってきた。
道の駅の営業はストップ。 その人達の面倒を見ることに。

話を聞かせてくれたのは、道の駅の、食堂。
手打ち蕎麦があるというので、入った。
調理は奥さまに任せて、旦那さんは、のんびり。
私の「地震大変だったね」を皮きりに、話はどんどん進んだ。

被災者のことで、一番大変な食べ物は、食堂にある物を使った。
そのうち、地域の人達が、野菜やコメを持ってきてくれた。
一生懸命やってる人を助けると言うのは、陸前高田の、あのお風呂と同じ。
被災者は、いつも、暖かいものを食べることが出来た。

ここの避難所には、特徴があった。
朝起きる時間や、寝る時間をみんなで決めたそう。
ボ~ッと過ごすことはやめて、昼間は、生活のためにみんなで何かをしていた。
例えば、水道は出ないから、トイレに使う水を、川から汲んでくるとか。

食べ物に余裕が出たら、おにぎりなどを作って、他の避難所に届けた。

この道の駅は、支援団体の前進基地のようになっている。
ある団体が支援を終わって帰る時、余ったものだけどと云って、置いて行った。
でも、ローテーションで、次のグループがが来る時は、初めから食材等を、届けてくれたそう。

南三陸町まで、ここは10㌔ない。
でも、11日の次の日の情報は、100人くらい流されたようだ、
そういうレベルだったそう。 情報は全く入らなかった。

途中から、旦那さんと酒を飲み始めた。
帰る時、奥さまは、お金はいらないと言った。
申し訳ないからと、少しだけ置いて来た。

私は、自立の話がいいなと思った。
被災地の人達が、自立に向けて動き出した時、ほんとうの復興が始まる、そうも思った。
※ その時、仕事や生活資金を支援するのが、政治でしょうか。

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昨日から、南三陸町に来た。
この町の被害は、陸前高田市に似ていた。
建物は津波に持っていかれ、無かった。 どんな街並みだったか、想像できない。
 ※  約5500世帯のうち、約8割の家屋が壊滅した。

役場の仮の庁舎や、災害ボランティアセンターは、市街地の北の丘の上にあった。
写真の奥の方には、自衛隊の車両が、たくさんあった。

11年4月11日 (1)

今日は一日、パソコンに、ボランティアに関わる情報を入力する仕事。(手書きの名簿の情報など)
 ※ この町は電気が復旧してないから、電気は発電機で。
プレハブの小屋の中での作業。 人とは、ほとんど話さなかった。
灯りはないので、手元が見えなくなった時、終わった。

ボランティアの人の中には、テントに泊まっている人がいる。
バイクで来た人、バスで来た人の中にも、テントの人が。

夜は寒いから、温かくするため、みんな工夫している。

11年4月11日 (2)

※ 12日の夜は、動画をYouTubeに載せるのに、朝までかかった。(21の動画)
  パソコンが作業している間、タイマーを30分とかにセットして寝た。 
            ※ ネットのスピードが速いと、ブログと同時にやれる。
  それで、ブログは朝から。  

11日の晩、道の駅で食事をした。
津波の後、そこは、避難所になった。
その時のことを、店の主人が、詳しく話してくれた。
いっしょに、少しのお酒を飲んだ。

ただ、まとめるのに時間がかかるので、明日の晩になります。

今日は、最近ネットで見つけていた、いい言葉だなと思うのを載せます。 忘れられない言葉も。

○「6メートルの津波がきます。避難してください」 
    この町のこと。
    11日、宮城県南三陸町の防災放送担当の職員、遠藤未希さん(24)は、津波にのまれるまで、
    防災対策庁舎2階で訴え続けた。 最後は声が震えていた。 (一度載せています)(産経新聞)

○「内陸に行け」
    仙台市の交差点で仙台南署の渡辺武彦警部(58)は警棒を振り回しながら避難誘導し、殉職した。
    この誘導で助かった会社員、鈴木和美さん(26)は今月5日、同署で涙ながらに誓った。
   「助けていただいた命。悔いのないよう生きていきたい」 (産経新聞)

○「寒いから、もう一枚服を羽織ってこいよ」
    津波が襲う直前、大槌町の加藤宏暉(こうき)町長は、役場の駐車場で対策会議を開こうとしていた。
    町長のこの言葉で、東梅政昭 副町長は庁舎内に服を取りに行った。
    その時津波は来た。 副町長は難を逃れた。 町長は遺体で見つかった。 (産経新聞)

○「めげてばかりはいられない」
    佐藤 南三陸町長の言葉。 一番上の女性の方と、津波の時同じ建物にいた。
    屋上に避難したが、直後に大波が襲ってきた。
    「自分の頭を超える波が、何回も行ったり来たりした」。
    金属製の階段の手すりにつかまり、必死に濁流に逆らった。
    津波が引くと、町は壊滅していた。
    建物に絡まった流木にライターで火を付けて暖を取り、励まし合いながら残された職員らとともに
    屋上で2晩を過ごした。 (産経新聞)

○「天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていくことが、私たちの­使命です」
    階上(はしかみ)中学校 卒業式の答辞。 ※ 卒業生代表 梶原裕太くん。
    全文は  
      階上(はしかみ)中学校と言えば防災教育と言われ、
      内外から高く­評価され十分な訓練もしていた私たちでした。
      しかし自然の猛威の前には人間の力はあまりにも無力で、
      私たちか­ら大切なものを容赦なく奪っていきました。

      天が与えた試練と言うには、むごすぎるものでした。
      辛くて悔しくてたまりません。
      しかし苦境にあっても、天を恨まず運命に耐え、
      助け合って生きて­いくことが、これからの私たちの使命です。

○「記者さん、ほら見て、空。 きれいな青空。 上だけ見れば、前と何にも変わらないんだから」
    宮城県女川町、26歳の女性。 。自宅を失い、夫の安否が不明。 (震災ノートの言葉より)

○ そう、花いっぱいの岩手にしましょう!
  みんなでたくさんの花を咲かせましょう!

  地球は生きているから地震もあるの。
  生きているから、お花も咲いてくれるの。
  お花いっぱいの岩手にしよう!

  たくさんのお花が風に揺れています。  (ブログ ドルチェだいあり~ さん)

ここまでにします。

今日は、地震が何度あったか分からない。
走っている時、地震が来た。 車はみんな停まった。 電信柱が大きく揺れた。 ※ 動画は失敗。

そうそう、大船渡市の越喜来(おきらい)診療所が、今日(11日)に再開したそうです。
  ※ 2日間、清掃に行っていた。 泥との格闘だった。


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                                                    (2008年4月~2010年9月までの記事)

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学校は安全と、保護者はみな思っていた。
しかし、108名のうち、56名が死亡、18名が行方不明。 助かったのは、34名。

なぜこうなったのか、その原因をはっきりさせないと、子供の命が大事にされない状態が続く。
そういうことで、考えてみます。

津波は、校舎の屋根を乗り越えた。

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その時、何が起きたかは、読売新聞の記事が詳しい。

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※ 車で帰った子が何人かは、はっきりしない。 この子たちは、助かっている。
※ 読売の記事も、今後修正されるかもしれないが。

① 地震発生、午後2時46分。 津波警報発令、2時49分。
  記事では2時49分にはグランドに出ているが、避難開始は、3時10分頃。
  グランドに、20分。 何があったのか。

 ・大きな揺れの後、直ぐ出たよう。
  1クラス約20人なので、2時50分にはグランドに集合して、人数の確認も終えている。
  無理のない時間。

 ・間もなく保護者がやってくる。 どんな対応だったのか。
  これは、避難訓練では起きないから、時間のロスがあったかもしれない。

 ・グランド自体が避難場所なので、更に上にという発想が生まれるのに、少しの時間がかかった可能性も。
  教頭はいたという記事もあるが、はっきりしない。
  全体を動かしたのは、誰なんだろう。
  決断に時間がかかったことも、考えられる。

② 学校の防災計画で、避難場所は決めてなかったのか。
  裏山に行かないで、橋に向かった。 そこを通って高い所に行こうと。
  襲われる直前、裏山に逃げて助かった子がいる。

 ・市の防災マニュアルには「高台に上る」。
  それを受けて、学校では、高台をどこにするかを決める。

 ・学校の防災計画には、それを決めていなかった可能性がある。
  もしそれが決まっていて、避難訓練で実際に訓練していたら、グランドで児童の人数の確認が終わった時、
  すぐに、そこに向かって出発する筈。
 
 ・結果的に、先生方が瞬時に動けなかった。 その責任は、校長にある。

 ・防災計画は、学校の経営の計画の中に必ずある。
  それは、教育委員会に提出される。
  教育委員会は、学校の管理を校長に任せているから、中身が不十分なら指導できる。
  でも、実際は、言われているように、教育委員会制度は形骸化されてる部分があり、校長に任せきりになっている。
  防災計画の部分だけ、消防に提出されるが、そこまでのチェックは少ない。

 ・遅くても、2時55分にグランドから動いていれば、どこに逃げても助かっていた。 高台なら。

③ どうして低い所に校舎を建てたのか。 だれも、疑問を持たなかったのか。

 ・ここは、北上川の河口から4㌔の所。 過去の地震でどうだったのか。
  学校を避難場所にしていたから、危険な場所と言う認識は少なかったかもしれない。

 ※ 津波予測がもっと進歩していたら、今回、どれだけの人々を救えたか分からない。
      (いつか来るかもしれない津波の、大きさの予測)
   昔の教訓の方が、ずっと役に立った。

④ 教頭また副校長の名前が出てこない。 児童数108名。 いるはずだが。

 ・いたという情報もあるが、はっきりしない。
  もしいたら、いざという時、校長に代わって動かなければならない。

⑤ 校長は休暇を取っていたが、地震直後から、どんな動きをしたのだろう。

 ・校長がどこで何してたかは、全て分かっています。
  ただ、道が寸断されていて、直ぐには戻れなかった。

 ※ 校長の頭の中には、「想定外」があるように感じる。
   自分の経営次第で、一人の犠牲者も出さずに済んだのに。
   教育委員会にも、同じものを感じる。 

裏山に倒木があって、と言うことで行かなかった。
でも、ある学校では、避難が間に合わないと、柵を無理やり越えさせた学校がある。
命を守るためには、多少の怪我は仕方ないと考えた。
臨機応変な発想と思う。

下の記事は、釜石でのこと。(北海道新聞)
どんなことがあっても、命だけは、と考えた。

  東日本大震災で1200人を超す死者と行方不明者を出した岩手県釜石市では、
  3千人近い小中学生のほとんどが無事に避難した。

  背景には、古くから津波に苦しめられてきた三陸地方の言い伝え「津波てんでんこ」
  (自分の責任で早く高台に逃げろの意味)に基づいた防災教育がある。

  釜石市北部の大槌湾を望む釜石東中学校(生徒数222人)は、同湾に流れ出る鵜住居(うのすまい)川から
  数十メートルしか離れていない。

  11日午後の地震発生時は、各教室で下校前のホームルームが行われていた。
  立っていられないほどの横揺れが生徒たちを襲った。
  1階にいた3年生の栗沢正太君(15)は避難口を確保しようと、とっさに窓を開け、机の下へ。

  揺れが一段落すると、担任教師が「逃げろ」と叫び、栗沢君が校庭に出ると、2、3階にいた1、2年生も
  非常階段を下りてきた。

  校庭に出た生徒たちは、教師の指示を待たず、高台に向かって走りだした。
  途中、同校に隣接した鵜住居小学校(児童数361人)の児童も合流。
  小学生の手を引く中学生の姿も目立ったという。

教師の決断の速さと生徒の行動は、見事と言っていい。

下は、越喜来(おきらい)小の避難状況。(岩手日報) 
    ※ この地域には、ボランティアで行った。 海に近い所に学校はあった。

  越喜来小は第1避難所に三陸駅、第2避難所に南区公民館を設定。
  通常は揺れが収まってから避難するが、今回はあまりにも揺れる時間が長すぎた。
  細心の注意を払いながら、揺れている間に避難を開始した。

  大津希梨さん(4年)は「大きな揺れのときにしゃがみ、小さい揺れのときに急ぎ足で逃げた。
  揺れが止まるのを待っていたら、波にのまれたかもしれない」と振り返る。

  大きな揺れに泣きだす子もいたが、昨年整備した県道との連絡通路などを使って避難。
  校舎を破壊する津波の猛威に危険を感じ、南区公民館からさらに背後の山に登らせた。

  遠藤耕生副校長は「津波到達まで30分ないと想定すると、揺れが収まってからでは間に合わないと思った。
  校舎が壊れることも考えた」と説明する。

上にある連絡通路は、ある議員さんの努力により生まれた。
2階から、高台に逃げることが出来る通路。
避難開始の判断が児童の命を救った。
  ※ 津波は、早いところでは、15分でやってきた。

okiraisyou112211.jpg

教育委員会と校長にだけ責任があるとは言わないが、被災後の姿勢を見ていると、
何が自分たちに足りなかったか、それに気づいていないように見える。
また、責任回避の姿勢も。

今後、校舎の場所も、防災計画も変わると思う。
でも、そのために払った犠牲は、余りにも大きすぎる。

【その他】 今日、ある所で見た、自衛隊のホバークラフト。

IMG_0417kkpp09088.jpg

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遠野市で、全ての用事を済ませ、陸前高田市に戻った。
道は、途中から、気仙川沿いになった。
一本橋があった。 それも、流れ橋。

石巻市立大川小の児童数は、108名。 津波に襲われた。
その内、56人が死亡、18人が行方不明。  助かったのは、34名。
また教諭については、11人のうち9人が死亡、1人が行方不明。
今日は、疑問だけを少し整理してみた。


一本橋を見たのは、住田町。 
この町にある鍾乳洞が、滝観洞(ろうかんどう)と白蓮洞(びゃくれんどう)ですね。


一本橋は、四国で見ていた。 似てる。

11年4月9日 (1)

説明には、江戸時代からあるとあった。 四国のと同じ、流れ橋。
流れても、ワイヤーが付いてるので、どこまでも流されない。

11年4月9日 (2)

これが面白いですよ。 こんな木を見つけたんですね。 人が支えているみたい。

11年4月9日 (3)

使わなくなったのを、立てかけてあるのかな。

11年4月9日 (4)

手すりがある。 今の川の深さは、大人の腰くらい。 小さな子供には、危険。

11年4月9日 (5)

横に崩れそうだけど、大丈夫。

11年4月9日 (6)

人の足に、似てる。

11年4月9日 (7)

四国の津野町にあった、早瀬の一本橋。 四国カルストから戻る時に、見た。

mmppipponnbasi.jpg

この日は、国道のパーキングに停泊した。
その近くでお弁当が売っていたので、買いに行った。 そうしたら無料で配っていた。
お金は、受け取ってもらえなかった。 お店の名前は、ほっかほっか亭。

IMG_0410ppp09890p


大川小で、多くの子供たちと先生が、津波に流された。
どうして子供たちの命を守れなかったのか。
先生方の責任をどうこうでなく、考えてみたいと思う。 
  ※ 責任は、石巻市教育委員会と学校の管理を任されていた校長にある。 これは、動かないですね。

被災後の、大川小の様子。(写真は、フリッカー・カモメさんより)
左に北上川がある。 右に山が。 山の方に、逃げなかった。

5098907678.jpg

大川小の位置。




どうしてかなと思う部分を整理してみた。
   ※ このことについては、明日書きますね。 もう少し調べて。

① 地震発生、午後2時46分。 津波警報発令、2時49分。
  2時49分にはグランドに出ているが、避難開始は、3時10分頃。
  グランドに、20分。 何があったのか。

② 学校の防災計画で、避難場所は決めてなかったのか。
  裏山に行かないで、橋に向かった。 そこを通って高い所に行こうと。
  襲われる直前、裏山に逃げて助かった子がいる。

③ どうして低い所に校舎を建てたのか。 だれも、疑問を持たなかったのか。

④ 教頭また副校長の名前が出てこない。 児童数108名。 いるはずだが。

⑤ 校長は休暇を取っていたが、地震直後から、どんな動きをしたのだろう。

ポイントは、避難開始まで、どうして20分かかったのか。 なぜ、橋に向かったのか。
この2つでしょうか。

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※ ブログは、しばらくの間、1日遅れで載せることになります。


昨晩余震があったため、ボランティアは、中止になった。(理由は、安全の確保のため)

午後、遠野市に向かった。
大船渡市の一部を除いて、どこも停電だった。

大船渡市には変化が出ていた。
コンビニが、ほとんど開いていた。 電気があっても、薄暗くして。
ガソリンスタンドには、車が並んでいた。
   ※ 被災地では、軽油は買ってないので、並ばない。
   ※ 十分に余裕があると分かったら、今後入れるかも。
停電で、閉めてるとこが多かった

遠野市は、完全に停電。 
それでも、数軒のガソリンスタンドは開いていた。
手で何かを回して入れていた。 一人、10㍑。
私は予備が少しあるので、入れなかった。

ガソリンスタンドは、明日は元に戻るので、満タンにして、130㍑の予備も積む。
  ※ 満タンと130㍑は、ドラム缶1本分の量になる。
軽油に不安をなくして、数日後には、南三陸町に向かおうと思う。

地元の人は、電気は今晩には戻るかもしれないと言った。
その通りになった。 夜中、街灯が点いた。

ここへ来る途中、滝観洞(ろうかんどう)という鍾乳洞が、近くにあった。
一昨年行って来た。 隣に、白蓮洞というのもあった。
白蓮洞は、同じ入場券で見られたのに、忘れた。 見たいと思っていた。

※ 電話したら、休業中だった。 中が崩れたので、点検中。
※ 白蓮洞の白蓮は、柳原白蓮のこと。 歌人。 大正天皇のいとこ。(白蓮の父と大正天皇の母が兄弟)
※ ちなみに、大正天皇は九条節子と結婚する。 九条節子は、お江の子孫。(いつかのブログに書いた)

下の写真は、滝観洞。
この滝の魅力は、中にある滝。 日本で一番高い。
ところが、それ以上の魅力がある。
鍾乳洞の中、全体の美しさ。 何せ、中の岩が、大理石。 輝いている。 
美しさでは、日本のトップクラス。

被災した人たちが、いつか、気持ちにも生活にも余裕が出て、この滝を見に来れたらいいと思う。

nnppllroukanndou.jpg 

ブログ  滝観洞(ろうかんどう) 他  (2009/10/3)

※ ブログには、釜石市の写真が3枚あります。
  この洞窟では、八つ墓村の撮影が行われました。

暖かい日が少し続いたが、今日は冷たい雨が降った。

津波の直後と、11日の夜の、第一中学校の避難所の様子



陸前高田市に津波が来たのは、午後3時15分頃。
第一中も、避難所になっていた。
1000人以上が、体育館に避難して来た。 (8日現在の人数でも、1650人)
多くの人が、ぎりぎりで助かっていた。
家が、そして、人が流されるのをみんな見た。

※ 一緒に風呂に入った人は、車で逃げた。 津波が後ろから来た。 (会社は、市役所のとなり)
  途中、多くの人達を見た。 市役所のそばの空き地にも。 中心街で見たほとんどの人は、助かっていない。
  車が渋滞していたら終わりだ。 途中で、曲がった。 (※ なぜ曲がったか、詳しく聞かなかった)
  高台への道は、空いていた。
  助かるか助からないかは、運と少しの判断だと、この人は言った。

※ 津波が来てるのに、どうしてそんなに町に人がいたのか。
  市街地にいたら、津波は家の陰で見えないと言う。
  目の前の家が壊れて、初めて気づくと。
  大きな津波が来てるとは、みんな気づかなかった。
  
※ 1分でも2分でもいいから、目の前の家が壊れる前に、走り出していれば、助かる可能性はあったという。
  足が遅くても、1分間で、200㍍は走れる。 速い人なら、300㍍以上だ。 だからか。
  このことは、会った人みんな言う。 どういうことか、調べてみた。

  津波は、陸地に着いた時は、時速35㌔くらい、という資料がネットにある。
  とりあえず、これで考えると。
  この速さは、およそ、100㍍を10秒で走る速さ。 オリンピックの選手。
  1分間では、600㍍。

  ○ 高台まで、600㍍の時は  
     1分間に300㍍走れる人は、1分前にスタートすれば、逃げ切れる。
      〃   200㍍  〃    、2分前に   〃   、 〃   。

  実際は、もっと近くに高台があることが多い、と言う。

  ○ 高台まで、300㍍の時は、
     1分間に300㍍走れる人は、30秒前で、逃げ切れる。
       〃 200㍍  〃     、60秒   〃    。

  お風呂に一緒に入った人は、少し前でも逃げれば助かる可能性があると言った。
  私が考えていたのとは、違った。
  でも上の人が言うように、確かに計算では、途中疲れるとかは考えてないが、少なくとも、数分前に逃げれば、
  助かる可能性がある。  ※ 斜めに逃げる場合も、変わるが。

体育館の中では、もちろん、みんな土足。 広い体育館が、人でいっぱいになった。
夜は、直ぐにやって来た。 真っ暗闇になった。
雪の舞う、冷たい夜だ。

  ※ 屋根の上や、何かの上で、濡れた体で、朝まで持ちこたえた人がいる。
    でも、朝を待たず力尽きた人もいると言う。

社長さんは、会社から、ストーブと投光機と発電機を、体育館に持って行った。
ストーブは、喧嘩になるからと言われ、つけなかった。
発電機で、体育館内に、3ヶ所投光機を付けた。
朝の4時頃ガソリンが無くなるが、それまでは明るかった。

途中、どこかの責任者が来て、こう言った。
「屋根があるだけ、有り難いと思え」って。
社長さんをはじめ、みんな怒ったと言う。 そいつらが、暖かい所にいることは、みんな知っていた。
次の日、謝罪に来たと言う。 でも、誰も許せる気持ちにはなれなかった。
更に社長さんと従業員は、仮設トイレを10、真夜中の2時までかかって、作った。

寒いから、みんなカーテンとかに、くるまったと言う。
1つのカーテンに3人とかが一緒になって。 寝れる人間なんか誰もいない。
とにかく寒い。

体育館の中は、どんな状況なのか。
多くの人が動き回っていた。 他の避難所からも人は来た。  他に行く人も。
見つからない家族や親類を、必死で探していた。 
   ※ 避難所は、市内にたくさんある。(現在99)
   ※ 安否の確認に数日かかることもあった。

顔見知りに会ったら、誰だれ見なかったかと、泣きながら聞いたと言う。
その風景は、体育館のいたるところであった。
社長さんは、こんな姿がこの世にあっていいのか、と思った。

誰も、どれだけの人が津波に流されたかは、知らなかった。
実際は、7人に1人が流されていた。

長く冷たい夜は、そうやって朝を迎えた。


【今日の歌】 コメントにあった、南部牛追唄を載せます。
       しみじみとした、いい歌です。
       コメントの返事に少し書きましたが、昔の農民は、裕福な暮らしではなかったが、
       私達の想像以上に、高い文化の中で暮らしていた感じがします。(私の想像以上か)

       何なんでしょう、この歌のよさは。
       いつかちゃんと調べてみたいです。 どうやって生まれたかなど。 歌詞の意味も。   

              0098768nabbuuioiuta.jpg

 

※ ここで言う南部地方は、岩手県の北部の方ですね。

長い歴史の中で、東北の人達が、こんなに辛い思いをしたことって、あるんでしょうか。


【その他】  昨日、旭川の姉が、福寿草の花の写真を送って来た。
       北国の春、大好きな花です。 とだけ書いて。
       被災地にも、春が来て、花が咲く。

P2011_0406_095033.jpg

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ブログは、普通に続けます。

揺れましたね。 昨晩深夜の余震のことです。 震度6弱。
初めての経験。

縦と横が、混ざって揺れる。 1分はなかったと思う。
キャンピングカーは、ひっくり返りやすい。
そうなる、少し前の揺れに感じた。

サイレンが鳴り響き、車は一斉に高台を目指した。 一時騒然となった。
私の車は、ある会社の空き地に停めさせてもらっている。(断わって)
広さは、学校のグランドより少し狭い感じ。
あっという間に、多くの車が乗りこんで来た。

車の中は、物が落ちない仕組みになっている。
だから、落ちなかっただけ。

走っていて、絡まることはめったにない、天井から下げた飾りが、絡まった。

私は何をしていたか。 夢中で、動画を撮るカメラを探していた。
そうでなく、車載カメラで撮れば良かった。 失敗。

※ 地震の時、カメラをさがすことはできたけど、
  北海道の山の中で、熊に出会った時、ほんとうにカメラを構えることが出来るだろうか。
  そんなことを思った。

※ 私は昔、根室にいた。 地震は、しょっちゅうあった。
  余震と分かっていたから、恐怖は少しだけ、と言う感じ。
  地震をたくさん経験すると、地震が来る前に、来ることが分かるようになる。
  静かな時に限るけど。
  ゴ~、って聞こえる。(感じる)

でも、11日を経験した人達は、あの時が蘇り、大きな恐怖だったと思う。

※ 地震の後、ネットのスピードが、極端に遅くなった。
  後で知ったが、東北がほとんど停電。

飾りは、こんな風に。

11年4月8日 (14)

靴が、全国から送られてくる。 個人が、ブログ等で呼びかけて、動いた。
宅急便の車が届けてくれるが、100箱以上、1度に降ろす。
サイズごとに分けて、避難所に届ける。

子供の靴は、余り気味。
避難所には子供がいても、少ないと言う。 みんな親類や知人の所にいる。
避難所の環境は、子供にとっては、厳しすぎるようだ。

11年4月8日 (1)

直接取りに来てもいい。
足の少し不自由なおじいちゃんがやって来た。
杖をとられた、と言った。
私は、海に持っていかれたのかい、と聞いた。
そうでない、海だったら文句は言わない、と言った。

風呂をやってる社長さんが、新たな風呂をここにつくる。  今の場所は作業場なので、使うため。
背の高い建物に。 ここには、七夕の山車が入っていた。
山車は、外に置いてある。 緑のシートをかぶせて。

女湯は、表から。 男湯は、裏から。

11年4月8日 (2)

女湯。 建築会社だから、こんなのはお手の物。
今度のは、ボイラーが付いている。

廃材でお湯を沸かすとも言っていた。 ※ 洗うためのお湯かな。

11年4月8日 (3)

湯船に浸かったら、きっと木の匂いがする。

11年4月8日 (4)

左端が、社長さん。 家を流されている。 ※ 今の風呂がある作業場は大丈夫だった。
ここの風呂は、9日の土曜日には、使えるようにする。
明後日だけど、社長さんなら、するなと思った。

※ 最初の風呂は、3月20日の午後2時頃から作り始めた。
  従業員と共に徹夜で作り続け、次の日の朝に完成した。

  トラックにドラム缶を積んで、川の水を運んだ。(上流に家の無い所の)
  ドラム缶4本で、水を沸かした。 廃材を燃やした。

  社長さんの動きを知った農協が、水のタンクを提供してくれた。(2トンと4トン)
  地下水も使わせてくれた。

  机上のプランを語るより、社長さんのように動いている方が、人の心を動かすのかなと思う。

風呂に入ると、明日への元気が出てくる。 
このお風呂は、復興に向けて、大きな力にきっとなる。

11年4月8日 (5)

板を挟んで、道を広げる作業。 自衛隊。

11年4月8日 (6)

今日も、お疲れ様。

11年4月8日 (7)

この鉄骨全体は、遠くから運ばれて来た。 

11年4月8日 (8)

重機とかが作業していて、見つかったものは、ここに置いてくれる。

11年4月8日 (9)

11年4月8日 (10)

市役所。 人は中央の三角の屋根に逃げた。 
先日会った女の人は、自分であがれなくて、引きずり上げてもらった、と言った。

11年4月8日 (11)

時々、花があった。 線香のある所も。

11年4月8日 (12)

小学生校では、親が迎えに来た子は、親に渡した。
その中に、流されてしまった親子がいる。

※ 夜一緒にお風呂に入った人のお母さんも、子供を迎えに行った。
  姉の子供さんも一緒に連れて来た。
  途中、ちょっとした用事で、姉の子供さんも、自分の家に連れて来た。
  その人の姉の家まで、津波は届いた。 もし、家に降ろしていれば、助かってはいなかった。
  
11日の津波が来た時は、ちょっとした判断と運が、人々の生死を左右していった。
  
11年4月8日 (13)

ボランティアは、昼間は、靴の選別。
夜は、風呂焚きを手伝った。
お風呂に入れてもらって、缶ビールを御馳走になった。
湯船の中で、飲んだ。

社長さんをはじめ、何人かの方から、話を聞くことが出来た。
それは、後日になります。

【その他】   昨日の動画8つが、追加されています。
         (気仙沼市唐桑町4つ、陸前高田市気仙町3つ、津波の到達点1つ)

【停泊場所】   しばらくの間、書けない。

【明日の予定】  これもです。 

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  • その他
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2011年05月06日 (金)
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遠野市に戻って、水や軽油の補給。   津波直後と11日夜の避難所の様子。  他   (2011/4/8)
2011年04月08日 (金)
復興に向けて   震度6弱の揺れ   他   (2011/4/7)
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by AlphaWolfy

akkamui212

Author:akkamui212
2009年4月に放浪の旅をスタートし、7回目の日本1周に入っています。
「キャンピングカーで放浪の旅」に続き、パートⅡです。
よろしく。


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